A組とF組〈古谷〉
5時10分前にはオフィスが入るビル入口まで戻る事が出来た。
エレベーターを待つ時間も惜しくて、革靴だってのに 3階まで階段を駆け登った。
大股で廊下を早歩きしていると ちょうど前方のオフィスの扉が開いて、次の授業の準備を整えた講師たちがガヤガヤと出て来た。
彼らは今から階下の教室へ向かう所だ。
僕は彼らが出切るまで、ドアの反対側の壁際に寄って皆が過ぎるのを待った。
授業と授業の間には10分しかない。みんな急いでる。
おっ、永井さんも出て来た!
でも、永井さんの後ろには小判鮫よろしくエントも一緒。きっとエントも見学する気だ。
あ、永井さんと目が合った。
僕を見つけた永井さんが、僕の前に来て立ち止まった。
その後ろのエントとも不意に視線が絡まったけど、すぐに反らして無視。永井さんと視線を合わせる。
オフィスから出てくる講師たちが僕たちの横をわらわら通り過ぎてゆく。
「お帰りなさい、古谷さん。お疲れ様です。今朝はありがとうございました。今から初授業行って来ます」
彼女の方から話しかけてくれるなんて、僕の存在感、多少は上がってるよね?
「うん、頑張ってね。僕、空いてるから見学に行ってもいいかな?」
「私の授業を?‥‥‥いいですよ。でも相野さんに気づかれないようにしてくださいね。彼女がやりにくくなってしまいますから。今回はA組で行います。後で感想などお聞かせ頂けたら有難いのですが」
「もちろんです」
僕が微笑むとエントが彼女を急かした。
「行こう、永井さん。初日の今日は僕が離れて見守ってるから安心して」
「はい、丹治講師」
僕に軽く会釈した永井さんが、エントと並んで何か話しながら階段に消えて行くまで、僕は二人の後ろ姿をじっと見つめていた。
階段に曲がる瞬間、エントが僕の方を振り返りチラ見した。
言いたいことはわかってるさ。
僕がお邪魔なのはわかってるんだけど、陰からさりげなく見るだけだからいいだろ? 人の授業を見るのだって研修の内さ。
さーって、この荷物をロッカーに置いてきて早いとこ永井さんを追いかけよう。
頂き物のハーブクッキーも忘れない内に出しておかなくちゃ。
永井さん、どんな授業する気だろう? A組でって事は今回は『ギャルの永井先生』による個別指導だ。
僕は急いでオフィスに荷物を置いて来て、授業開始の3分前の予鈴と共に2階へと階段を降りた。
ここのフロアには2部屋教室がある。
ひとつの教室は普通教室で、パーテーションで仕切られた20の四角いスペースが画一的に並んでる。
中には大きめのデスクとライトが配置されていて、勉強する人が疲れにくいように設計された高さ調節可能なチェアが2つずつ置かれている。
ここでは講師指名無しの、普通講師による完全な1対1での個別指導が行われる教室。
講師はランダムってことになっているけれど一応こちらで検討して生徒に合いそうな講師でマッチングさせている。
もちろん生徒の要望で個人的にNG講師を設定することも全然オッケーだ。やはり人同士、合う合わないは必ずあるのだから。
まあ大抵は、女子生徒が『女性の先生じゃないと嫌っ!』だとか、講師の出身校を選別する親御さんの縛りでNGが出される事が多いんだけどね。
ここでは基本、講師から生徒に学習と必要事項以外の事は話しかけない。
落ち着いて集中して静かに学習したい人に向いている。
通称F組。
もう一方は個性持ちの講師からマンツーマンで教わるアミューズメント教室。
通称A組。
ここはオフィスと似たような作りになっていて、内部は落ち着いたおしゃれなカフェのようになっている。
窓際に設置されてる作り付けのテーブル席もあれば、中央には大きな楕円形の円卓もあるし、二人並びの机の席もある。
チェアはF組と同じく、高さが調節出来るものになっていて姿勢が悪くならないように配慮されている。
フリードリンクのドリンクサーバーも設置されていて、多少のお菓子なら持ち込みOK。
こちらは普通教室よりさらに広いし、ゆったりしている。オシャレな観葉植物もあちこちに配置されていて、ぱっと見 学習塾とは思えないスペースだ。
どこに座ってもいいし、授業中他の空いてる席に移動しても良いことになっている。
ここの教室ではF組と違って生徒と講師でおしゃべりするから隣の声が気になってしまう事もたまにあるからね。
今日、相野きららさんは普通講師の予約だったけど、講師はたまたま個性持ちの永井さんが当てられたから特別に相野さんの好きな方の教室を選べたのだろう。
僕は相野さんみたいな子はA組の方が合っていると思うけどな。
相野さんは約1ヶ月ぶりのようやくの来校だ。永井さんの授業がお気に召してこのまま続けて通ってくれるといいけど。
個性持ちの講師の指名料は学年別に定められた授業料の80% で、F組の倍近くの受講費がかかることになる。
でもここの塾にはセレブが多く、大切なかわいい子どもの教育費には出し惜しみは感じられない。
A、Fの教室の人数は半々で、静かに集中して学びたい子と、楽しく学びたい子の違いだろうね。その子の性格による所が大きい。
僕はA組に一歩入り、一辺見渡す。
永井さんはどこだろう?
‥‥‥‥‥みっけ!
ここではあの薄い髪色の永井さんは目立ってるからすぐに見つけた。
永井さんと制服の女の子が窓辺のカウンター席に並んで座っている後ろ姿。
エントも見つけた。
大きな葉を繁らせた観葉植物の鉢植えで、カウンター席と緩く区切られてる後方の二人用の席。
本を読んでる格好を取りながら 彼女たちの後ろ姿をさりげなく見てるエント。
そろそろ始まりのチャイムが流れるだろう。
スッとエントの隣に立つと、エントはジロッと僕の顔を見上げ、隣のチェアを親指で指さした。
僕は無言でエントの隣に座った。
「ねぇ、先生ってほんとうに先生なのぉ? 全然先生っぽくないじゃん。きらら、こんな先生見たこと無いよ?」
相野きららが永井さんにタメ口きいてるのが聞こえて来た。
「そ? じゃ、今日は変わった先生が見られて良かったじゃない?」
お? 永井さんまで口調が変わってる。
「でもきららは来たくてここに来たんじゃないけどね。ママがどうしてもって言うからさー、入会したの。でさ、一回来たきりでずっとさぼってたら遂に怒りだしちゃってさー」
「ふーん。仕方なく来たんだ? 数学は嫌いなの?」
「当たり前じゃん。あんなの好きでやってる人この世界にいるの?」
「それがね、いるんだって。世の中いろんな人がいるものよ。ねぇ、相野さん。そんなに嫌ならやらなくていいよ。私とおしゃべりでもして時間潰して帰ればいいよ。そしたら怒られずに済むでしょ?」
カラーン コローン
授業始まりのチャイムが鳴った。




