第1話:聖域の死、あるいはバグったシナリオ
シャンデリアの輝きが、不自然に静止した。 王城の大舞踏会。百人の貴族たちが息を呑み、円の中央を凝視している。 そこには、まばゆい黄金の光で編まれた『聖域の結界』が展開されていた。
この世界の法であり、物理法則そのものである「聖典」によれば、今この瞬間、第一王子が隣国の公爵令嬢クラウディアの罪を暴き、彼女を国外追放へと追い込むはずだった。それがこの世界の正しい「エンディング」だ。
だが、現実は――シナリオを裏切った。
「……動くな。誰も、結界に近づくことは許さん!」
王子の絶叫が響く。 結界の中、豪華なドレスに身を包んだクラウディアが、床に倒れていた。 口の端から細い血を流し、その瞳からはすでに光が消えている。
死んでいる。 糾弾されるべき主役が、糾弾される前に、死んだのだ。
「そんな……。私の台本では、彼女は生きて城を出るはずだったのに」
結界のすぐ外側で、ヒロインである聖女が震える声で呟いた。彼女だけが知る「未来」が、今、完全に壊れた。
そして、その「バグ」を修正するために、私は呼び出された。
「論理学官、エルサ・ラドクリフです。……死体を見せていただけますか」
重い革の鞄を抱え、私は兵士たちの検問をくぐり抜けた。 私の正装は、華やかなドレスではない。地味な灰色の法衣と、近視を矯正するための分厚い硝子眼鏡。そして、感情を削ぎ落とした事務的な声だ。
「貴様がラドクリフか。……見ての通りだ。異常事態だ」
苛立ちを隠そうともせず、第一王子エドワードが私を睨む。 彼の周囲には、王国の誇る『攻略対象』――いや、最高位の権力者たちが揃っていた。剣聖の息子である近衛騎士長、そして王国最強の宮廷魔導師。
彼ら3人と、死んだクラウディア。 それが、事件発生時にこの「結界」の中にいた全人間だ。
「状況を確認します。この『聖域の結界』の特性は?」
私は手帳を開き、淡々と問いかけた。
「……何を知らんふりをしておる。常識だろう。聖域は、王族の血を引く者が展開する絶対不可侵の領域だ。外からの物質、魔法、気体、音、すべてを遮断する」
「では、結界が張られた後に外から毒矢を射ることも、毒ガスを流し込むことも不可能、ということですね?」
「当然だ」
「結界の展開中、中にいたのは?」
「私と、騎士長、魔導師。そして……クラウディアだけだ。聖女は結界の外にいた。これは三神に誓って真実だ」
私は死体に歩み寄り、その首元を観察する。外傷はない。だが、唇の色と瞳孔の状態が、ある特定の毒物を示唆していた。 「王子の仰る通りなら、これは単純な『限定空間における犯人捜し(フーダニット)』になります。犯人は、王子、騎士長、魔導師。この3名の中にしか存在し得ない」
周囲がざわつく。騎士長が剣の柄に手をかけた。
「無礼な! 我ら3人が、わざわざ衆人環視の中で彼女を殺す動機があると思うのか!」
「動機の有無は論理に関係ありません。私が興味があるのは事実だけです」
私は眼鏡を指先で押し上げ、静かに告げた。
「この結界は、王子の糾弾が始まると同時に展開され、一度も解かれていない。つまり、ここは魔法によって作られた『物理的な密室』です。そして被害者は、毒を盛られた形跡があるにもかかわらず、現場にカップも、食事も、針の一本も落ちていない」
私は鞄から拡大鏡を取り出し、床のタイルの隙間を覗き込んだ。
「攻略対象の皆様。あなた方は『運命』を信じておられるようですが、私は信じません。死体があるということは、そこに至る導線が必ず存在する。……さて、この密室で、どうやって『存在しない毒』で彼女を殺したのか。それを今から、論理的に証明してみせましょう」
夜明けまで、あと5時間。 世界のシナリオが完全に崩壊する前に、私はこの「魔法という名のトリック」を解かなければならない。




