30
だからこそ、ここで。
ディランは、剣聖と決着をつけなければならない。
剣を抜きーー
「ディル、俺は魔王につく。此度の勇者に正義はない」
そう声を発し、ディランは覚悟を決める。
黒髪を揺らし、ディルを見定め。
ディランは流れるように剣を振る。
響いたディランの言葉と、覚悟を決めた仕草。
それを胸の内で反芻し、ディルはディランを宿敵ではなく仇敵だと認識した。
血濡れた剣の刃。
その先端でディランを指し示す剣聖。
そこに宿っているのはディランに対する混じりけのない憎悪と侮蔑。そして紡がれるは、剣聖として発するディランに対する最後の言葉。
「その口で正義を語るな。此度の勇者に正義はない? だからといって、これまでの勇者様が築いてきたモノが崩れて良いということにはならぬ。魔王は絶対的に悪だ」
「……」
「掃討、貴様はもはや獣と同義。なればこの剣聖が、その命に終止符を打ってやろう。やはり貴様は勇者様に選ばれるべき器ではなかったのだ」
自らの声の余韻。
それが消えぬ内に、ディルは駆ける。
ディランに向けて。
かつて自分に敗れ、しかし勇者に選ばれた半端者の命を刈り取る為に。
それを迎え撃つ、掃討。
剣聖の強さ。
それは、ディラン自身がよく知っている。
だが、ディランもまた敗れるわけにはいかない。
"「この世界が平和で有り続けることが俺たちの望みだ」"
そんな言葉を発していたかつての勇者たち。
だからこそ、そんな勇者たちの思いの為に。
人の心のない此度の勇者たちに世界を託すわけにはいかない。
ぶつかり合う二人の思い。
周囲に散る、火花。
「やはり、貴様は半端者だ」
響くは、ディルの声。
片手のみに剣を握り、ディランの剣を捌き、ディルはディランを押し返していく。
「お前と遊んでいる暇はない。剣聖にはまだやるべきことが残っているのだからな」
暴徒と言う名の獣の駆逐。
そして勇者の側につき、命をかけて世界の歪みを正すという使命。
それが、剣聖のやるべきこと。
ディランの剣。
それを弾き飛ばしーー
「トドメだ、掃討」
無機質に吐き捨て、姿勢を崩したディランへと剣を振り下ろそうとするディル。
その瞳には、かつての己がディランに対して抱いていた羨望が失意と変わり灯っていた。
その、刹那。
「誰が正義。誰が悪。んなもん、魔王にとっちゃどうでもいいんだよ」
ディルとディランの間。
そこに割り込む、魔王の声。
漆黒を纏い、そしてその瞳に深紅を宿し。
「俺は俺を虐めてた勇者共が苦しみ、後悔し、魔王の手にかかって死にさえすればそれでいいんだからな」
そんな声を響かせ、魔王はそこに顕現した。
軋む空間。
溢れる、圧倒的な闇の力。
剣聖はディランから意思を逸らし、魔王へと敵意という名の矛先を向ける。
「魔王」
魔王の名を呟き、ジークを見つめたディル。
その瞳には純粋な敵意のみが宿っていた。
ディルの眼差し。
それに、ジークは応える。
「剣聖。魔王はてめぇにとっちゃ絶対悪なんだよな? そして勇者が絶対正義なんだろ? なら……てめぇも、俺の障害だ。ここで、軽く始末してやる」
「やれるものならやってみろ。この剣聖の命、そう容易くはないぞ」
「そりゃ愉しみだ」
対峙する、二人の者。
陰った日の光に照らされる、魔王と剣聖。
二人の表情は互いに引き締まり、しかしジークの口元は僅かに綻んでいた。
漆黒のローブ。
それを揺らし、闇を剣のカタチにし握る、ジーク。
その剣の刃。そこは漆黒に満ち一切の輝きもない。
ディルもまた、赤く濡れた剣を構え姿勢を低くした。
流れるように。それこそ、一切の無駄もなく。
「いくぞ」
響く、ディルの声。
それを狼煙に、ディルはジークに向け「縮地」と呟いた。
瞬間。
ジークの背後。
そこに、ディルが姿を現す。
まさしく音を置き去りにして。
だが、ジークは一切の反応も示さない。
その姿を"反応さえできなかった"とディルは受けとりーー
「終わりだ、魔王」
そう呟き、ディルは渾身の力で剣を振り払おうとした。
しかし、その間際。
魔王は、ゆっくりと後ろを仰ぎ見る。
そして、声を発した。
「殺れ、剣聖。魔王の命をとる最後の機会かもしれねぇぞ」
余裕に満ちた魔王の表情。
対照的に強張るは、剣聖の表情。
なにを恐れている。
なにを、畏れている。
震える、ディルの振り上げられた剣。
膨れ上がるは魔王に対する畏怖。
だが、ディルはそれを懸命に押さえ込み、ジークに向け剣を振り下ろした。
そして砕けたのは魔王の命ーーではなく。
「やはり、ただの人の力はこの程度か」
「……っ」
満身創痍で振り下ろされた、剣聖の思いのこもった剣だった。
たたらを踏み、後退するディル。
その表情には、先ほどまでの剣聖としての誇りは微塵もない。
「さて、次はこっちから行かせてもらうぞ」
闇と共に身体を反転させ。
ジークは、漆黒の剣で風を切る。
吹き抜ける、闇を帯びた風。
それはディルの鎧を蝕み、錆びのように侵食していく。
次元が違う。
もはや、この魔王を止められる者は創造勇者しか居ない。
抗いを諦め、その場に両膝をつくディル。
その眼前に歩み寄りーー
「俺はこの世界の行く末なんてものはどうでもいい。ただ魔王として、勇者共に復讐さえ果たすことができればな」
そう声を残し、ジークは剣聖へと漆黒の剣を無慈悲に振り下ろした。
消えた、三聖の一角の命の灯火。
己の血溜まりに伏せ、ぴくりとも動かなくなった剣聖。
その様を見下ろし一切表情を変えることなく。
己の握る漆黒の剣を霧散させていく、ジーク。
その魔王と剣聖の始終。
それを見届け、ディランの胸に込み上げるのは高揚ではなかった。
"「勇者様の側で。しっかり腕を磨き俺を越えてみせろ、ディラン。それが果たされた時、俺はお前のことを認めてやる」"
甦る、若き日のディルの言葉。
悔しさを押し殺し、ディランの背中を押した剣聖の手向けの言葉。
最期まで、越えることができなかった。
最期まで、掃討は剣聖を越えることができなかった。
半端者。
そのディルの言葉が、ディランの心に棘のように突き刺ささったままになっている。
そんなディランを一瞥し、しかし魔王は声をかけることなどしない。
情などに振り回されていたら、自身の目的が中途半端なものになってしまうとジークは知っている。
そして既に、魔王の意識は剣聖にあらず。
その意識は、次のジークの標的。
創造勇者と。
残りの二聖。
へと向けられていた。




