ばけぎつねの子
月杜町は、想像していたよりも静かな町だった。
バスを降りると、空気がひんやりとしている。
山に囲まれているせいか、昼間だというのに日差しがどこか弱い。
「……思ったより何もないな」
相馬が辺りを見回しながら言った。
「観光地なんて、だいたいそんなものだ」
鷹宮はパンフレットを折りたたし、鞄にしまう。
「人が多すぎない分、休むにはいい」
「医者のくせに、ちゃんと休む気あるんだな」
「倒れる前に休むのも仕事だよ」
二人がそんな会話を交わしていると、添乗員が声をかけてきた。
「自由散策は二時間ほどです。集合時間には遅れないようお願いしますね」
その言葉に、相馬がわざとらしく肩をすくめる。
「誰かさんに言ってるんですかね」
「自覚があるなら直しなさい」
軽口を交わしつつ、二人は町の外れへ向かって歩き出した。
舗装された道を抜けると、すぐに森が見えてくる。
木々は密集し、奥は昼でも暗い。
「……近づかない方がいい場所って、あるよな」
相馬がぽつりと言った。
「勘?」
「まぁ、そんなところ」
鷹宮は一瞬だけ森を見つめ、それから歩みを止めた。
「相馬。聞こえないか」
「……あ?」
耳を澄ます。
風の音に混じって、かすかな声がした。
――ひっく、……っ。
「子供の、泣き声だな」
鷹宮が断言する。
「観光客のガキが迷ったか?」
「それにしては、森の奥すぎる」
二人は顔を見合わせ、同時に頷いた。
「行くぞ」
「……ああ」
森の中は、町よりもさらに静かだった。
足音がやけに大きく響く。
しばらく進んだところで、相馬が立ち止まった。
「いた」
木の根元。
影の中に、小さな人影がうずくまっている。
「おい、大丈夫か?」
相馬がゆっくり声をかけると、その子供はびくりと肩を震わせ、顔を上げた。
黒い髪。
白い肌。
そして――不自然なほど澄んだ瞳。
「……だれ」
警戒心の混じった声だった。
「警察官だ。迷子か?」
相馬はしゃがみ込み、視線を合わせる。
少年は、首を横に振った。
「まいごじゃない」
「じゃあ、どうしてここに?」
少年は少し考えるように黙り込み、それから小さく答えた。
「……きつね、だから」
一瞬、空気が止まる。
相馬は口を開きかけて、閉じた。
代わりに、鷹宮が一歩前に出る。
「名前は?」
「……ヨル」
声は小さいが、はっきりしていた。
「ヨル、怪我は?」
「ない」
鷹宮は視線を下げ、少年の足元を見る。
土は濡れているが、血の匂いはしない。
「……一人か?」
鷹宮が問う。
その瞬間、ヨルの表情がわずかに曇った。
「……いない」
「いない、というのは」
「……もう、いない」
相馬は、胸の奥がざわつくのを感じた。
「母親は?」
「……いない」
それ以上、ヨルは何も言わなかった。
沈黙が落ちる。
森の奥から、風が吹き抜けた。
「なぁ」
相馬は、できるだけ軽い声を出した。
「町まで戻ろう。ここは危ない」
ヨルは、少し迷うように二人を見比べた。
「……いっしょ?」
「一緒だ」
「……おいていかない?」
相馬は、即答した。
「置いていかない」
その言葉に、ヨルの肩から、ほんの少しだけ力が抜けた。
鷹宮は直感的に感じる違和感に
――この子は、嘘をついていない、
だが、人間じゃないという確信は取れないが
関わらない方がいいかもしれない。
理屈ではそう結論づけながらも、
それでも彼は、少年に背を向けなかった。
「行こう」
鷹宮が言う。
三人は、森を後にした。
誰も気づいていなかった。
森の奥で、何かが――まだ、彼らを見ていることを。




