37
「セシル。ディラン。ペルセフォネ」
シオンは呟き、嬉しそうに笑う。
そしてゆっくりとその歩を進めながら、言葉を続けた。
「遅かったね。もう少しはやく来てくれたら……"全力"で反勇者のあなたたちと戦ってあげれたのに」
残念そうに声を響かせ、シオンは三人へと謝意を現す。
しかしシオンのことをよく知るセシルの目には、そのシオンの表情はとても愉しそうにうつっていた。
拳聖に戦意も敵意もない。
セシルはそう悟り、固めていた拳を解く。
「……」
そしてじっと。セシルは、シオンを見つめる。
拳聖の姿。
そこに、なにかを重ね合わせるようにして。
シオンもまた、そんなセシルになにかを重ねーー
「無音戦術。セシルの得意技だったっけ?」
そう声を発し、浮かべていた笑みを愉しそうなものから儚げなものへと変える。
セシルはちいさく頷き、ぽつりと声を返した。
「貴女から教わった最初の技」
「うんうん。そうだった、そうだった」
声を響かせ、足を止めるシオン。
そして。
「いいよ、セシル。相手、してあげる」
軽く拳を握りしめ、シオンはセシルへと笑いかける。
「セシルが勇者に酷い目に合わされたのは知ってる。仲間たちと一緒に魔王側に寝返ったのも理解できる。此度の勇者たちは、この拳聖でさえ、中立を破りそうになっちゃったし」
「……」
「だから、貴女の師匠として。セシルにどうこう思うことなんてない。ただ、ひとつだけ私と約束してくれたらね」
拳聖のオーラ。
それを纏い、シオンは強く拳を固める。
それを合図に、セシルは「無音戦術」と呟き、音を消し、姿を消す。
否、音を置き去りにし。
拳聖の懐。
そこに、潜り込んだセシル。
そして遅れて響く、セシルの風を切る音。
捉えた。
ディランとペルセフォネはそう内心で呟き。
セシルもまたそう確信し、その拳を"がら空きのはず"のシオンの腹部へとめり込ませようとした。
だが、降り注いだのは、「うん、及第点」という子どもを誉めるようなシオンの声。
同時に発動されるは、シオンの無音戦術だった。
「……っ」
「はい、セシルの負け」
セシルの背後。
そこに移動し、シオンはポンとセシルの肩に手を載せる。
セシルはしかし、シオンに対し敵意を向けるようなことはしない。
静かに拳を収め。
「……」
セシルは、シオンを見上げた。
そのセシルの眼差し。
それに、シオンは先程の言葉の続きをもって応える。
「約束っていうのはーー」
響いた、シオンの言葉。
その言葉を、ディランとペルセフォネも聞いた。
そして、魔王は、その拳聖と三人のやり取りに興味を示すことない。
闇に染まった空。
それを見上げーー
"復讐の先に待つのは悲壮じゃねぇ。この結末は、魔王にとっても被虐者にとっても最高の結末だ"
そう心の中で呟き。
改めて、全てが終わったことに対する満足と達成感にその表情を綻ばせた。
***
「此度の魔王は実に見事であったな」
「えぇ、予想以上でしたわね」
「やはり、あの者を魔王に選んだことは間違いではなかったようだ」
「これで今しばらくは光と闇のバランスが保たれるであろう」
天上の者。
そのジークを魔王に選んだ者たちは、自身の選択が誤っていなかったことに対し自画自賛を送っていた。
圧倒的な力による有無を言わせない蹂躙。
加虐勇者たちを情け容赦なく葬り去っていった、被虐魔王の闇を纏った姿。
「ふむ、人間の感情は扱いにくいモノとは思っておった。だがしかしーー」
「此度のように。なにかに対し強い恨みや憎悪を持つ人間に力を与えれば、我らの意のままに操れるということがわかったことでも収穫と言えようぞ」
笑い合う、神々。
しかし、その笑いを一人の神の言葉が遮った。
「負の感情。わたくしたち神の中にも、それをもった方が居てもおかしくはないでしょう」
「……」
「いつか我らも。ここより更に上の存在に操られ。下界で言うところの勇者と魔王に分かれ争う時がやってくるのかも知れませんね」
「あり得ぬ」
「そうですわ。神は人間とは違いますもの」
響いた声を一笑に伏せる神々たち。
だがその胸の内。
そこには確かに、不安という名の種が芽生えようとしていた。
***
魔法協会の解体。学園の取り壊し。
そして、大聖堂の改修と勇者たちの残した爪痕の抹消。
勇者が魔王に敗れ、世界はジークが言った通りに"為るように為っていった"。
反勇者を掲げ、暴徒と化していた人々。
その人々は勇者の死で勢いを無くし、そして拳聖を畏れ今や見る影もなく沈静化していた。
そして、今なお勇者を信じる者たちは魔王の死を心の底から願い、次の勇者の選定を待ち続ける。
それを表には出さず、己の胸の内で。
"「どんな世界になっても、それはあなたたちの選んだ選択。だから、最後の最後までこの世界の平和を願ってね」"
シオンの約束という名の言葉。
それを心の中で反芻し、ディランは見晴らしのいい丘の上から世界を見渡す。
そのディランの側。
そこには、木に寄りかかるペルセフォネと草の上に腰を下ろすセシルの姿もあった。
二人は風で髪を揺らし、どこか寂しそうに雰囲気を漂わせていた。
そして響いたのは、ディランの声。
「魔王が消えて、もう何日経った?」
それに応える、ペルセフォネとセシル。
「半月くらいかしら。最後に魔王を見たのは」
「……」
「そうか。もうそんなに経つんだな」
魔王。
その姿を三人は、さがし続けていた。
だが、未だ魔王の消息は掴めない。
「そろそろ。行こう」
そう声を発し、セシルは立ち上がる。
「ここは魔王の世界。きっとどこかに居る」
「そうね。セシルの言う通りよ」
セシルに倣い、ペルセフォネも続く。
その二人の姿。
それにディランは頷き、「そうだな」と応じ、決意に満ちた一歩を踏み出した。
そんな三人の姿。
それを、拳聖は遠目に見つめーー
"魔王の世界はまだまだ安泰"
そう内心で呟き。
愉しそうに微笑み、踵を返し、風と共にその場から立ち去った。
***
「……」
揺らぐ闇。
その闇を纏い、ジークはかつての被虐者の自分を思い出していた。
あの時、胸を焦がしていた憎悪は既にない。
今、ジークの胸にあるのはーー
"この世界から虐めを消す"という思い。
今や見る影もない学園という名の虐めの巣窟。
その残骸を掴み取り、ジークは言葉と共に"創城"の意思を表明する。
「虐めに正義なんてない。復讐に慈悲なんてもんは必要ねぇ。これが、被虐者の魔王自身のやり方だ」
そう呟き、創造されるは魔王の城。
砕けた校舎の破片。
それは闇に染まり、ジークの意思に倣って集まり融合し、魔王の象徴へとカタチを創っていく。
そして、魔王はその創られゆく城の前で体を反転させ、天上へと視線を向けた。
「魔王は必ず、この世界から人間を消してやる。魔王は逃げも隠れもしねぇ。この城で、全てを返り討ちにしてやる」
そう言葉を紡ぎ、ジークは嗤う。
天上には感謝している。
だが、いずれ。
天上は魔王の存在を、消しにかかってくる。
"魔王に恨みを持つ勇者の選定"
という手段をとって。
だが、ジークの思いは決して変わることはない。
"この俺の障害になるってんなら、天上であろうと容赦はしない。てめぇらに与えられた力。それをもって、全力で相手になってやる"
ジークの意思。
それと呼応し、深紅に燃ゆるジークの瞳。
目的の障害になるのなら、天上でさえも容赦はしない。
そんな意思と共に、闇を纏い踵を返すジーク。
そのジークの姿。
それはまさしくーー
最凶にして最強の被虐魔王そのものだった。
~fin~
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