早とちりの災難〈小雪〉
「最近の様子はどうなんだい? 学校はどう?」
旦那様が私の横に腰掛けたので、私はささっとソファーの端っこに座り直しました。
だって、なんだか今までと違う嫌な雰囲気がします。おじさん特有の臭いも不快です。
「えっと、学校は楽しいです。お友だちも出来たし‥‥‥今まで女の子のお友だちが梅子さんしかいなかったから、学校でクラスの女の子たちとおしゃべり出来るのは楽しいです」
「それは良かった。で、ボーイフレンドは?」
「えっと‥‥‥‥?」
そんなプライベート、急に振られても困ります。私の学校の交遊関係なんてどうでもよくない?
学校では誰々さんは誰々さんが好きだとか、そういう噂はよく流れて来て、私のことを好きだと噂になっている男の子はクラスでは5人ほどいるけれど、でもそれはただの噂話で、誰かに告白されたこともなければ私だって特に気になる男の子もいないの。
だって私はお兄ちゃんが一番大好きなんだもん。お兄ちゃんよりかっこいい男の子なんてこの世で見たことなんて無いよ?
「まだいないの? じゃ、キスもまだ?」
冗談のように軽く笑いながらそんな事を言って来ました!
私、大潮の引き潮です。潮干狩りできそうな位。めっちゃ引いてしまいました。
「‥‥‥あの、私そろそろ戻ります。宿題もやり残しがあるので」
「あれ? 怒った? 小雪。ごめんごめん、落ち着いて」
「‥‥‥‥‥」
もう! なんなのよ! 新月さんといい、親子揃って私を子ども扱いしてからかって来るなんて!
「実はね、あのドレスは小雪に大人の印が来たお祝いだ」
「!」
嘘でしょう? 旦那様にまであの事が知れ渡っていたの?
まさしく News travels fast!
私は、顔が かーっと火照るのを感じています。
腰掛けたお尻を、旦那様からそむけるように角度を外向きに変えました。
ーーーあの日のことは私、一生忘れないと思うよ‥‥‥
お屋敷に来て以来、お兄ちゃんと私は毎日ひとつの布団で寝ています。だって4畳半の部屋に家具を置いたら布団はひとつしか敷けないし。
でもね、私的にはちょうどいいんだよ?
私は暗い所は怖いし、闇夜を迎えるにあたり、ずっと私の心の安定を司っていたお人形の "りるちゃん" が、不幸な出来事からこの世から去って以降、りるちゃんの代わりはお兄ちゃんの役目なんだから。
あれは3週間ほど前の朝のことです。予告も無くいきなりのことでした。
明け方近くのこと、私はまだぐっすり寝ていたのです。毎日いっぱいいっぱいで疲れているからもう、ぐっすり。
あれ‥‥‥お兄ちゃんの慌てた声が聞こえたような‥‥‥‥‥? 夢?
私は夢の中で文句言ってました。お兄ちゃんにほっぺをぺしぺし叩かれて。
「う‥‥‥うう‥‥‥い、痛‥‥‥痛いよ‥‥‥」
これは夢? 変な夢‥‥‥リアルっぽい‥‥‥
うるさいな‥‥‥やめてよ‥‥‥小雪まだ眠いし‥‥‥まだ起きる時間じゃないよ‥‥‥
「小雪! 痛いのかっ! しっかりしろっ! 死ぬんじゃないぞ、今助けを呼んでくるからなっ!」
バンって乱暴にドアを開ける音。
何言ってるの? お兄ちゃん‥‥‥りるちゃんはもう死んじゃったんだよ?‥‥‥むにゃむにゃ‥‥‥急いでももう、助からないよ‥‥‥‥‥‥
私はまだ夢うつつで、半分起きていたけど半分眠っていました。
それからすぐにバタバタとした足音と共に、お兄ちゃんと梅子さん、他の部屋の書生のお兄さんたちの声がわさわさ聞こえて来ました。
だけど、まだ眠っていたい私の脳の抵抗により、現実に耳に入って来ている声は都合よく変化して私の夢に組み込まれて行くのです。
‥‥‥火事ではないですよ、みなさん‥‥‥落ち着いて下さい‥‥‥あれは私たちの荷物が燃やされているの‥‥‥りるちゃんも‥‥‥むにゃむにゃ‥‥‥
「早くっ! 助けてくださいっ!」
「大量出血なら確か、ひもで縛るのよ! 大くん、タオルと結ぶものを探して持って来てっ!」
「落ち着け、梅子さんっ! 大鏡、大量出血ってどこからだ? 傷口はどこなんだっ?」
「わかんねーよっ! とにかくヤバイくらい血が出てる! ほら、俺のズボンにまで付いてる!」
「小笠原、とにかく行こうぜ。見ないとわからないぞ!」
大声が響いて来たかと思ったら、複数人が突然、ガガガガッって部屋になだれ込んで来たようなすごい床の振動と足音がして、さすがの私も目を覚ましました。
「小雪ちゃんっ! しっかりして! いやーっ!」
ビックリして上身だけ起こした私の横で、梅子さんが泣きながら座りこみました。
「まず、傷口の止血だ! 誰か救急車を呼べ!」
書生の小笠原さんが叫びました。
何ごと? 朝っぱらから! 救急車って!?
「えっ! どうかしたんですか? 誰かケガしたの? まっ、まさかお兄ちゃんケガしたのっ?」
私はビックリして聞き返しました。
「あ?」
「‥‥‥おい、この子普通にしゃべってるぞ?」
「大鏡、これは‥‥‥瀕死の状態じゃないよな?」
私に触ろうとしていた小笠原さんの目の前に、梅子さんはスッと左の腕を伸ばして制しました。
「‥‥‥待って」
私はその時やっと、お自分の尻の辺りの濡れた感触にやっと気がついたのです。
「うわっ! なっ!‥‥‥‥こ、これって‥‥‥まさか梅子さん‥‥‥‥」
梅子さんは、おろおろ目を泳がせてる私に深くうなずくと、言いました。
「即、男子は退出せよっ!」
「おいっ、梅子さん、どういうことだよっ!」
お兄ちゃんが梅子さんに抗議しています。
「いいから、行くぞ。大鏡」
全てを察したらしき小笠原さんら書生さんはお兄ちゃんを両側から抱えてずるずる去って行きました。
ドアが閉まると梅子さんの肩がぷるぷる震え出しました。
「くっくっく‥‥‥ああ、私 本当に心臓が止まるかと思ったぁー! びっくりしたぁー、もーう! なんともなくて良かったぁー、やめてよ、こういうの。あーっはっはっは!」
ホッとしたみたいな泣き笑い。ごめんなさい、梅子さん。お騒がせして。
‥‥‥でもね! 私にとっては笑い事じゃないよ!
私はあれから恥ずかしくて、書生さんたちとはなるべく顔を合わせないように、すれ違わないように必死で避けてるんだから。
お兄ちゃんは、書生さんたちから色々聞いたみたいだけど、その事には一切触れずに何も無かったかのように振る舞っています。
全く! お兄ちゃんのせいで私、大恥かいちゃったじゃない!
それが旦那様にまで伝わっていただなんて!
そうよ、旦那様はお屋敷内の噂はみんな把握しているんだったもの。知らないわけ無いじゃない。誰だか内通者がいるのよ。
まさか新月さんたちも私のあれ知ってる? だったら最悪です。
「あの早とちりのお話を聞いたのですか‥‥‥」
「ああ。クスクスっ‥‥‥おめでとう。私はこの日をずっと待っていたんだよ」
「はっ?」
何で旦那様がそんな事を待っていたの? 意味不です。
「私はね、若い頃から千年も昔に書かれた物語に憧れていてね‥‥」
ソファーの隅まで避けた私の横に旦那様がずれて寄って来ました。




