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聖光勇者。
その死の知らせを受けた時、シリウスは悔しさのあまりテーブルを強く叩いた。
そして感情のままに、声を吐き出した。
「ソフィーナが死んだ? 嘘をつくんじゃねぇぞッ、おい!!」
「うッ、嘘なんかじゃねぇって!! ソフィーナは魔王に殺られたんだ!!」
対面に座る、男。
その胸ぐらを身を乗りだし掴み、シリウスは吠える。
「そッ、ソフィーナが負けるはずねぇだろ!? 魔王? はッ、あんな底辺被虐者の雑魚野郎に聖光勇者が敗れるわけがねぇ!! 他の勇者もそうだ!! ほんとにあの魔王が殺ったってんならッ、俺が仇を――ッ」
「落ち着けッ、シリウス!! お前が騒いだところでソフィーナはもう帰ってこない!!」
「……っ」
男の言葉。
それに勢いをなくし、シリウスは力無く椅子へとへたりこむ。
“「シリウスの剣の腕はすごいね」”
そう言って微笑んでくれた、ソフィーナ。
その姿はまさしく、シリウスにとって天使そのものだった。
~~~
学園で行われた、実技試験。
そこで、後に焔勇者に選ばれるアレンを相手にシリウスは完敗を喫した。
全てが規格外。
ハンデをもらってもなお、シリウスはアレンの足元にも及ばなかった。
最初の一撃。
そこで木刀を弾かれ、シリウスはアレンの前に膝を折る。
そして――
“「シリウス。お前、いいもんもってんな。あともうちょい剣術を極めれば、本気で俺とやりあえる素質はもってる」”
しゃがみ。
シリウスと目線を合わせたアレンにそう声をかけられ、シリウスはポンと肩を叩かれた。
“「もし俺が勇者に選ばれたらお前を仲間に加えたい。まっ、勇者に選ばれたらの話だけどな」”
アレンの言葉。
本来なら喜ぶべき言葉。
だが、シリウスの胸の内は悔しさで張り裂けそうだった。
そして、シリウスは誓う。
いつか必ず、剣術を極め。
勇者に選ばれてやると。
実技試験の後。
シリウスはソフィーナに声をかけられた。
“「お疲れ様、シリウス」”
シリウスは顔を伏せ、ソフィーナを直視することができなかった。
“「アレンがね、言ってたよ」”
“「……」”
“「シリウスは強くなる。きっと、いつか勇者に選ばれる逸材だって」”
“「慰めなんていらねぇよ、ソフィーナ。俺はアレンに負けた。完膚なきまでに、負けた」”
込み上げる、悔しさ。
それを堪え、シリウスはその身を震わせた。
ソフィーナはそんなシリウスに、微笑み言葉をかける。
“「シリウス。いつか貴方が勇者になった時、一緒に旅をしましょう。わたしはそれまで、誰の手をとることもありません」”
その言葉は、シリウスの胸に深く刻まれ。
そして、シリウスが剣術を極めるきっかけになる言葉でもあった。
~~~
だからこそ。
シリウスは魔王を許すことができなかった。
「……」
意を決し、椅子から立ち上がるシリウス。
その眼光は鋭く、ジークに対する殺意で濁っている。
「お……おい、シリウス」
「ジークを殺る。勇者の仇。ソフィーナの無念を晴らしてやる。あのいじめられっこが、魔王? それに勇者を五人も殺した? はっ、んなもん信じられるか」
腰にささった己の剣。
その柄を握りしめ、シリウスはその身を翻す。
シリウスの剣術。
それは、今や勇者に遅れはとらぬほどに上達していた。
しかし、シリウスは知る由もない。
魔王の力。
それはもはや、人知の及ぶ境地を遥かに凌駕しているということを――。
絶対的な差。絶望的な力の差。
圧倒的な強者による命の搾取。
揺れる、漆黒。
迸った、闇色の稲妻。
こちらを見据えたその者の双眼。
そこには、愉悦という名の焔が踊っていた。
魔王。
その姿を視界に収めた瞬間――
「……っ」
シリウスの殺意という名の牙。
それは、ものの見事にへし折られてしまう。
「騎士様」
戦意を喪い、小刻みにその身を震わせるシリウス。
その名を呟き、ジークはゆっくりとシリウスとの距離を詰めていく。
その身は雨風に濡れ、その口元はまるで小動物をなぶり殺しにしようとする子どものように歪んでいた。
ぽたりと滴る、シリウスの汗。
抜かれた剣。
その柄を握るシリウスの手のひらはカタカタと震え、もはやジークに対する戦意は微塵も感じられなかった。
“「自分でなんとかしろよ、ジーク。周りがなんとかしてくれると思うな、クズ野郎」”
思い出したくない、自分と被虐者との光景。
“「俺は勇者に選ばれる為にこれからも必死に努力する。てめぇと違って、俺は自分の意思っつうもんをしっかり持ってるからな。なっ、底辺くん」”
ジークの助けを求めた手。
それを踏みにじり、シリウスは笑っていた。
しかし今は、その立場は逆転していた。
「来いよ、シリウス。ソフィーナの仇をとるんだろ?」
「あッ、あぁ!! おッ、俺は――ッ」
「ならさっさと来いよ、腰抜け」
吐き捨て、ジークは自身の身に漆黒を纏わせる。
刹那。
ジークの姿。
それが、シリウスの背後へと現れる。
そして同時に響く、魔王の声。
「さて、シリウス。生憎、俺にはてめぇと戯れている時間はない。悪いが、一瞬で終わらせてもらう」
「なッ、舐めるな!! 俺はいずれ勇者になるッ、勇者になって世界を救ってッ、いずれ魔王を倒してみせる!!」
シリウスは虚勢をはり、後ろへ振り返ろうとした。
しかし、ジークはそのシリウスの首を一瞬の元に捻り千切る。
飛び散る、鮮血。
それを浴び、ジークは忌々しく舌打ちを鳴らす。
そして――
「闇炎」
と呟き、シリウスの首と惨めに倒れる首無き亡骸を闇の炎によって跡形もなく焼き尽くす。
ジークの意識。
それはもはや、シリウスには向いていない。
雨風に流され、霧散するシリウスの灰。
その様を無機質に見届け、ジークはその身を翻す。
そのジークの身は漆黒に包容され、その魔王の心もまた深淵の負の感情という名の闇に埋め尽くされていた――。
***
魔王。
その脅威に、世界は臨戦態勢に移行しつつあった。
大聖堂の崩壊。
選定された勇者たちの完全なる敗北。
そして、魔王の持つ計り知れぬ力とこれまでにないほどに勇者に対する憎悪を露にする無慈悲さ。
それは明らかに、これまでの“魔王”とは一線を画す。
魔王が何故これほどまでに勇者を恨みそして憎むのか。その訳を探り、世界は魔王に対抗する術を見つけようとしていた。
***
「魔王の野郎。随分と調子がいいじゃねぇか」
「そうですね。まさか魔王になって世界をここまで混乱に陥れるとは」
「ラッキーだね。このままジークが“俺たち”の為に勇者共を潰してくれりゃ、楽して救世主になれちまう」
そんな言葉を口々に発し、堅牢勇者とその取り巻きは誇らしげに鼻を鳴らす。
場所は客の居ない酒場。
人々は魔王の影に怯え、皆自分たちの家の中に閉じこもってしまっていた。
「ははは。今日は貸し切りだな、こりゃ。俺たちなら魔王が来ても、大丈夫だもんな。ははは!!」
鍛えぬかれた身体。そしてそれを覆う漆黒の鎧。
その髪は黒。その瞳は、全てを己より下に見る自尊心に彩られたその男の名はゴウライ。
堅牢勇者に選ばれた一人である。
堅牢勇者。
鉄壁の耐性をその力とし、極めればどんな攻撃や魔法にも耐えうる生命力を発揮する最硬の勇者。
そんな堅牢勇者とその取り巻きは、魔王のことを何故か恐れてはいなかった。
その訳は――
「あいつは俺たちが守ってやったことを忘れてない。みんなの虐めから守ってやった恩をまだ覚えているはずだ」
響くゴウライの声。
それが、その訳を物語る。
かつて、ゴウライとその取り巻きは虐められていたジークを庇ったことがあった。
“「おいッ、やめてやれよ!!」”
ゴウライの強さ。
それを知っている学園の者たちは、その声にジークから渋々と離れていった。
ジークはその時。
ゴウライに感謝の意を表した。
ゴウライたちはそのジークに笑顔で応えた。
しかしその心の中では「いいカモができた」と嘲笑っていたことは、ジークは知らなかった。
そして時は流れ。
ゴウライたちは、ジークにある提案をする。
“「守ってあげる代わりに。そうだな、ジークくん。用心棒代を払ってもらおうかな」”
ジークは、払えないと言った。
震え、ゴウライを見上げながら。
だがゴウライたちは、「あっ、そう。ならいいよいいよ」とジークを虐げることなく満面の笑みを浮かべた。
だが、ジークへの虐めがエスカレートしたのはそのゴウライたちの提案の後からだった。
「ゴウライさんはジークへの虐めをしていない。虐めたのはゴウライさん以外の連中ですものね」
「そうだ。“俺たち”はジークを虐めてはいない。ただちょこっと――」
歪む、ゴウライの唇。
そして続く言葉。
「ジークくんの用心棒はやめたって言っただけ。守ってあげた恩を仇で返されたって触れ回っただけだ」
注がれた、炭酸水。
それを飲み干し、「ぷはーっ」と気持ちよさそうな声をあげたゴウライ。
その様に、取り巻きたちも追従する。
しかし、彼らはまだ知らない。
魔王によって、その宴会が最後の宴会になってしまうことを知るよしもなかった。




