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「ぃぐッ」
剣を突き立てられ、イライザは声にならぬ嗚咽を漏らす。
その声は潰れた蛙のように無様で、またジークの嗜虐心を刺激する。
ぐりぐりと片手で刃先を捻り――
「どうだ、勇者様。てめぇの御自慢の剣で痛め付けられる感触は?」
そう声を発し、ジークはイライザの頭をつかみあげた。
イライザは泣いていた。
その琥珀色の瞳を潤ませ、痛みより己の非力さに対しての懺悔の涙を垂れ流していた。
弱い。
わたしは、弱い。
“「迅雷勇者」”
なにが勇者だ。
なにが、勇者だ。
助けを求める友達一人救えないで、なにが勇者だ。
ザラが食いちぎられる音。
「ガウガウッ!!」
「いだぃ……っ…ぃぎ」
満足気な下級魔物の吠えと、ただの生き餌と成り果てたザラの苦悶に満ちた喘ぎ。
その二つの音を聴かされながら、イライザは声を漏らす。
「じ、ジーク。わたしはどうなっても…いい。ザラ、と…友だちだけは見逃して…おねがい……します」
イライザは懇願した。
もはや、自分では抗いようのない存在になったジーク。
その魔王に対し、心の底から懇願した。
しかし、ジークの想いは微塵も変わらない。
剣を抜き、立ち上がり。
「友だち? あぁ、あの“二つ”のゴミのことか? あいつらならもう、下級魔物の腹の中だ。あっ、だがまだ意識はあるかもな。消化され糞になるまで、肉片一欠片でもゴミはゴミに違いねぇし」
嗤い、イライザの顎を爪先で持ち上げるジーク。
そして――
「もっと喚け、イライザ。てめぇのその下らねぇ自己犠牲ほど聞いてて滑稽なもんはねぇからな。そうだろ? 口先だけでなにもしてこなかった、迅雷勇者さん」
イライザの胸を抉る言葉。
それを紡ぎ、ジークは震えるイライザの顎を真上に蹴りあげる。
ごきっ。
という音と共に、べちゃりと跳ねるナニカ。
「ふ……ぅ……っん」
イライザは両手で顔を抑え。
ふるふると、激痛にその身を震わせる。
跳ねたナニカは、イライザの舌。
勢いよく蹴りあげられた衝撃。
その衝撃で、イライザは自らの歯で舌を噛みきってしまったのだ。
「ふ……ぅ……がっ」
「顔を晒せ、イライザ。誰が隠していいと言った?」
「……っ」
踞る、イライザ。
その後頭部に足を振り下ろし、ジークは折れた剣を逆手に握りなおす。
「最底辺にはなりたくない……だったか? 聞こえていたぜ、イライザ。てめぇのその蔑んだ声と笑い。俺ははっきりと覚えているぜ」
「ぢ……ぢがう……わ、わだしは――」
「下には下が居る。はっ、今のてめぇは明らかに最底辺だ。後数十分も生きることすらできねぇ、俺の玩具に成り果てちまったんだからな」
煌めく、刃。
その刃先は、最底辺に成り果てた迅雷勇者の命を鮮明にまるで刑を執行する処刑人の瞳のごとき輝きでうつしだしていた。
「これで三人目か」
三人目の迅雷勇者。
その死体を食らう下級魔物たち。
血肉が飛び散り、充満するはイライザの残り香。
その香りは、迅雷勇者の血の臭いだった。
“「……っ…っ」”
最後の最後まで。
イライザは、ジークに虐め続けられた。
力を持つ前の勇者。
その存在は、魔王に手も足も出ない。
それが、はっきりした結果でもあった。
洞窟内に響く、咀嚼音。
それを聞きながら、ジークは手に握っていた折れた剣を用無しとばかりに投げ捨てる。
カランッと鳴り響く乾いた音。
その音の余韻が消え去らないうちに、ジークは次なる勇者へと意識を向けた。
***
疾風勇者。
長く続く名家の息子にして、風を極めし一族の血を引く者。
“「はははッ、これが才能の壁って奴さ!! 全てを兼ね備えたボクに勝てる奴なんてこの世に居ないッ、例え魔王であってもね!!」”
口を開けば周りを見下し、特にジークの虐めに関しては事あるごと首を突っ込んできた。
“「なぁ、ジーク」”
“「……っ」”
なぶられ、傷だらけになったジーク。
その側に膝をつき、フィンは言った。
嫌らしくその口元を歪め――
“「払うものを払ってくれれば、友達としてジークを守ってあげるよ。君のようなみすぼらしい奴の友達になろうと思ったら……そうだな、金貨100万枚でどうかな?」”
“「む、無理に決まっ――」”
“「そうだよね。君のご家庭はぼくの家と比べてちっぽけな底辺階級だったっけ? そりゃ無理だろうね。はははッ、虐められる奴にはそれなりの環境があるってことが改めてわかったよ!!」”
“「……っ」”
ジークななにも言い返せなかった。
フィンは、そんなジークの頭に唾を吐きかけ。
“「ずっと虐められててね、底辺くん」”
そう吐き捨て、その場を去っていった。
***
思い出された、フィンとの会話とその仕打ち。
それを噛み締め、魔王は踵を返す。
疾風勇者。
家が家だけに、既にジークが魔王となり勇者を討伐していっていることを掴んでいるに違いない。
そしておそらく。
いや、確実に金に糸目をつけず凄腕の傭兵や冒険家をその仲間に加えていることだろう。
加えて、依頼に向かった迅雷勇者とその仲間たちの行方不明。そして学園での虐殺。
その件に関しても、なにかしらの動きがあるかもしれない。
ジークはそう結論づけ、しかしその余裕は崩れない。
「ガウガウッ!!」
「ワオーン!!」
ジークの後。
そこに続く下級魔物たちの群れ。
その群れを一瞥し――
「後は魔王が殺る。お前たちとはここでお別れだ」
そう声を発し、魔王として別れを告げる。
ウルフたちはその意を汲み。
一吠えした後に、散り散りになり走り去っていった。
そしてジークは、歩みを進める。
空いた洞窟の穴。
そこに向かって、殺意を新たに向かっていく。
魔王は最強にして、最凶。
漆黒は更に深淵を増し、その力を増す。
全ての勇者に恐怖と絶望を。
全ての加虐者に死と後悔を。
そのジークの決意の焔。
それは決して、揺らぐことも消えることもない。