A important client 〈古谷〉
この話は僕が入社してちょうど7年目に入った頃のことだ。
ご家族はその息子さんに手を焼いていたらしい。
その子のご両親は、息子が中3になってすぐの4月に、この "甲斐アミュージングエデュケーション" に相談に来たんだ。
この件は甲斐会長も立ち会いのもと、実務方トップの志方さんが直々にお話を伺うことになっていた。
ずいぶんとスペシャル待遇だな。きっと甲斐会長繋がりの誰かから紹介されたんだ。
彼らの息子さんが中学に入ってから、スマホと遊びに夢中になって、ほとんど勉強が出来ていないと言うのだ。親がいくら注意しても聞かないと言う。
ついに中3となり、焦り出したご両親がこの学習塾に相談にやって来たのだった。
かつてお子さんがここの塾生だったという知り合いに勧められたそうで。
とにかく、私立公立どちらでも構わないから、彼をこの学区で言ったらわりと上位高である落花生高校以上のレベルの学校に入学させて欲しいと言う。
そんなの僕だってとんだ無茶振りだと思うよ? だってその子、学校のテストの点数は平均点の半分ちょっとだとか。
5教科の3年分を今からの10ヶ月あまりで終わらせろって‥‥‥
やる気のある子ならともかくそうじゃないらしいし。それなのに甲斐会長ときたら‥‥‥‥
『確約は出来ないが出来る限りの事はしましょう。それで構わないと言うのなら』
あっさりと引き受けてしまったらしい。
怒った志方さんが僕たちにその時の面談の話を事細かく話して来たから手に取るように応接室での光景が浮かんで来た。
いつもの威風堂々の会長の横で青ざめて座ってる志方スーパーバイザーの姿‥‥‥
その特別な生徒の名前は業村ゴウシ。中3男子。
父親は若くして、ある大企業の子会社の役員だとか。創業家の端くれの血縁らしい。
僕がちらりとお目にかかった時には仕立ての良さそうなスーツに身を包んだ壮年の男性と、キャメルのテーラードコートを着た上品な女性がちょうどお帰りになる所だった。
僕はちょうど通りがかりにすれ違い、立ち止まって会釈をしてやり過ごしたのだった。
と、いうことで会長の鶴の一声でその無茶振り話はまとまり、ある程度の出費は問題無いというご両親の意向もあり、彼には特別プロジェクトが組まれることとなった。
会長は会議の時、僕たちに言った。
あの人たちには隙を見せるな。金に糸目をつけない分、クレームもヤバいタイプだ。こちらには大金を落としてくれて有難い客だが、気に入らない事が起こると豹変するだろう。万全を期して進めてくれ。
はぁ~ん。お金持ちの特徴だね。
公立高校受験での国語の中の古典の配点はそんなに大きくはない。私立なら、各高校の過去問の傾向にもよるから何とも言えないけど。
僕にも出番は来るのだろうか?
国語は漢字や熟語や長文解読と作文に力を入れた方が効率がいいだろうな。
うんうん。僕には関係ないない。
僕はこのめんどくさそうなプロジェクトにはマジ関わりたくは無かった。
『毎日塾に通うなんてめんどい! 俺は行かないからなっ!』
ワガママな業村ゴウシくんの意向で家庭教師を派遣することとなった。
リモートより対面で直接目を見ながら教えた方が理解が深まるだろうということで、彼がプロフィールを見て選んだ5教科の講師たちが日替わりで訪問することに決定された。
だが、その提示したプロフィールから永井さんは事前に除外されていた。
なぜなら彼女は一番の売れっ子講師。やはり教科的に数学の需要が一番多いし、そもそも女性の数学講師はいまだ彼女だけ。
もし、貴重な永井さんのコマをゴウシくんに多く取られてしてしまったら経営上困るのだ。
彼は特別な塾生とはいえ、他の塾生だって大切なのだから。
ラッキーなことに僕には出番は巡って来ることは無く、今回のは中学レベルの古典だったし、国語の国分講師が古典も併せて指導することに決まった。
彼が指名したのは主に女性講師ばかりで、数学だけは該当者がいなかったので僕の同期の丹治エントが担当になったのだった。
う~ん。プロジェクトチームは相当大変だったみたいだな。
だって国分さんは夏休み明けにはギブアップして他の女性講師に交代を申し出た。
僕が入社する半年ほど前のことらしいんだけど、国分さんは1年半ほどで会長から授かった個性を返上したそうだ。
かつての彼女の個性は "お嬢様学校出身、挨拶はごきげんよう" だったとか。
実際、それは彼女そのものなんだけど、需要はそんなに無かったとか。
僕が思うにちょっと近寄り難い高飛車な雰囲気が出てたのかも知れないね。
でもね、今だって、彼女みたくなりたいって憧れてる女の子の塾生も何人かいるくらい美人だし、実際、プライドも高めのお嬢様だ。
個性は返上したけれど、今回のプロジェクトに関しては、F組での授業みたいにほぼ必要事項以外話さないってスタイルは取れない。
ゴウシくんが飽きないように多少のおしゃべりに付き合う必要があった。
そんな国分さんは、ゴウシくんとの間に何があったのかは会長以外には頑なに黙っていたけど、噂によれば常にゴウシくんから年増呼ばわりされて、ついにキレたらしい。当時30才だった。
中学生から見たらそうなのかなぁ‥‥‥
いや、僕の推測によれば、たぶん彼女の高飛車ぶりが鼻について彼の反感を買ってしまったんじゃないかな。国分さんを好きな人と苦手な人ってはっきり二分してるし。
それでゴウシくんに女性心理を突かれ、精神的にいたぶられて反応見て遊ばれたんだろな。
ゴウシくん性格ヤバない? しかもその年で自分の立ち位置 実は講師より上だってちゃんと見えてるクレバー。
怖いなぁ。中学生に反論できないこのシチュエーション‥‥‥
インポータントクライアント案件。
辛いよな。お気の毒に。
全部甲斐会長のせいだぞ。
エントなんて同じ頃にはストレスから円形脱毛症を発症してこめかみの辺の地肌が透け透けになっていた。エントだってこの時は僕とタメの28才だったんだけどね。
なんでもクッソ生意気なお子様だったらしいんだけど、強く注意も出来ず、反論も出来ず、ずっと童貞数学アニヲタ呼ばわりされてたらしい。
エントのひきつり笑いが目に浮かぶ。災難だったなぁ、エントのやつ。
で、実際はどうなの?って聞いたらフックで顎を狙われた。
そんなに本気で怒るとはまさか‥‥‥冗談だったのに。
だから僕は注意してあげてたのに。
部屋に数学関連の本と一緒に、堂々とラノベを並べて置くのは止めろって。
せっかく女の子を部屋に呼んだってあのタイトルと表紙のイラスト見たらドン引きされるって。
エントは基本いいやつなのになぁ。早いとこ趣味の合う人見つかるといいけど‥‥‥
英語の先生は途中からネイティブの男性講師、キャスパーさんに変更となった。
彼は地頭は良いらしくて、実践的な英語について鋭い突っ込みを入れて来るため、教科書仕様の英文法に特化した英語しか出来ない与三瀬講師では対応しきれなかったらしい。彼女は突然、
『私、ゴウシくんに勉強不足を教えられました。イギリス留学してきます!』
と言ってさっさか退職してしまったんだ。
でもね、理科の阿南富講師によれば、
『彼は飲み込みも早く優秀です。この分なら目標達成は確実です。特に化学はスゴいです。ケミカルリアクションにはずいぶんと興味があるようですよ。中学生とは思えない深い質問してくるからびっくりします』
とのことで、何の問題なく進んでいるようだ。
化学反応に興味って‥‥‥?
財力と興味に任せて危ないことしないといいけど‥‥‥
今はネットで何でも手軽に注文出来るからなぁ。
『褒めると照れたりするからかわいいわ』、と阿南富さんがコメントしている所を見ると、彼はこの阿南富さんがお気に入りらしい。明るくかわいい彼女の個性は "魔法少女"。
彼、お気に入りには優しいんだね。
僕はゴウシくんが羨ましいよ。
こんなに気のままに人に接する権利があるなんて。
生まれ持ったステータスとお金のパワーってスゴいよなぁ‥‥‥
うん、スゴいと思う。
翌年には見事落花生高校にも合格しちゃったんだから。
もちろん講師陣の忍耐と彼の実力あってのことだけどね。




