甦る記憶その6〈イネリ〉
幸いなことに、父の死はそこまで深く捜査はされなかった。
お父さんは外では真面目で実直なベテラン教師という顔を持っていたし、同僚からの信頼も厚かったのが幸いした。
まさかあの人が二重生活していたなんて、誰も想像すら出来なかったようだ。
母の自殺とされた死からもそこまで時間が経っていなかったこともあり、そちらに動機付けは向いたようだった。
小市民の普通のおじさんの自殺というこんな地味なケースなど、警察だってそれほどの熱意で細かく調べることもないのだろう。
勤務していた中学校の同僚、及びこのマンションと引っ越し前の団地の人への聞き込みを軽くしただけみたいだった。
団地に住んでいるある人が、お悔やみのメールと共に警察が聞き込みに来たことを教えてくれた。
その人に捜査官の様子を聞いてみたけど、表面的に聞いて回っていただけみたいで、他の住人も同じ感想だと言った。
団地の住人たちは警察に聞かれたからと言って、人様の家の事情など、知っていてもわざわざ教える人は滅多にいないだろう。
メリットもないのに私たちの恨みを買うようなことをする人はいないでしょうね。
向こうから見れば、私たちは胡散臭い家族だと思われていただろうし関わりたくないはず。
お父さんの秘密の家族のことがバレる可能性はまずなそうだった。
よっちゃんの警察への返答も完璧だった。
父を突然失い、呆然自失の哀れな娘をパーフェクトに演じ、父が母の死後、どんなに家で落ち込んでいたかを創作エピソードを交え涙ながら話していた。
私は隣で追随してうなずく。
ハンカチで涙を拭いながら。
刑事さんも人間ね。その目にはうっすらともらい泣きの同情の涙がにじむ。
父の死は、妻を急に失った喪失感からの咄嗟の自殺と断定された。
そう、あの人は自殺に間違いはないはずよ。
ーーー牢に閉じ込められていた私たちの人生は、ここから本当の意味でやり直すことが出来るの。
もし私たちがあの時死ねば、状況がどうであれお父さんは世間から、もしかして再婚したいがために妻子を殺したのでは・・・と疑いを持たれるのは必至だった。
そうなったら再婚どころではないね。もし再婚を強行すれば、あちらの奥さんも子どももそれは不幸な人生を約束されていたことでしょう。
私たちが死ぬか、自分が死ぬかの二者択一。
まあ、私たちを殺して自分も死ぬという手もあったけれど、そんな大きなことをしたら、自分の身辺調査で秘密の家族の事が世間にバレてしまう。
あちらには相当のダメージね。
世の中には大義名分さえ見つかれば、正義を振りかざしたい人はたくさんいるの。
それってストレスの発散にはもってこいだもの。向けられた方はたまったものではないでしょうね。
お父さんは自分だけが死ぬことで、せめてあちらの家族には自分の生命保険金と平穏を捧げる事を選んだ。
あちらの家族のことは本当に愛していたのね。命を捧げてもかまわないほど。
よっちゃんは約束は守る。
騒ぎが収まり警察の目がなくなってから、あちらの家族にはお父さんの保険金五千万円をそっくり渡した。
父が秘密の家族のベールをはがし表舞台に立つことを私たちが許さなかった代償として。
これだけあればその女の子の学費も生活費も困る事はないはず。
すべてはよっちゃんが弁護士を交えて行ったこと。
私はその時の書類をこっそり見てお父さんの秘密の家族の名前を知ったの。
私の目に映るその保険金五千万受け取りの書類のサイン。
教養がにじみ出たような大人の美しい文字と、いかにもしっかりした子どもが一画一画丁寧に書いたと思われる文字。
宇良川るい
宇良川ルルス
私は最初に再びこの名前を見ても思い出す事はなかったのよ。
でもね、ルルスちゃんのこの目を見て、ふっと思い出したの。
あなたはよっちゃんと同じ目をしているから。
宇良川ルルス
こんな名前は滅多にない。年も合ってる。
何よりも確かな証拠はあなたのその目。
この子は私たちのまぎれもない妹。
ごめんなさいね。ルルスちゃん。
私たち、あなたからお父さんを奪ってしまった。
ルルスちゃんには何の罪さえないというのに。
あの人はあなたとあなたのお母さんのことだけは本当に愛していて、共に生きて行こうとしていたのに。
でもね、ああするしか私たちは救われなかったのよ。
私には、あなたも親ガチャに外れてしまったとしか言えないの。
せめてここではルルスちゃんために出来るだけのことはしてあげる。
あなたがクラスの中でどういう立ち位置にいて、誰が正しいとか間違っているとか、生徒間の背景など関係はない。
あなたをこれ以上苦しめるものは私が排除してあげる。
よっちゃんが私にしてくれたように。
私に出来る、せめてものあなたへの贖罪として。




