第28章 支配する者、される者
西麻布のホテルスイート――。
シャンデリアが照らす部屋の空気は甘く、重く、そして濁っていた。
テーブルには高級シャンパンとキャビア、そして取引先の「政治家の息子」とされる青年実業家が座っていた。
アヤカは、その横で笑っていた。
かつて渋谷で見せていたギャルスマイルではない。
完全に「相手を立てる」ための、武器としての笑顔だった。
――だけど、心の奥では冷めた氷が沈んでいた。
三條圭吾の指示に従い、今夜のアヤカは「接待役」だ。
それも、性的な意味ではなく――情報収集と心理操作を担う“工作員”としての任務。
「圭吾さんって、本当に面白い人ですよねぇ〜。うちら、最初はただの風俗嬢だったのに〜、今じゃまるでスパイ映画だし♡」
言いながら、アヤカはさりげなく相手の男のスマホに目をやった。
画面にはロック解除されている暗号通話アプリ。
「……ところで、今朝さぁ。東都開発の話って、どうなってんの? 圭吾さん、めっちゃ気にしてたよ?」
男は酔いが回っていたのか、つい口を滑らせる。
「ああ、あの件? 圭吾には言ってないけど、裏で中国筋と条件合意したよ。あいつ、あれ以上突っ込ませたらマズいから」
アヤカは、その言葉を聞き逃さなかった。
――中国資本との裏取引。
三條圭吾は「知らされていない」。
つまり、圭吾はすでに“外されつつある”。
その夜遅く、アヤカは三條の部屋を訪れた。
一糸まとわぬ姿で、ベッドの脇に座る。
「ねぇ、圭吾さん。最近、誰かに嘘つかれてる気しない?」
「どういう意味だ?」
「ミカちゃん。……あの子、あたしに嘘ついてる。圭吾さんにも」
三條はしばらく沈黙したあと、タバコに火をつけた。
「……あいつは俺にとって特別な存在だ。10代の頃から面倒を見てきた。信用してる」
「でもその信用、片想いかもよ?」
アヤカはそう言って、ポケットからUSBメモリを取り出した。
「今夜の取引先、全部録音した。“東都開発の件、圭吾には言ってない”ってさ。……誰が仕組んだと思う?」
三條の目が一瞬、鋭くなった。
そして、ゆっくりとUSBを手に取る。
「お前は、何が目的だ?」
「正義なんて求めてない。ただ、“落ちない者”を落としたいだけ」
「なぜ?」
「……だって、あたしは一回、全部奪われたから」
アヤカは自分でも驚くほど冷静だった。
この空間では、誰もが誰かを利用し、裏切り、そして“墜ちていく”。
だったら自分が“一番上”で笑ってやる。
「圭吾さん、ミカに“裏切り者の素質”があることくらい、薄々わかってるでしょ?」
「…………」
「だったら先に“切る”べきじゃない? じゃないと、あたしが圭吾さんを切るよ」
その言葉に、三條はわずかに笑った。
「お前、面白い女だ。……だが、それが命取りにならなければいいがな」
翌日、ミカは呼び出された。
会議室のドアを開けた瞬間、そこには三條とアヤカが並んで座っていた。
「ミカ、お前に任せてた案件……報告が“抜けてる”ようだな」
「……どういうこと?」
「お前の可愛い後輩が、ちゃんと“報告してくれた”よ。俺の信用を回復するためにな」
アヤカは何も言わず、ただ静かに笑っていた。
そして、ミカの表情が一瞬だけ歪む。
――彼女にとって初めての“敗北”だった。