第3話 魔導師の計算式と、騎士の沈黙
聖域の結界は、完璧な円を描いていた。
歪みはない。揺らぎもない。
それ自体が、ひとつの「証拠」だった。
「レオンハルト卿」
私は宮廷魔導師を呼び止めた。
「あなたが展開しているこの結界、維持に必要な魔力量は?」
「……突然だな」
彼は肩をすくめたが、すぐに答えた。
「王族の血を触媒として、私が供給する魔力は全体の二割程度。残りは自然循環だ」
「では、その二割が途切れた場合?」
「結界は即座に崩壊する。安全装置はない」
私は手帳に数字を書き込む。
「つまり、あなたは結界展開中、一瞬たりとも集中を切らせなかった」
「そうだ」
「証明できますか?」
その問いに、魔導師はわずかに目を細めた。
「論理学官殿。君は“魔法を信じない”そうだが」
「ええ。信じていません」
「だが、今こうして魔法の理論を使っている」
「違います」
私はきっぱりと言った。
「私は再現性のある現象を使っているだけです。あなた方がそれを“魔法”と呼んでいるに過ぎない」
私は結界の縁に落ちている、目に見えぬものを指した。
「この結界、内部の魔力濃度は通常の三・二倍。正しいですね?」
「……ああ」
「では質問を変えます」
私は魔導師を真正面から見据えた。
「その環境下で、長時間集中を維持するために必要な呼吸数は?」
一瞬の沈黙。
「……一分間に、約二十」
「通常時より?」
「四回、多い」
私は頷いた。
「では、あなたは結界展開中、呼吸が乱れていたはずです」
「それが何だ?」
「毒物の拡散です」
空気が張りつめる。
「もし、この毒が“魔力濃度に反応して気化する”性質を持つなら」
私は続けた。
「結界内で最も多くそれを吸い込むのは、誰でしょう?」
王子が、はっとした。
「……結界維持者、つまり魔導師か」
「そう」
私は静かに告げる。
「もしあなたが犯人なら、真っ先に倒れているのはクラウディア嬢ではなく、あなた自身です」
レオンハルトは、短く笑った。
「なるほど。君は私を“論理的に除外”したわけだ」
「はい。あなたは犯人ではありません」
魔導師は一礼した。
「光栄だ」
「次に、騎士長アルベルト」
私は、これまで一言も発していなかった男を見る。
「あなたは、結界展開中、一度も口を開いていない」
「……職務だ」
「いいえ」
私は首を振る。
「それは“結果”であって、“理由”ではない」
私は彼の足元を指した。
「あなたの立ち位置、被害者から二・三メートル。剣を抜けば一瞬で届く距離」
「それがどうした」
「あなたは、彼女が倒れる瞬間、一歩も動いていない」
騎士長の眉が、わずかに動いた。
「普通、人は目の前で人が倒れれば、反射的に動く」
私は淡々と事実を積み重ねる。
「まして、あなたは近衛騎士。訓練された反射神経を持つ」
「……」
「それでも、あなたは動かなかった」
沈黙。
「理由は単純です」
私は結論を述べた。
「あなたは、倒れる前から彼女が死ぬと知っていた」
王子が叫ぶ。
「待て! それは憶測だ!」
「いいえ。生理反応です」
私は騎士長の手を見る。
「あなたの指先、わずかに白くなっている。握力が入っていた証拠」
「……」
「恐怖や驚愕ではない。“耐えていた”緊張」
私は告げた。
「あなたは、何かを“我慢”していた」
「だが、あなたも犯人ではありません」
騎士長が顔を上げた。
「……何?」
「あなたは毒を盛っていないし、発動条件も知らなかった」
私は静かに続ける。
「あなたはただ、“知っていた”。クラウディア嬢が、この断罪の夜を生きて出られないことを」
騎士長の唇が、わずかに震えた。
「残るは、王子エドワード殿下」
私は最後に、彼を見た。
「この事件で、ただ一人“シナリオを完全に把握していた”人物」
王子は何も言わない。
「次で、終わりです」
夜明けまで、あと三時間。
論理は、ついに“神の書いた筋書き”そのものへと踏み込もうとしていた。




