27
魔王のオーラ。それに穢された夜の風。
それが室内に吹き込み、カイトとその仲間の髪を揺らす。
砕けた破片。
それも黒く染まり、魔王の従える闇の禍々しさを物語っていた。
「ま、魔王」
呟き、ぼたりと汗を滴らせる剣術士。
それに合わせ、魔術士と治癒術士もまたその顔を畏怖に彩り小刻みに身体を震わせる。
魔王は、しかし。
「……」
一言も声を発することなく、己の足を前に一歩踏み出す。
深紅の瞳。そこに、時勇者の姿を鮮明に捉えながら。
カイトは未だ、後ろを振り返ることができない。
その額にびっしりと汗を滲ませ、ただジークの視線をその背で受けることしかできずにいた。
ミシリ。
床を踏みしめる、魔王。
それと呼応し、室内の空気もまた重く冷たくなる。
そして――
ジークはカイトの数歩後ろに佇み、声を発した。
「時勇者。こっちの世界でもこの魔王を楽しませてくれよ」
「……っ」
息を飲む、カイト。
それを見つめながら、ジークは更に言葉を続ける。
「随分と威勢よく。お仲間さんたちに当たり散らしていたな、カイト。てめぇが選んだ手段で失敗した癖に。よくもまぁ、あそこまで周囲を罵れるよな」
そう言い、ジークはカイトの仲間たちを一瞥。
皆、魔王の姿に怯えかろうじて立っているのは剣術士のみ。
魔術士と治癒術士はその場にへたりこみ、ただジークを畏怖することしかできずにいた。
そこに唐突に響く、カイトの声。
「お、俺の選んだ手段じゃない」
「……」
ジークは無言で、カイトの言葉の続きを待つ。
身体を反転させる、カイト。
そしてその顔に作り笑みを浮かべ、更に言葉を続ける。
「こ、こいつらが俺にそうしろって言ったんだ。過去に戻ってジークを殺せば万事解決だって」
仲間たちに視線を向け――
「お、俺はジークを虐めていた奴を消していじめをなくそうとしたんだ。そ……それをこいつらが俺をよってたかって脅してきやがったんだ。ジークを殺せジークを消せってな」
カイトは己の仲間を平然と貶め、自分の罪を少しでも軽くしようとした。
その様に、時勇者の自尊心は微塵もない。
だが、魔王はちいさく頷く。
そして――
「なら、てめぇじゃなくこいつらが悪いってことか」
そう声を発し、仲間たちへと意識を向ける。
仲間たちはカイトの言葉に反論さえできず、失意のどん底へと落とされていた。
もはや、時勇者は時勇者にあらず。
そんな心境に、既に三人は落ちてしまっている。
「そ、そうだ。俺じゃなくこの三人が――」
悪い。
そう言い切る前に、魔王の拳がカイトの顔面を捉える。
その衝撃に吹き飛ぶ、カイト。
そして、ジークは嫌悪に満ちた声を響かせた。
「これで更に惨たらしく、てめぇを殺せる」
「ぐ……っそ」
頬を腫らし、己の撒いた種の餌食になるカイト。
その口元からは一筋の血が滴り、そしてその眼光は弱々しい。それはまるで処刑台に首を預けた罪人のよう。
そんなカイトに注がれるのは、嫌悪に染まった魔王の視線と時勇者の"仲間だった"者たちの失意に満ちた眼差しだった。
「とま…れっ。とまれ止まれ!!」
死に物狂いで、カイトは再び時間停止を発動させようする。
無駄だとは理解している、カイト。
しかし、数秒でも時間を稼ぐことができれば今すぐ魔王に殺されることはない。
その時間で、治癒術士あたりを人質にとってやれば剣術士と魔術士を駒に魔王から逃れることができるかもしれない。
"「治癒術士を殺されたくなかったら、俺の盾になれ」"
そう命じてやればーー
「止まるのはてめぇの鼓動だ」
「な……っ」
瞬きの間。
その間に、魔王はカイトの眼前へと現れた。
いや、現れたのではなく。
時を止め、カイトの前に歩み寄ったに過ぎない。
「言ったよな、時勇者」
魔王の言葉。その殺意と嫌悪に染まった声。
それはカイトの最期の足掻きを砕く宣告。
汗で湿ったカイトの髪。
それを掴みーー
「てめぇにできることが魔王にできないはずがない。もう忘れたのか? あっちの世界で俺がてめぇに言ったことを」
魔王は忌々しく吐き捨てた。
"「未熟な勇者風情ができることを、この魔王ができねぇとでも思ってんのか?」"
カイトは思い出す。
思い出したくない魔王の言葉。
それを、鮮明に己の脳裏に甦らせてしまう。
「ま、まさ……か」
「そのまさかだ」
「と、時をーー」
止めたのか?
カイトの問いかけ。
それが響く前に、魔王は加虐者の声真似をする。
向こうの世界。そこで、垣間見た時勇者の本性。
それを、ジークは高らかに響かせた。
「はははッ、やっぱりてめぇは虐められっこがお似合いだ!!」
同時にあがるカイトの絶叫。
見開かれたカイトの両目。その右目。
そこに、躊躇いなく捩じ込まれるは魔王の闇を帯びた指。
ぐちゃりと飛び散る血肉。
ふらつく、カイトの身体。
「ぁ……が…っ。ひ、ひーぐ。だ、だす……げて」
反対の目から涙を流し、カイトはジークに許しを乞う。
だが、魔王の辞書に容赦の二文字はない。
崩れ落ちそうになるカイト。
その髪を強く引っ張り、ジークは嗤う。
「時勇者、こっちの魔王は甘くはない。この程度で死ねると思うなよ?」
「……っ」
「諦めろ、他の勇者共も辿った末路だ。恨むんなら俺を虐めてた過去の時勇者様の所業を恨むこったな」
指を抜き。カイトの潤む左目。
そこへ意識を向ける魔王。
その眼差し。
そこにはやはり一欠片も慈悲はない。
カイトは己のとった手段を恨む。
あの時。
ジークを殺す選択ではなくジークを救う選択をとっていれば、こんな結末にはならなかった。
「あの時。あの時。あの、とき」
感情のこもっていない、カイトのうわ言。
そのカイトの心。それを見透かす、魔王。
そして、ジークはトドメとばかりに言葉を発した。
「俺が魔王に選ばれた瞬間。その瞬間から加虐勇者共の運命は決まっている。あの時? んなもん、魔王にとっちゃ関係ねぇんだよ」
話は終わりだ。
そう言わんばかりに、魔王はカイトの左目に指をねじ込む。
再び響く、カイトの叫び。
その叫び。
それをカイトの仲間たちは聴くことしかできなかった。
虚ろな瞳で。
それこそ、その場で自らの命を絶ってしまいそうな表情で。
時勇者。
勇者として信じた結果が、この様。
もはや、この世界はーー
魔王に堕ちる。
それは、勇者たち自らが選んだ結末。
そして、その勇者たちを選んだ世界の終焉。
闇に染まる、世界の行く末。
その闇を散らす光。
それはもう、僅かな一筋しか残されていない。
創造勇者。
その一人しか、存在していなかった。




