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新月の森で泣く声

新月の夜。

闇に染まった森の奥深くで、子供の泣き声が響いていた。


木々が風にざわめくたび、その声は引き裂かれるように途切れ、また戻ってくる。

まるで森そのものが、泣き声を拒んでいるかのようだった。


「もう……大丈夫だからね」


女はそう言って、腕の中の子供を抱きしめた。

小さな体は震え、息は浅い。脚には深い傷があり、血が止まらない。


女の手も、血に濡れていた。

それが自分のものか、子供のものか、もう分からなかった。


それでも女は、微笑もうとした。

口角を上げ、優しく、何度も同じ言葉を繰り返す。


「大丈夫。怖くないよ」


子供――ヨルは、涙で濡れた目で母を見上げていた。

母の顔が歪んでいることに、気づかないふりをしながら。


どれくらい歩いたのだろう。


泣き疲れたヨルの瞼が、ゆっくりと閉じていく。

女は立ち止まり、子供の背をとん、とん、と叩いた。


やがて、小さな寝息が聞こえてくる。


その音に、女はほんの一瞬、安堵した。


「……よかった」


そう呟いた声は、震えていた。


女はヨルを抱き直し、再び歩き出す。

だが、その足取りは重く、覚束ない。


――どうして、こんなことになったのだろう。


森は、あまりにも静かだった。


先ほどまで聞こえていた虫の声も、梟の鳴き声も、いつの間にか消えている。

自分の足音だけが、不自然なほど大きく響いていた。


女は、はっとして立ち止まる。


嫌な予感が、背筋を這い上がった。


耳を澄ます。

風の音。木の軋む音。

それ以外は、何もない。


次の瞬間だった。


闇の中から、それは現れた。


獣だった。

だが、ただの獣ではない。


月のない夜を支配し、森の静寂を従える、異形。


女は反射的に、ヨルを胸に抱き込んだ。


「――逃げて」


声にならない声で、そう思う。


鋭い爪が、女の背を裂いた。

熱が走り、息が詰まる。


それでも女は、倒れなかった。


ヨルを、離さなかった。


「……ヨル」


名前を呼ぶ。

それだけで、精一杯だった。


視界が赤く滲む。

膝が、崩れる。


女は最後の力を振り絞り、ヨルの額に口づけた。


「生きて」


その言葉は、祈りだった。


次の瞬間、森は再び、深い静寂に包まれた。



ヨルは、その夜のことをはっきりとは覚えていない。


覚えているのは、

温かかった腕。

優しかった声。

そして――新月の闇。


それだけだった。


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