人になった理由
町へ戻る道すがら、ヨルは二人から少しだけ距離を取って歩いていた。
逃げるほどではないが、触れられないように――そんな微妙な間合い。
「……警戒されてるな」
相馬が小声で言う。
「当然だろう。森で一人だった子供だ」
鷹宮は前を向いたまま答えた。
「それに、普通じゃない」
「だよな」
否定はしない。
相馬も、最初に目が合った瞬間から感じていた違和感を、言葉にしていなかっただけだ。
町の建物が見え始めた頃、ヨルが不意に足を止めた。
「……あれ」
指差す先には、停車中の観光バスがあった。
添乗員が腕時計を見ながら、周囲を気にしている。
「まずいな」
相馬が舌打ちする。
「集合時間、もうすぐだ」
「……いっちゃう?」
ヨルが小さく言った。
「行くなとは言えない」
鷹宮が答える。
「仕事じゃないからな」
ヨルは唇を噛みしめた。
俯いたまま、ぎゅっと拳を握る。
「……やだ」
その声は、驚くほどはっきりしていた。
相馬が足を止め、振り返る。
「ヨル?」
「……いっしょに、いたい」
子供のわがまま、と片付けるには重すぎる言葉だった。
「一人、いや」
「……母さん、いない」
「また、ひとりになるの、いやだ」
沈黙が落ちる。
相馬は言葉を探し、鷹宮は一歩引いた位置で様子を見ていた。
「なぁ」
相馬はしゃがみ込み、ヨルと視線を合わせる。
「俺たちは、ここに住んでるわけじゃない」
「わかってる」
「それでも?」
「……それでも」
ヨルは涙を堪えたように俯き蹲った。
「とりあえず、行くか」
相馬はヨルの頭をポンと軽く叩き、にっと笑った。
待機してるバスの近くまで来ると
数十年は営業している古びた食料品店がポツンと佇んでいた。
バスで飲む飲み物でも買おうと店内に入った。
続けて入ったヨルは見たことないものに戸惑い、駄菓子の棚の前で立ち止まった。
色あせた袋が、ぎっしりと並んでいる。
甘い匂いに、ヨルは小さく鼻を動かした。
「……これ」
指さしたのは、昔ながらの菓子だった。
「また渋いの選ぶな」
相馬が、肩をすくめる。
「それ、俺が子供の頃からあるぞ」
ヨルは、少し考える。
「……なくならない?」
「ん?」
「ずっと、ある?」
鷹宮が、棚を眺めながら答えた。
「多分な。変わらないものってのは、案外しぶとい」
ヨルは、その言葉を、胸の奥で転がす。
「……じゃあ」
もう一つ、手に取る。
さらに、もう一つ。
三つの袋を抱えて、ヨルは言った。
「……これ、全部」
「欲張りだな」
相馬が笑う。
ヨルは、首を振った。
「……ちがう」
「じゃあ、なんだ」
ヨルは、少しだけ視線を落とした。
「……なくなるの、いや」
「……」
「ここに、いられるの、すき」
相馬は、何も言わなかった。
代わりに、ヨルの頭を軽く叩く。
するとヨルの頭からピョコンと黒い大きな耳が頭から生えた。
相馬は目を擦って見直すと黒い大きな尻尾もぶんぶんと振っているようにみえる。
「幻覚か?」
「いや,俺にも見えてる」
顔を上げると鷹宮と目を合わせた頷いた。
そのときだった。
「ねぇ」
背後から、少女の声がした。
振り返ると、同じ年頃の少女が立っている。
手には、古びた硬貨。
「それ、かわいいね」
ヨルは、戸惑いながらも、小さく頷いた。
「……ありがとう」
少女は、ふっと笑い母親の元へかけてった。
次の瞬間、電池が切れたように膝から崩れ落ちた。
「きゃっ……!」
母親の悲鳴が響いた。。
「相馬」
鷹宮は即座に鞄を肩から外し、駆け出した。
「医者だ。行くぞ」
倒れていたのは、先ほどの少女だった。
意識はあるが、反応が鈍い。顔色は悪く、呼吸も浅い。
「大丈夫、聞こえる?」
鷹宮はそう声をかけながら、手際よく脈を取る。
「……外傷なし」
「救急車、呼びます!」
近くにいた女性がスマートフォンを取り出す。
「お願いします」
鷹宮は即答した。
「意識レベルが低い。危ないな」
相馬は周囲を見回し、群衆を下がらせる。
バスで待機していた乗客もざわき様子を伺っている。
「……おかしい」
鷹宮が、低く呟いた。
そのとき、相馬は背後に視線を感じた。
ヨルだった。
少年は、少女を見つめたまま、微動だにしていない。
いや――違う。
震えていた。
「……ヨル?」
相馬が声をかけると、ヨルは自分の手を見下ろした。
指先が、かすかに光っている。
「……ごめん」
「何がだ」
「ぼく……人に、なりたかった」
風が吹き抜けた。
ヨルの体が揺れ、次の瞬間、黒い毛が消えた。
狐の耳も、尾もない。
そこに立っていたのは、人間の子供だった。
「……は?」
相馬が息を呑む。
「やはりな」
鷹宮は短く息を吐いた。
「生命反応が、移動している」
遠くで、サイレンの音が近づいてくる。
「救急隊です!」
ほどなく救急車が到着し、鷹宮は状況を簡潔に説明した。
少女はストレッチャーに乗せられ、病院へ搬送されていく。
鷹宮は引き継いだ後、相馬へ近づいた。
遠くで添乗員がを出発のアナウンスをしている。
ヨルが、ぎゅっと服の裾を掴んだ。
「……いっちゃう?」
相馬は、答えなかった。
ヨルは、少女の運ばれていった方向を一度だけ振り返る。
「……ぼくが、いなければ」
「ヨル」
「ごめん。でも……」
少年の声は、ほとんど聞こえなかった。
それでも確かに、言葉はそこにあった。




