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「おにぃちゃんっ」
「がんばれっ、もうちょっとだ!!」
「……っ」
「もうちょっとで……っ。勇者様がぼくたちをたすけてくれる」
息を切らし、火の粉舞う王都を駆ける幼い兄妹。
その頬は煤で汚れ、纏った服も所々が焦げ穴が空いてしまっている。
反勇者。
それを掲げた暴徒。
その狂気が、二人の脳裏に甦る。
~~~
“「ここが今まで。勇者に媚びを売り続けていた宿屋か?」”
そんな声を響かせ、歪んだ思いに支配された人々は宿屋へと押し入った。
扉を蹴り壊し、その手に剣を握りしめながら。
“「皆殺しだ。勇者が来る前に」”
嗤い、人々は宿屋の主人とその妻をカウンターから引きずり出し取り囲む。
そして――
許しを乞うた主人の首を斬り落とし、その妻を嗤いながら八つ裂きにした。
その光景を幼い兄妹は見てしまった。
開かれた扉の隙間。
そこから、自分の親が殺される光景を。
~~~
「見つけたぞッ、ガキ共め!!」
「逃げられると思うなよッ、お前らの命も魔王様の贄に捧げてやる!!」
殺気に彩られた怒声。
それと共に、瓦礫の破片が次々と投擲される。
その矛先は明らかに、幼い兄妹へと向けられていた。
二人は懸命に走った。
その目に涙を潤ませながら。
“「……」”
無機質で、しかし優しく自分たちの頭を撫でてくれた闇刃勇者の面影。
それを思いだしながら。
しかし――
ごきっ。
染み渡った鈍い音。
どさりっ。
倒れ伏せた、人の音。
「お……にぃ…ちゃ」
消え入りそうな声。
振り返る、少年。
その眼下。そこには。
頭から血を流し、ピクリと痙攣する妹の姿があった。
真っ白に染まる、少年の頭の中。
膝を付き、少年は途切れ途切れに声を漏らす。
「ゆ……ゆうしゃさま。ゆうしゃさまが……た、たすけて……くれくれ……る」
それを嗤う、人々。
「はははッ、勇者が助けにくるはずねぇだろ!!」
「信じてぇならあの世で信じてろ!!」
倒れた少女と、生気を無くした少年。
その二人を囲み、剣を振り上げる人々。
惨劇という名の幕。
それが上がり、狂気の宴がはじまろうとする。
だが、それを――
闇刃勇者の力が遮った。
ゆらりと揺れる、クロエの影。
それに合わせ、周囲の意思なき闇はクロエの意思と呼応する。
暴徒たちの足元。
そこが漆黒に染まり、身体へとまとわりついていく。
そして、封じられるは身動き。
暴徒たちの額。
そこに滲むは、大粒の汗。
その対象を見据え、紡がれる闇刃勇者の言葉。
「私は、もう見捨てない」
クロエの瞳。
そこに宿る、かつての自分への贖罪。
そして、奮われる勇者の力。
暴徒にまとわりつく、闇。
そこに宿るクロエの意思。
「ぁ……がっ」
「……っ」
全身を、まるで巨大な蛇に締め上げられるように圧迫される暴徒たち。
そして、数刻後。
暴徒たちはクロエの意思持つ闇にその身を砕かれ、そのまま闇に飲み込まれる。
後に残ったのは、主を失った剣。
カランッと音をたて、石畳に転がるソレはこの世に唯一残された暴徒たちの遺品だった。
瀕死の妹。
その血だらけになった大切な家族を、少年は膝の上に抱き抱える。
そして――
「ほ、ほら……ゆうしゃさまがきてくれた。に、にいちゃんのいったとおり……だろ」
涙を堪え、震えながら少年は少女に語りかける。
「だ……だから。ありがとう……って」
冷たくなっていく少女の手のひら。
それを握りしめ、少年は涙を溢す。
その兄の涙。
それに幼い妹はにこりと笑い、言葉を紡ぐ。
最後の力。
それを振り絞って。
「あり……とう、ゆうしゃ…さま」
「……っ」
「おいに……ちゃんも、あ……とう」
兄の汚れた頬。
そこに触れ、幼い妹は笑ったまま涙を溢す。
そして、ゆっくりと瞼を閉じ。
ちいさな命は、その灯火を散らした。
響く、幼い嗚咽。
クロエは、その少年の元へと歩み寄る。
闇を揺らめかせ、その瞳に勇者の力を宿しながら。
こんな世界になったのは、誰のせいだろう?
自身に、クロエは問いかける。
こんな風に世界が歪んだのは、誰が悪いんだろう?
クロエの脳裏に甦る虐めの光景。
魔王が悪い?
違う、悪いのは――
「私を含めた勇者」
呟き、クロエはその足を止める。
少年のすぐ後ろ。その手を伸ばせば届きそうな場所で。
熱く染まった大気。
それは、人々の反勇者の心の表れ。
そして至るところからあがる怒声と悲鳴。
それは、勇者に絶望した者と勇者に希望を見いだす者たちの心の表れ。
「だから、私が責任をとる」
少年に語りかけるように、クロエは声を発した。
その身に闇を纏わせ、その無機質な瞳に勇者としての決意を宿して。
刹那。
音が消え、空間が軋む。
そして、クロエは感じた。
己の背後。
そこに突き刺さる、何者かの視線を。
クロエはゆっくりと、後ろを仰ぎ見る。
その胸にひとつの確信を抱きながら。
果たして、その確信は――
「魔王」
溢れたクロエの短い言葉。
それによって、揺るがない現実へと変わる。
漆黒に染まる火の粉。
そして、吹ける風にその髪を揺らし、ジークはその瞳にクロエをおさめた。
「闇刃勇者」
名を呟き。
ジークは、思い出す。
“「……っ」”
ローブを破かれ。
白い肌を露に晒されて、暴行され。
その頭を笑いながら踏みつけられ、震え怯えていたクロエの姿を。
自分と同じ、虐めを受けていた者。
そして互いに魔王と勇者に選ばれた者。
「……」
クロエは、ジークを見つめる。
そして、流れるようにその身体をジークのほうへと向け、その足を一歩踏み出す。
追従する、闇刃勇者の闇。
それはまるで、クロエを主として付き従う忠犬のよう。
その姿に、魔王もまた漆黒を帯びた足を踏みしめる。
魔王と勇者。
その二つの存在は、決して相容れることはない。
たとえそれが、境遇を同じくする被虐者だとしても。
はじまるは、魔王と勇者の戦い。
「クロエ」
被虐魔王の声と。
「ジーク」
被虐勇者の呟き。
その二つの余韻は今、殺し合いという名の火蓋を切り落とした。




