第2話 三つの証言と、ひとつの前提
聖域の結界の内側は、奇妙なほど静かだった。
百人の視線と百の祈りが、薄い黄金の膜一枚を隔ててこちらを見つめているというのに、音は一切届かない。
「……まず確認します」
私は死体から視線を離し、三人の男たちを順に見た。
「この結界は“外部からの干渉”を完全に遮断する。しかし“内部の行動”は制限しない。正しいですね?」
「無論だ」
答えたのは宮廷魔導師レオンハルトだった。
白銀の髪、理知的な顔立ち。彼はこの国で“魔法理論そのもの”と評される男だ。
「結界はあくまで隔壁。中にいる者の呼吸も、発汗も、魔力循環も、すべて通常通りだ」
「では次。結界展開からクラウディア嬢が倒れるまで、何分経過しましたか?」
「……三分ほどだ」
第一王子エドワードが即答する。
彼は怒りと混乱を必死に抑えているようだった。
「その間、誰かが彼女に飲食物を与えた?」
「ない!」
今度は近衛騎士長アルベルトが声を荒げた。
「我々は円陣状に立ち、彼女を糾弾していた。近づいた者はいない」
「“近づいた”かどうかではありません。“摂取した”かどうかです」
私は手帳に線を引く。
「毒は、体内に入らなければ作用しない。皮膚吸収性の毒なら接触が必要ですが、彼女の皮膚・衣服に異常はない。よって――」
私は結論だけを淡々と告げた。
「毒は、口から入っています」
三人の表情が、わずかに変わった。
*
「次に、三名の行動を一人ずつ確認します」
私は王子を指した。
「エドワード殿下。あなたは糾弾の口上を読み上げていた。よって、その間は発声しており、毒を扱う余裕はない」
「……当然だ」
「騎士長アルベルト。あなたは王子の右後方、剣に手を置き警戒していた。動けば即座に目立つ位置」
「その通りだ」
「最後に魔導師レオンハルト。あなたは?」
「結界の魔力維持に集中していた」
「つまり、三人とも“犯行動作を行えば即座に不審に映る状況”にあった」
私は一度、深く息を吸った。
「ここで一つ、前提を疑います」
彼らが怪訝そうな顔をする。
「あなた方は、“毒は結界展開後に盛られた”と考えている。しかし、それは事実ではありません」
「……何?」
「毒は、結界が張られる前に、すでに彼女の体内に存在していた」
空気が凍りついた。
「馬鹿な」
王子が吐き捨てる。
「事前に毒を飲んでいれば、もっと早く症状が出るはずだ」
「ええ。普通の毒なら」
私は死体の唇を指し示す。
「この紫変と瞳孔散大。これは“即効性”ではなく、“発動条件付き”の毒です」
「発動条件……?」
「特定の生理変化、あるいは環境変化」
魔導師が、はっと息を呑んだ。
「……まさか」
「そう。魔力濃度です」
私は結界の壁を軽く叩く。
「聖域の結界は、王族の血を媒介に、周囲の魔力を高密度で循環させる。内部の魔力濃度は、通常環境の数倍」
「その環境下でのみ、毒性を発揮する物質が存在する」
私は断言した。
「クラウディア嬢は、結界が張られた“瞬間”から、死に向かっていたのです」
「では、誰が彼女に毒を?」
騎士長が低く問う。
「それは、結界の外にいた人物でも可能です」
「聖女か!」
「いいえ」
私は首を振る。
「この毒は高度な化学的調合を要する。信仰だけの聖女には不可能。だが――」
私は魔導師を見る。
「理論を知る者なら、作れる」
レオンハルトは静かに笑った。
「論理学官殿。君は私を犯人にしたいらしい」
「いいえ。まだ“フーダニット”の段階です」
私は眼鏡の奥で、冷たく告げる。
「ただし、犯人は“毒を盛った者”とは限らない」
「……何?」
「この事件の核心は、“誰が殺したか”ではなく」
私は聖域全体を見渡した。
「誰が、この断罪イベントを“成立させない世界”にしたかです」
夜明けまで、あと四時間。
物語は、論理によって、少しずつ神の手を離れ始めていた。




