甦る記憶その2〈イネリ〉
私が中2でよっちゃんが高3。
県内トップ高、金時高校の中でも格段に成績のよかったよっちゃんは12月には既に推薦で早々と国立大学をパスしていた。
その頃から両親の様子は何か違って来ていた。
お母さんはお父さんと会話をしなくなっていた。
そして父は、朝早く家を出て、帰りは毎日11時頃という生活になって私たちともあまり顔を合わせることも少なくなって来ていた。
母は父に構わなくなった分を私たちに向かわせて更に干渉して来るようになった。
相変わらずの日々。
私、これって生きてる?
生きているって言えるのかな?
いっそ、死んじゃおうか? このまま生きてても死んでるのと同じじゃない? 毎日苦しくない分マシじゃないかな?
ううん、だからって自分が消えてしまうなんてすごく怖いよ。
思考することさえ失ってしまうなんて。
堂々巡りの日々。
ある日私が5限授業を終えて中学校の門を出ると、そこには黒いコートにジーパン、グレーのマフラーと帽子姿のよっちゃんが、手袋の手をはーっとこすり合わせながら寒そうに立っていた。
今日は半日授業だったとかで、家に帰ったところ、お母さんから買い物を頼まれて外に出られたと言った。私と秘密の相談をするまたとないチャンスなのでここで待っていたと言った。
私たちは通りがかりにある公園の片隅のベンチに座り話し始めた。
今日の学校でのことなどちょっと話し、話題が途切れた所で よっちゃんはそれを切り出した。
『最近お父さんお母さんおかしいでしょ?・・・あのね、それはね、驚かないで聞いてね』
よっちゃんはちょっと楽しそうな顔をして私を見た。
『お父さんにはむかーし、12年前頃にね、恋人がいたんだって』
私はびっくりして声も出なかった。
『浮気してたんだって。お父さんの古いケータイに写真が残っていて、お母さんが見つけてね、それで喧嘩してるらしいよ』
『・・・12年前のことで・・・今頃喧嘩してるんだ?』
『お母さんはプライドが高いからね。お父さんより6才年上だし。自分よりずっと若い女の人と付き合っていたお父さんのこと許せないらしいよ。この間の夜 居間にね、こっそりスマホのボイレコセットして置いといてわかったんだけど』
よっちゃんは高校入学してその5月の連休にやっとケータイを与えられていた。
ケータイがない事で学校生活に支障が出たから。
学校からのお知らせの通知も課題もネット配信だったし、ネット上のクラスルームにも登録しなければ連絡網から外れてしまう。
今時ケータイすら持っていなかったよっちゃんこそがガラパゴスで、最初の頃は周りの子たちからはガラ子と呼ばれていたと言っていた。
そのスマホで両親の秘密を掴んだらしい。
『・・・それって昔のことなんでしょ?』
『お父さんはそう言っているけどね。どうかな? お母さんは相当病んでる。だから私、いい方法をさりげなく教えてあげたんだ。うふふ・・・』
『・・・いい方法?』
『そうよ、簡単に気分が良くなる方法』
『どんな?』
『んー・・・いっちゃんには教えない。だって私はイネリが大好きだから』
『そんなの変だよ。大好きだと教えないなんて。反対だよ?』
『・・・私を信じなさい。いっちゃん。私は2月で18才。後もう少しで本当の大人になれる。あと2年だよ? もうちょっとなの。今まで耐えてきたんだもん。その分一緒に幸せになろうね、いっちゃん。』
よっちゃんはじっと私の目を見てから、不意にあの時みたいに私に抱きついて耳元でそう言ったの。
その時はよくわからない返事を返されただけけど、それで良かった。
私はよっちゃんを信じてるから。
『さ、これ以上遅くなるとイネリは怒られちゃうね。先に帰りなさい。私は遅れで帰るね。お母さんから頼まれているものを買いに行くわ。何軒か回らないといけないから』
ベンチから立ち上がるとかぶっていた帽子のつばを下に下ろしてマフラーを巻き直し顔の下半分を覆った。
よっちゃんは気をつけて帰るのよ、と 私の帰宅を急かすと、駅の方へ向かって行った。
生活している中で、その後私にも次第にわかってきた。
よっちゃんが何をお母さんに教えてあげたのか。
あの時何軒も回って何を買いに行っていたのかも。
あれが起きたのはそれから1年半後のこと。
よっちゃんが大学2年、私が金時高校1年生の時に起きたあれ。
お父さんは同僚と3人で他県に1泊研修に行って家を留守にしていたあの5月の初旬の祝日の夜。
私は眠っていた。
どうしてお母さんが4階のベランダから落ちたかなんて知らない。
ドスンという鈍い音が響いて目を覚ました。
私は目をこすりながら横を見ると、ふとんを並べ、隣で寝ていたはずのよっちゃんの布団がめくれていた。
お手洗い? 手を伸ばし、よっちゃんの敷き布団を触ると冷たくなっていた。
私は妙な不安に襲われた。
そそくさと立ち上がりお手洗いに向かった。
いない・・・
どこからか来るのか、廊下に涼やかな風が吹き込み、私の足元をすーっと撫でてゆく。
窓が開けっ放しだったのかな? 無用心ね。いくらここが4階だからって。
私はベランダに面した居間へと向かった。
暗い部屋の中で、ベランダに面した窓にかかるレースの白いカーテンが、深海に住む優雅な生き物のように、大きく風で膨らんでゆっくりとゆらめいてる。
その向こうではひとりの女の子が柵を両手で掴んで、下を見つめていた。
ストレートの長い髪を夜風になびかせた、白い薄手の寝間着のままのその後ろ姿。
『・・・よっちゃん?』
私に不意に振り向いた、それはとてもとても冷めたい瞳
ーーー今、私の目の前にいるのは彼女と同じ瞳を持つ女の子
宇良川ルルス
あなたは私とヨネリの妹。
世界でたったひとり、この私だけが気づいているこの事実。




