第5話 論理学官エルサ、神を告発する
夜明け前の空は、奇妙な色をしていた。
黒でもなく、青でもない。まるで書きかけのページのような、未定義の色。
聖域の結界は、まだ解かれていない。
だが、あれほど強固だった黄金の光は、わずかに揺らぎ始めていた。
世界が、迷っている。
「……時間がない」
私は小さく呟き、死体の前から立ち上がった。
「論理学官エルサ・ラドクリフ」
王子、騎士長、魔導師、そして結界の外にいる聖女。
すべての視線が、私に集まる。
「これより私は、この事件の最終結論を述べます」
誰も遮らなかった。
それが、この世界が求めている行為だと、無意識に理解している。
「結論から言いましょう。クラウディア嬢を殺した犯人は存在しません」
どよめきが起きる。
だが、私は続けた。
「正確には、犯人は人間ではない」
私は結界の天井を見上げた。
「この世界そのものです」
聖女が、息を呑んだ。
「……そんな、こと」
「あります」
私は断言する。
「なぜなら、この事件は犯罪ではない。処理です」
言葉が、冷たく落ちた。
「シナリオから逸脱した存在を、世界が自動的に削除した。ただそれだけ」
王子の拳が、震えた。
「それを、私は知っていた……」
「ええ」
私は頷いた。
「あなたは、断罪イベントが実行された瞬間に、クラウディア嬢の存在が論理的に矛盾することを理解していた」
私は床のタイルを踏みしめる。
「彼女は、断罪後に生きていてはならない存在だった。しかし、死ぬこともシナリオには書かれていない」
「だから世界は、仕様の隙間を埋めた」
魔導師が、低く言った。
「毒という、因果で」
「そうです」
私は続ける。
「毒は、誰かの悪意ではない。世界が用意した、もっとも摩擦の少ない解決手段だった」
聖女が、膝をついた。
「私が……未来を、教えたから……」
「違います」
私は彼女を見た。
「あなたは、引き金ではない。設計ミスを暴いただけ」
私は、すべての人間を見回す。
「この世界は、物語を優先するあまり、人間を変数として扱っている」
「定義されない存在は、排除される」
「感情も、意志も、倫理も関係ない」
私は、宣言した。
「それは、法ではありません。ただのバグです」
結界が、大きく揺れた。
「ここで、私は告発します」
声は、震えていない。
「神。あるいは、シナリオ」
「あなたは、この世界の支配者として不完全だ」
王子が叫ぶ。
「そんなことを言えば、世界が壊れる!」
「いいえ」
私は即座に否定した。
「壊れるのは、“物語としての世界”です」
私は眼鏡を外した。
「世界とは、連続する因果であり、再現可能な現象の集合体」
「登場人物が、自分の未来を知っただけで死ななければならない構造は、世界ではない」
聖域の光が、音を立てて崩れ始める。
「私は、解決策を提示します」
私は一歩、前に出た。
「クラウディア嬢の死を、正式な事件として記録する」
「原因は、世界構造上の不具合」
「そして、断罪イベントを無効とする」
「彼女は、死んだ。だが、それは物語の要請ではない」
「人間としての死だ」
沈黙。
次の瞬間。
夜明けの光が、結界を貫いた。
黄金の膜は、音もなく消失した。
世界は、崩壊しなかった。
朝は、来た。
王子は、膝をついた。
「……物語は、終わったのか」
「いいえ」
私は答える。
「物語は、これから始まります」
「脚本のない世界で」
聖女が、泣き笑いの顔で言った。
「未来が……見えない」
「それでいい」
私は、鞄を手に取った。
「未来が定義されていない。それが、自由です」
死体のそばを通り過ぎるとき、私は一度だけ、クラウディアに視線を向けた。
「あなたの死は、無駄ではない」
誰にも聞こえない声で、そう告げた。
論理学官エルサ・ラドクリフ。
私は、神に勝ったわけではない。
ただ、世界を、現実に戻しただけだ。
そしてこの日から。
この世界では、誰も「エンディング」を知らない。
それを、私は誇りに思う。




