13
悪寒。
ソフィーナがそれを感じたのは、教祖が「魔王を恐れるな」と号令をかけた瞬間だった。
ぐらりと揺れた、視界。
ふらつく、ソフィーナのちいさな身体。
よろけ、その場に倒れそうになるソフィーナを支えたのは教祖その人だった。
「大丈夫か、ソフィーナよ」
「は、はい。少し、目眩が」
「無理をするでない。後は任せ、部屋に戻って休んでいなさい」
「で……ですが」
「大丈夫だ。魔王とて、この大聖堂に張られた結界を破るのは至難の技。先の魔王も、大聖堂にだけは手を出さずに終わったであろう?」
教祖はソフィーナを安心させ、優しくソフィーナの頭を撫でる。
その教祖の優しさ。
それを受け、ソフィーナはちいさく頷く。
そして、ソフィーナが身を翻し部屋へと戻ろうとした瞬間。
それは、起こってしまう。
つんざく、轟音。
床に走る、無数の亀裂。
弾け飛ぶ、大聖堂の入り口を閉ざしていた巨大な扉。
ソフィーナは身を屈めて、震え。
教祖もまた僅かに後退りをしてしまう。
居並ぶ人々は驚き戸惑い、壊された大聖堂の入り口へと一斉に視線を向けた。
そして、その幾多の視線の先に佇んでいたのは――
闇を纏い、憎悪と殺意に駆られた魔王だった。
「きッ、貴様何者だ!!」
「ここをどこだと思っている!?」
「不敬者め!!」
ジークを罵る声。
しかし、ジークは動じない。
ゆっくりと周囲を見渡し、声を響かせる。
「勇者共を選定したのはてめぇらか? だとすれば、てめぇらは無関係じゃねぇな?」
そのジークの問いかけ。
それに、集団心理で勢いを得た人々は口汚くそれでいて嫌悪を露に言葉を返していく。
「はッ、だとしたらどうする!?」
「なんだ、その笑みは? 舐めておるのか!?」
「勇者様の選定はこの大聖堂の使命。そんなことも知らぬのか?」
そんな声を聞き流し、ジークは手のひらかざす。
そして――
「なら、感謝の気持ちを込めて“瞬殺”してやる。この魔王の為にクソ共を勇者に選んでくれたお礼にな」
吐き捨て、自身の身体の周囲に漆黒のちいさな球体を出現させていくジーク。
その光景に教祖は目を見開き、声を張り上げる。
「逃げろッ、その闇に触れたら――ッ」
「死ね」
教祖の声を遮り、ジークは短く呟いた。
そして幕を開ける、阿鼻叫喚。
人々は次々と命を散らし、その場に倒れ伏していく。
教祖はソフィーナを抱き抱え、逃走を図る。
「逃げるぞ、ソフィーナ。此度の“魔王”は強すぎる」
「……っ」
怯え、生きた心地がしないソフィーナ。
間違いない。
いや、間違えるはずもない。
あの姿は、あの顔は。
虐められることでしか価値を見いだせない――ジーク。
ソフィーナの胸中。
そこに渦巻く、畏怖と後悔。
”「ジーク。あなたは虐められることでしか価値を高められない」“
ジークにかけた自身の言葉。
ソフィーナはそれを思いだし――
同時に。
「聖光勇者ッ、魔王の虐めから逃げられるとでも思ってんのか!?」
響く声と共に、ソフィーナはジークと目が合ってしまう。
そのジークの目。
それはもはや人の眼差しではなく、魔王の闇に彩られた人ならざる者の眼差しだった。
ソフィーナの本能。
それが、悟る。
あの魔王から逃れることなどできない。
例え、この場から離れることができたとしてもそれはただの一時しのぎにしかならない。
魔王の眼差し。
それに見定められた瞬間から、己の生殺与奪権は既に魔王に握られているのだから。
そんなソフィーナの思い。
それを覆そうとする、教祖の声。
「我が娘ッ、聖光勇者!! 魔王の戯れ言に耳を傾けるな!!」
その教祖の戯れ言。
それに魔王はソフィーナに代わり応える。
高らかに嗤い。
「言ってくれるじゃねぇか、教祖様」
そう声を発し、ジークは更に言葉を続けた。
「そんなやっすい鼓舞で期待をかけてやるなって。どうせてめぇも勇者様も、ここで魔王の手にかかって死ぬんだからな」
教祖は振り返り、ジークに鋭い眼光を向ける。
その教祖の眼差し。
そこに宿るは、魔王に対する反骨心だった。
ジークはしかし、嗤うのを止めない。
「はははッ。親子共々、送ってやる!! 地獄という名の遊戯場へな」
「魔王ッ、この大聖堂の力を――ッ」
見せてやる。
そう教祖が言い終える前に、魔王は瞬く。
刹那。
教祖の頬。
そこに、生々しい裂傷が走る。
そして響く、声のカタチをとったジークの殺意。
「大聖堂の力。それがどうした?」
嗤うのを止め、ジークは教祖を見定めた。
その深紅に侵された瞳をもって、じっとじっと。
「……ッ」
汗を滲ませ、教祖は息を飲む。
同時に、教祖の心に芽生えた反骨の芽。
それが、一瞬にして魔王によってむしりとられてしまう。
「ソフィーナよ」
「……っ」
「お前だけでも逃げろ。そして、いつか必ず。聖光勇者として魔王を討て」
教祖は言葉を残し、ソフィーナを床へと下ろす。
ソフィーナは教祖の纏うローブを掴み、泣き叫ぶ。
「いッ、嫌!! わたしはお父様といっしょに――ッ」
そのソフィーナを振り払う、教祖。
そして、魔王に手のひらをかざし――
「行くのだ、未熟な聖光勇者。人類の勝利はそなたの手にかかっている」
教祖は魔王との無謀な一戦をはじめようとする。
膨れ上がる、純白の光。
それは、魔王とは対となる聖なる力。
だが、魔王は止まらない。
その漆黒に包まれた己の足。
それを踏みしめ、ジークは唇をつり上げる。
「足掻け、そして絶望しろ。この魔王の力に」
侵食する漆黒。
膨れる純白。
その二つの力はぶつかり合い、そして咆哮する。
「魔王よッ、聖光勇者は必ずや貴様を討つ!!」
「はッ、そりゃ楽しみだ!!」
はぜる、二つの対極。
その光景を見送ることなく、ソフィーナは身体を反転させ駆け出す。
ソフィーナの目。
そこからつたうは、一筋の涙。
その涙は、必ず強くなるという勇者の決意の表れでもあった。
しかし。
そのソフィーナの決意は一瞬にして踏みにじられてしまう。
教祖の悲鳴。
その余韻が残留する中。
ドンッとソフィーナはなにかにぶつかる。
その感触は、明らかに人のモノ。
そして降り注いだのは――
「ソフィーナ」
自分の名。
それを楽しそうに呼ぶ、魔王の声だった。




