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そんなカレンに、ペルセフォネは声を返す。
「貴女だって。此度の勇者のことを知れば、どちらに正義があるか分かるはず。魔法協会のお膝元でしょ、あの学園。だったら今回、勇者に選ばれた人たちの本性ぐらい知ってーー」
「知ったような口を叩かないでくれる? 魔王の玩具の分際で」
声音を変え、ペルセフォネの言葉を遮るカレン。
「世界を裏切り、魔王についた者の口。そこから発せられる言葉なんて聞くに値しないの。わかる? 勇者様は正義。魔王は悪。それは不変の理。例え、勇者様が"加虐者"だったとしてもね」
話しは終わり。
そう言わんばかりに、カレンは二人に向け魔法を撃ち放とうとした。
"大地裂傷"。
その地形を変える程の大魔法を。
ディランは剣を抜き、カレンの元へ疾走。
ペルセフォネもまた、魔力をたぎらせカレンを迎え撃とうとする。
だが、魔聖はそんな二人を歯牙にもかけない。
「私に近づかないで。魔王が伝染っちゃうじゃない」
吐き捨て、カレンは己の銀色の魔力を膨れ上がらせる。
それと呼応し、翼の形をとった銀色の魔力は羽ばくように前方にに向け風を巻き起こす。
まさしく、魔聖。
魔法において、この世界で並ぶ者なき神代の体現。
風圧に押され、抵抗することもままならないディランとペルセフォネ。
そんな二人を嘲笑い、カレンは改めて魔法をーー
しかし、その耳に。
「世界の大将気取りか、魔聖」
魔王の更なる嘲り声が入ってくる。
放たれた3つの最上位魔法。
それをモノともせず打ち消し、大口を叩いた魔法使いの元へと飛来する球体の形をした魔王の漆黒。
「な……っ」
驚きの声。
それをあげる前に、一人の魔法使いは魔王の餌食となる。
漆黒に飲まれ。
べきっ。ごきっ。
その闇に押し潰されていく魔法使い。
「……っ」
「お……畏れるな。まだこちらに分が」
ある。
そう言い終える前に、残った二人の眼前へと魔王は瞬時にその身を転移させる。
そして、有無を言わせずその命を握りつぶす。
一撃、二撃で。その闇を帯びた拳を、生気を無くした顔面へと叩き込んで。
吹き飛ばされ、転がり。
魔聖の足下。そこで、血だらけの顔を晒し息絶える二人の魔法使い。
カレンはしかし、退かない。
忌々しく、その死体を踏みつけ。
「始末するゴミが増えちゃったわね。せめて、魔王にかすり傷のひとつでもつけて死ねばよかったのに」
無機質に呟き、嗤うカレン。
魔王は、その魔聖を見定める。
握りしめられるは、血の滴る己の拳。
その瞳に宿るは、"純然たる障害"に対する魔王としての混じりけのない敵意。
それに気付き、カレンはディランとペルセフォネに向けていた殺意を魔王へと固定した。
「消えるのは、魔王。この世界に、魔王の勝つ未来なんてあり得ない」
「御託はいい。さっさと殺ってやるよ、魔聖」
響く二人の声は、互いに余裕に満ちている。
そして、魔王と魔聖は既に勝敗の決まっている戦いの火蓋を切って落とした。
交わるは、二つの力。
魔聖の力と、魔王の力。
固唾を飲み、その光景を見守ることしかできないディランとペルセフォネ。
そして発動される、魔王の転移。
その闇に包まれゆくジークの姿。
それをカレンは愉しそうに見つめる。
「荒削りね、その転移魔法」
呟き。
己の背後。
そこに転移し、拳を奮おうとしたジークを仰ぎ見る魔聖。
「そんなに殺気を漂わせてちゃ、相手に自分の位置を教えているようなもの。魔法を知らない剣聖や未熟な勇者たちには通用したかもしれない。だけど、私にはーー」
放たれた、ジークの闇を帯びた拳。
それを軽く片手で受け止め、カレンは言葉を続けた。
「通用しないの。この拳だって、まだまだ中途半端。拳聖の拳に比べたら、ね?」
カレンの瞳。
そこに灯る、魔王に対する余裕。
ゆっくりと。
ジークの拳を握りしめーー
「反射」
そう囁くカレン。
瞬間。
「ーーッ」
ジークの全身を貫く、鋭く重い衝撃。
ぐらりと揺れる、ジークの頭。
軋み悲鳴をあげる、ジークの身体の内側。
その反応を愉しみ、カレンは嗜虐に満ちた表情を称える。
「どう、魔王様。自分の力で傷を負い苦しむ感触は? 反射って魔法なの、これ。受けた攻撃をそのまま相手に返すっていう……この世界では私しか使えない魔法」
ピクリと痙攣し。
ぽたりとその口から血を滴らせる、ジーク。
その様は、かつての被虐者そのもの。
「所詮、これが今回の魔王。まっ、元が虐められっ子なら仕方ないか」
蔑みと共に腰を下ろし、膝を折ったジークへと目線を合わせるカレン。
そして、更にジークを貶める。
「貴方のご両親もそんな風に私の前で膝をついてたわね。だから言ってあげたの。"倍の学費を協会に納めれば虐めを無くしてあげる。勿論、貴方のご子息には秘密にして"ってね」
「……」
「でも倍の学費を納める前にーー後は、わかるわよね? まっ、学費を納めたところで私は貴方に対する虐めを黙認しただろうけど」
反応を示さない、ジーク。
その姿に、カレンはジークの心が完璧に砕かれたと悟る。
そしてーー
「泣いてるの? そんなに身体を震わせて。ならその泣きっ面をよく見せて。魔王の泣き顔なんてそうそう見れるものじゃないわ」
そう声を発し、ジークの髪を掴み持ち上げたカレン。
刹那。
魔聖の表情が凍りつく。
こちらを見据える、ジークの瞳。
その瞳は、先程までカレンを見据えていたソレではなかった。
深紅ではなく、闇に埋もれた双眸。
そして、口元から滴る血は赤ではなく漆黒。
「……っ」
息を飲み手を離し、カレンはその場からの忌避を図ろうとした。
相手を畏れ。突き付けられた刃から少しでも身を置こうとする決闘の敗北者のように。
だが、魔王はそれを赦さない。
いや、赦すはずもなかった。
「何処に行く、魔聖」
立ち上がり。
「少し強くいくぞ」
響くジークの声。
それは、魔聖の余裕を絶望に変えるには充分だった。
こんな、こと。
焦燥を滲ませ、胸の内でカレンは呟く。
こんなこと。
あり得てはならない。
「ごほっ」
血ヘドを吐き。汗を滴らせ。
カレンは、石畳に両手両膝をつきその身を震わせる。
"「少し強くいくぞ」"
そんな言葉が響いた瞬間、魔聖は為す術もなく魔王の玩具に成り果てた。
闇に彩られた魔王の瞳。
それに見られただけで、身体が自由を失い。
漆黒を帯びた魔王の手のひら。
それを向けられただけで、内臓が悲鳴をあげた。
勢いを増していた己の銀色の魔力。
それは魔聖の畏怖に呼応し、もはや見る影もない。
「随分と苦しそうだな」
カレンに語りかける、ジーク。
その声に宿るのは、最強を弄ぶ最凶の感情。
「こ、こんなこと……あり、えない」
顔を上にあげ、カレンはこちらを見下ろす魔王を見上げる。
突き刺すような、ジークの眼差し。
そこには、これから罪人の首を斬り落とす執行人のような冷徹で混じりけのない殺気で満ちていた。
唇を噛み締めーー
「あ……あり得ないッ、この魔聖が。このわたしがッ、被虐魔王のあんたに遅れをとる!? 何様? ねぇ、何様なの? 少し強くいくって? 身の程を弁えろってッ、被虐者!!」
汗を散らし、カレンは吠える。
全身に力を込め、ふらつきながら立ち上がるカレン。
そして、一歩二歩三歩と後退りをし、痛みを堪えながら魔王へと抗う。
震え、かざされたのはカレンの手のひら。
その満身創痍のカレンに、魔王は応えた。
「反射だったか? いいだろう。もう一度、やってみせろ」
先程とは比べ物にならない程に濃く深淵とした闇。
それを、己の握りしめた拳に纏わせながら。
狂ったように、カレンは嗤う。
そして、叫ぶ。
「やってやるッ、やってやるッ、やってやる!!」
汚い声音が表すのは、カレンの本性。
目を見開き、カレンは魔王の拳を受け止め、再び反射することを決意する。
銀色の魔力。
それを、一点に。
かざした自分の手のひらに集中させて。
「来なさいッ、魔王!! 返り討ちにしてやる」
「……」
カレンの迎撃態勢。
それが整ったことを確信し、ジークはゆっくりとカレンの元へと歩み寄る。
言葉を発することなく。
自身の身から漂う闇。
それを、従者のように従えながら。
そして、魔聖の眼前。
そこで足を止め、ジークは"反射"のかかったカレンの手のひらに向けーー
言葉通りに、少し強く拳を叩き込んだ。
瞬間。
鈍く砕ける音。
それが周囲に響き、魔王の拳を受けたカレンの腕が弾け飛ぶ。
「ーーッ」
「次は、顔を狙うぞ」
返り血。
それを受け、しかしジークは気に止めない。
「っ……ぐ」
痛みさえ忘れ。
あまりの衝撃に後ろに倒れそうになるカレン。
だが、ジークはそのカレンの胸ぐらを引き寄せ、逆手の拳を固めた。
「や……めっ……じ、じ……く」
もはや、生気などない。
そこに有るのは、魔聖ではなく命を狩り取られる寸前の矮小な人間の姿。
「今更命乞いか。情けねぇな、魔聖」
「……っ」
「命乞いをする暇があるなら。あの世で勇者たちにかける言葉でも考えとけ、魔法の皮を被った雌犬が」
容赦。慈悲。情け。
そんな感情を捨てた魔王の言葉と、表情。
そして、ジークは叩き込む。カレンの顔面へと。
魔聖の命の灯火。
それを完全に消し去る、決意のこもった拳を。
だらんと垂れ下がる、カレンの身体。
ぴくりぴくりと痙攣を繰り返し、カレンは顔面から漏れ出し滴り落ちる自身の血に染まっていく。
その、己の身を赤黒い自分の血で染め上げていく様はまるで赤ワインを注ぎすぎたワイングラスのようだった。
じっと。じっと。
ジークは、弱まっていくカレンの姿を凝視する。
カレンの完全なる死。
それを確認する為、底無しの闇が宿った双眸を大きく見開いて――。
やがて、治まるカレンの痙攣。
その死を確認し、ジークは躊躇いなく顔面に埋もれた自身の拳を引き抜く。
途端に血が飛び散り、ドッと前のめりに倒れ伏せる――魔聖の死体。
死体から広がる赤黒い血。
それは、石畳を浸食し広がっていく。
そんなカレンの死を見下ろし、「もう用は無い」と言わんばかりに、魔王はその身を翻す。
白い粒子となり、霧散していくカレンの魔力。
同時に解かれていく結界。
巨大な六芒星はその色を無くし、魔王を王都に縛るモノはもはや存在しない。
剣聖と魔聖。
その2つは魔王の前に消滅。
残る障害は、拳聖。
そして、最後の勇者であるガイアのみ。
魔王と被虐者。
その2つの存在の願望。
それは、ようやく後少しで叶えられようとしていた。




