11
「さて、勇者様」
響くジークの声は、殺気に彩られ。
「よ、よせよジーク。ぼ、ぼくたち友だちだよな?」
答えるフィンの声には、一切の勢いも余裕もなかった。
じりじりと後退を余儀なくされ、ついにその背を窓へと押し付けてしまうフィン。
その眼前で足を止め、ジークはその拳に漆黒を纏わせていく。
そして――
「延ばしてみろよ、お得意の金の力で。てめぇの後少しの命をな」
そう吐き捨て。
フィンの胸ぐら。
そこを掴み、怯えるフィンの顔面へと勢いよく拳を叩き込む。
「へぶっ」
と声を漏らし、窓ガラスへと己の後頭部を強打するフィン。
突き抜ける痛み。
それは、今までフィンの感じたどの痛みよりも重く身体全体へと染み渡った。
「痛いか? なら、金の力で和らげてみろよ」
フィンを嘲笑い、ジークは再び拳を振り上げる。
フィンは鼻血を垂らし、泣き叫ぶ。
「やッ、やめてくれジーク!! 君をあの時ッ、罵ったことは謝る!! もう君を馬鹿になんてしない!! だから――ッ」
「うるせぇよ、疾風勇者」
フィンの謝罪と懇願。
それを遮り、ジークは三度。
フィンの腫れ上がった顔面へと、有無を言わせず拳をめり込ませる。
べきっ。
響く、痛々しい音。
フィンの鼻は押し折られ、赤黒い血がまるで壊れた水道のように溢れでていく。
「ふぐぃ……じ、じーく」
「ほら、金の力でなんとかしてみろよ。金かあればなんでもできるってのが、てめぇの持論だろ?」
「……っ」
「金貨100万枚で俺の友達になってくれるんだろ? おい、フィン。答えろよ」
もはやフィンには残っていなかった。
ジークに言い返すだけの気力。
それがひと欠片も残ってはいない。
溢れるは、ジークに対する哀れな命乞い。
「た……たすけてよ、ジーク。たたた、助けてくれたら……いくらでも――」
遮るは、ジークの拳。
飛び散るは、フィンの歯。
「いくらでも……なんだ? 言ってみろよ、フィン」
「ひぐ……っ」
「ひぐっ? てめぇは、まともに言葉も話せねぇのか?」
「だ、だのむ。ゆ……ゆるしてくれッ、ジーク!! もうぼくは金でなんでもできるとは思わない!! つ、つぎからは…世のため人の為にお金を――ッ」
「なら、世のため人のために死んでくれ。てめぇのような勇者は死んでくれたほうが世のため人の為……魔王の為になるってもんだ」
魔王の声。
そこに込もっていた殺気。
それが、一気に膨れ上がる。
フィンの胸ぐらを掴んでいたジークの手。
それが、フィンの首を――
「ぁ……ぐっ」
尋常ならざる力で、締め上げていく。
フィンは悶える。
そして生まれて始めて、心の底からの畏れというものを感じる。
ジークに対し。
いや、魔王に対して。
「は……離し――」
「安心しろ、まだ殺しはしねぇよ」
ジークはそう声を発し、即座に付け加える。
「“この程度”で死なれたら……復讐の意味ねぇもんな」
アレン。
サファイア。
イライザ。
その三人に行った虐めに比べれば、まだ生ぬるい。
首絞めで窒息死などという甘ったれた最後。
そんなもので、被虐者は満足しない。
魔王であるなら勇者が死にさえすればいい。
だが、被虐者が加虐者に求めるものは“死”ではなく後悔と絶望。そしてその延長線上に、死があればそれでいい。
「じ……じーく。ゆ、ゆるし――」
「……」
手に力を込め、いや目に見えぬ力を込め。
ジークは意思を表明する。
“全ての苦しみの感度。それがより新鮮なものになる”
という意思を、フィンに対して表明した。
「ぐ、苦しい……っ。がッ、げふっ」
あまりの苦しみに失神しかける、フィン。
だがそれを、ジークの愉悦が遮る。
「おいおい。勇者様、失神なんてつまらねぇことすんじゃねぇぞ」
空いた手。
それをもってフィンの頬を張るジーク。
そして。
フィンの首。
それを蛇の生殺しのように絞めながら――
「より感じるようにしてやっぜ、勇者様。はははッ、これで易々と死ねねぇな!!」
嘲笑。
それに彩られたジークの呟きが、更にフィンの精神へと追い討ちをかける。
苦しい。
くるしい。
クルシイ。
フィンの心。
その中で繰り返されるのは、終わりのない苦しみの叫び。
「金を払えばいいんじゃねぇか? 金貨1000億枚を払いさえすれば、今すぐにでも殺してやるぜ」
フィンを煽り。
「まっ、どっちにしても。勇者様が死ぬことに変わりはねぇけどな」
「……っ」
絶望。もはや、フィンには絶望しか残されていない。
“「金貨100万枚で友達になってやるよ、ジーク」“
フィンの頭の中。
そこに走馬灯のように流れるのは、己の愚言。
金さえあれば、なんでもできると思った。
金さえあれば。なにをしても許されると思っていた。
女を虐め犯しても。
そして、女をナイフで虐め殺したことも。
”「パパ。また、殺っちゃった」”
という一言で、揉み消すこともできた。
だから、今回も――
「ねぇ、勇者様」
フィンの走馬灯。
そこに割り込む、ペルセフォネの声。
「貴方のやってきたことは、全て知っていた。だって先に“わたしたち“に依頼をしてきたのは、貴方のパパじゃないんだもの」
くすりと笑い。
ペルセフォネは、ディランへと視線を向ける。
その視線に込められているのは、高揚。
ディランはその視線を受け、答えた。
「我が子を虐め犯されて殺された、ご家族。その気持ちを勇者様は知ろうと思ったことはありますでしょうか? 裏切った? 端から貴方様の味方でもなんでもありません。まっ、金だけはもらえるとのことでしたので……一芝居、打たせてはもらいましたが」
響いた、ディランの声とペルセフォネの笑い。
フィンの絶望の色。
それを更に濃くする、二人の言動と仕草。
「いつ手のひら返しをしようかと思案していたのですが――」
「タイミングが良かったわ。丁度、とても強くてとても素晴らしい魔王と仰られる御方がここに現れた」
解放したセシル。頬についた切り傷。
その浅く血が滲む箇所に布をあて、ペルセフォネはフィンへと更に声を投げかけた。
「数時間分のお金はちゃんとくださいね。一応、貴方の為に働いてあげたんですから」
「……っ」
恨めしげに、フィンは二人を睨み付ける。
だが、その眼差しをジークは遮った。
そして――
「勇者様。お次は貴方様が虐め殺される番ですね」
侮蔑のこもった言葉を発し、ジークはフィンの纏ったローブの懐からはみ出たナイフの柄を握りしめた。
「さて、聞いた話によれば。勇者様はナイフで肉を削ぎ落とすことがお好きだとか」
嗤う、ジーク。
フィンの嗜好。
ジークは、それをディランとペルセフォネから聞いていた。
「そんなにお好きなら。てめぇ自身で感じてろ、勇者様」
吐き捨て、抜き取ったナイフを振り上げるジーク。
そのジークの胸の内。
そこには、目の前の疾風勇者もどきに対する憎悪と侮蔑で荒れ狂っている。
「ま……っ……ゆる――」
待ってくれ。許してくれ。
そう言おうとした、フィン。
だがその開かれたフィンの口に――
「待つわけねぇし、許すわけもねぇだろ?」
そう声を発しながら。
ジークは、容赦なくナイフをねじ込んだ。
響く、フィンの絶叫。
それに続いたのはジークの提案。
ディランとペルセフォネを仰ぎ見る。
「トドメは譲る。こいつを殺すこと……それが、あんたたちに託された被虐者たちの思い。いや、依頼なんだろ?」
そう言い放ち、魔王としてではなく被虐者としての笑みを向ける。
フィンに虐め犯され殺された、年端もいかない少女たち。
そして、金で全てを無かったことにされたその家族。
その様はまさしく。
強者に抗えぬ弱者への虐めに他ならない。
ジークが受けていた虐め。
それよりもタチの悪い、虐めに違いはない。
そんなジークの思い。
それに応えるのは、ディランとペルセフォネの畏敬に満ちた声だった。
「魔王様のご慈悲。このディラン、生涯忘れることはございません」
「素晴らしい、ご対価。久しぶりにこの世界で。勇者ではなく、魔王様の勝利を拝見することができそうです」
その二人の後に続く、セシルの謝意。
「……」
僅かに頭を下げ、ジークを見つめるセシル。
その眼差しは畏れに満ち、それでいてどこか哀愁に彩られていた。
そんな三人の反応。
それに対しジークは軽く会釈を返し――
「魔王は負けない。勇者共に……いや、虐めが蔓延るこの世界にな」
そう声を発し、その瞳に闇焔をたぎらせた。




