第四話
今日は薬草から成分の抽出をする為に、台所を使ってガラス器具を用いた作業をしていた。
火加減の調整が難しい薬草で危険を伴う為、集中を切らす事は出来ない。
とはいえ一人で籠って作業をしていると、ついつい今は買い物に出ているヴァージルの事を考えてしまう。
あれほどの実力者なのだから、直ぐに仕事を見つけて何処かに行ってしまうかと思っていたのだが意外な事にこの場所が気に入ったようだった。
接客は性に合わないらしいが店番を頼めば私を呼ぶ程度はしてくれるし、気まぐれにふらりと外に出て行っても夜には猫のように必ず帰ってくる。
料理を教えてみたら才能があったようで、最近では毎日彼が作ってくれるようになった。
ヴァージルがいてくれると、私も快適なのよね……。
男女二人が同じ屋根の下という他人が聞いたら邪推したくなる状況であるにも関わらず、手放したくなくなるほど彼との生活はしっくりくる。
家族のようだが、ヴァージルは兄も弟も違う気がする。となると、表す言葉はやはり同居人でしかなかった。
いつまでここにいてくれるんだろう。
「ただいまー」
考えに耽っていると、ヴァージルの帰ってきた声と階段を上がる音がした。
「おかえり」
彼は二階に上がると買って来た荷物を床に置き、すっかり慣れた調子で調味料などをしまおうとする。
そして上の棚の扉を開けた瞬間、中で扉に寄りかかっていた瓶が支えを失い、火をかけているガラス器具の上に落ちてくるのが見えた。
危ない!
反射的に、傍にいたヴァージルを庇うように押し倒した。
パンッ
爆発音の後に背中に衝撃が走る。ガラスの破片が刺さった気がした。
「な……に、やってんだよ!」
ヴァージルは何が起きたか把握した瞬間立ち上がり、私に向かって声を張り上げた。
焦ったような、怒ったような初めて見る表情だ。
「ごめん、しまい方が悪かった」
「バカ!」
服に染み込んだ薬液が背中に灼熱の熱さを感じさせる。
「熱っ」
「動くな! 今冷やすから!」
怒ったヴァージルの声に身を竦めれば、水桶をひっくり返して頭から水をぶっかけられた。
お陰で熱さを感じなくなったのだが、ヴァージルは容赦なく二度三度と水を繰り返しかけてくる。
「ヴァージル、もう大丈夫! 水はもういいから!」
「本当か?」
慌てて声をかければその手を止めてくれたが、既に床は水浸しの酷い有様だった。
ヴァージルは床から離す様に私を椅子の上に座らせると、爆発を受けた私の背中を観察する。
「刺さってるな。手当するからちょっと待ってろ」
ヴァージルは棚から救急用の医療箱を取り出して机の上に置いた。
何処にあるかなんて聞きもしないところが、ヴァージルが如何にこの家に馴染んでいるかを示すようである。
彼は私の背中の服の一部を短刀で切り裂き、患部を露にさせた。
男性に肌を見せるのなんて恥ずかしいはずなのだが、苛ついたヴァージルの空気が私に恥じらう余裕も与えない。
「ごめん」
「次はするなよ」
「うん」
五年に一回するかどうかの大失敗だった。
高額な器具も壊してしまったのに気づき、気分が酷く落ち込んでくる。
「……なあ。何で俺を庇った? 弱えのに」
背中からヴァージルが真面目な声で聞いてくるが、そんなのはわざわざ聞くような事だろうか。
「体が勝手に動いたの。友達だから」
「そうか」
なんだか声が随分柔らかくなったような気がする。しかし油断していると、沁みる消毒薬が宣告なく背中に塗りこめられて声にならない悲鳴を上げた。
「……!!」
「言っておくけど、カナが邪魔しなけりゃ瓶を掴めたから。もう二度とするなよ」
ヴァージルがそう言うなら、そうなのだろう。けれどあれは反射的な行動であって、意識してのものではないし。
「返事は?」
「……!! 分かったから! そう何度も消毒薬かけないで!」
背中の拷問に慌てて返事をすれば、後ろから溜息が聞こえてくるが溜息を吐きたいのは此方の方である。
器具は壊れるし、怪我はするし、踏んだり蹴ったりだ。
しょぼくれて大人しく手当てを受けていると、濡れた頭を彼の大きな手が乱暴に撫でた。
「あんまり、怪我すんなよ。焦るだろ」
静かな声で、彼が本心で言ってくれているのが分かる。だから素直に頷いて返事をした。
「うん。気を付けます」
そういえば、こうやって誰かに心配されたのはいつぶりだろうか。私に薬草店の全てをおしえてくれたおばあちゃんが亡くなってから、初めてかもしれない。
やっぱり、誰かと暮らすっていいな。
「うし。終わり」
「ありがとう」
背中の手当は完了したようだ。椅子から降りれば、改めてガラスが散らばった水浸しの悲惨な状態が目に入る。
それを片付けようと手を伸ばしたところで、ヴァージルに追い払われてしまった。
「俺がやるから、さっさと着替えて来い。濡れた頭もどうにかしろよ」
「はーい」
自分の部屋に入り、扉を閉める。服を脱ぎつつ、胸に無視できない温かさが込み上げるのを感じた。
いつまでも、いてくれればいいのに。
けれど彼を繋ぎ留めておくだけのものなど何もなく、その事が少し切なかった。