第三話「愉悦の炎―②」
「おはようございます、アンナさん」
フランツェスカは、荷馬車を降りて荷物を取り出す。
「いやー待ってたよ。フランツェスカちゃん」
アンナと呼ばれた初老の犬耳おばあさんは、その年齢を感じさせないほど豪快に笑っていた。相変わらず黒枷をつけているフランツェスカだったが、アンナおばさんは、そんなことお構いなしに気軽に接してくれる。
「ご注文のクワ五本とシャベル三本。あと道具屋のケインさんが、実家のお母さんにメロンを貰ったそうで、お一つどうぞ!」
「まぁまぁまぁ! あそこのメロン美味しいのよー! あ、そうだ! 今からお昼にするからフランツェスカちゃんもどう?」
「え……いいんですか?」
「いいに決まってるじゃない! それともこれから別の用事だった?」
「いえ……じゃあ、少しだけ……」
フランツェスカがおばあさん達の休憩のためのベンチに座ると、遅れて同じく犬耳のおじいさんがやってきた。
「……ハスキーだったかな?」
犬や猫の獣人は、とにかく種類が多い。二人の黒の混じった銀色の毛並みは確かにハスキーを思わせるが、絶対にそうと言うわけでもない。そもそも獣人はなぜ生まれたかなどは判明しておらず、その生態も完全にわかっているわけではないのだ。
そんなハスキーっぽい耳を持ったアンナおばさんは、小型の果物ナイフを取り出すとメロンを切ろうとする。
「ま、待ってください。……それでメロンを切るのは流石に大変でしょう?」
「うーん、でも今あるのはこのナイフだけだし……」
「私のショートソードで大まかなところは切りますから。細かい所はお願いできますか?」
「そう? じゃあお願いね」
ショートソードを抜くと、未だに一滴の血も吸っていない真新しい鋼がギラついた。
「…………」
大きく息を吸い、空中に投げたメロンを一息の間に十文字に切り落とす。
「やああぁ‼」
さらに、そこから斜め十文字に切り、見事に八等分のメロンが生まれた。アンナさんは「すごいすごい」と子供のようにはしゃぎ、おじいさんも「大したもんだ」と感心するが、フランツェスカは残念そうにメロンを見つめる。まるで”これじゃご主人様に叱られる”とでも言いたそうに剣についた果汁を、血払いの要領で振り払い剣を収める。
確かに、一部皿から落ちていて、大きさも少しばらつきがあるが、剣を覚えて数ヵ月の彼女が、ここまでできるのは、十分すごいことなのだが……それでも、彼女は納得しない。
「はい。美味しいわよ」
そんなフランツェスカの悩みを知ってか知らずか、アンナさんはさらに果物ナイフで小さく切り分けたメロンを、小さなフォークで刺して渡してくる。そのフォークごと受け取ろうとすると「もー、そのまま食べちゃいなさいよ」と、いわゆる“あーん”をしている事がわかり、恥ずかしがりながらも彼女の差し出すメロンを一口で食べた。
「ふあぁ……」
甘みが口でとろけてきて全身から力が抜ける。自分でも驚くくらい、このメロンに魅了されていた。
「うふふ。いい顔で食べるわね。ほら、どんどんいっちゃいなさい」
と嬉しそうに次を渡してくれる。まるで餌付けされてるようだが、恥ずかしがりながらも、フランツェスカは食べさせてもらう。だが、残りのメロンが半分まで来たところで、ほとんど自分で食べている事に気がついた。
「も、もうこれ以上は……アンナさんの分がなくなってしまいます」
「遠慮しないの。ほら」
「お嬢さん。遠慮せんでええ。アンナは孫が帰ってきたみてぇで嬉しいだけさ」
「お孫さん……?」
二人には可愛い孫がいたそうだ。まだ小さかったその子は、この畑にくると嬉しそうに畑仕事を手伝ってた。その少年にとって畑仕事は子供のどんな遊びよりも楽しかったそうで、いつもおじいさんから教わっていたそうだ。
大きくなったら畑をくれてやるとまで言って、その時はものすごくはしゃいで喜んでいた。
……少年が失踪したのは、そのあとだった。野盗に襲われて死んだ事になってるが、そうではないことを、のちに二人は知るのだった。
……孫、そしてその両親は奴隷省に管理されていた。しかも絶望的だったのが、母親以外は最悪の黒奴隷の扱いだったそうだ。
ヴァンも、その話を聞いて三人の安否を確認したそうだが……数日後に三人の死亡が確認された。なぜ死んだかは教えてくれなかったそうだ。
そんな話を聞き、フランツェスカも他人事には思えなかった。彼女もまた、先日まで白奴隷……いや、平和に暮らしている今でも黒奴隷なのだ。
「フランツェスカちゃん」
フランツェスカの手を震える手で握るアンナ。
「何があってもヴァンを信じなさい。……あの子は絶望を知りすぎて全てを凍らせてしまった悲しい子。だから、できれば支えになってほしい」
その意味がよくわからなかったが、どのみち奴隷だしなと苦笑しながら「はい」とうなづいた。
*** *** ***
「うわーーーーっ‼ メロンだぁーーーー‼」
ヴァンの隠れ家に戻るやいなや、フランツェスカがその手に抱えているメロンを見て子供のようにはしゃぐクレア。……だが、ヴァンは彼女を冷たい視線で迎えた。
「……いくら稼いだ」
「五十ゴールドです」
「……少ないな。一日、百ゴールドは稼げるようになれ」
フランツェスカは、悔しさを口に滲ませながらも「はい」と素直にうなづいた。
「なんだ? 言いたいことがあるならハッキリと言え」
「いえ……」
結局この人も、今までの主人も同じ。自分勝手な正義や大義で奴隷を使い、いずれは捨てる。そうわかると、アンナおばあさんに言われたことが薄っぺらく感じて泣けてくる。せっかくヴァンのことを信じはじめたのに、これでは信じようにも信じられない。
ヴァンは所詮、自分の目的のためにフランツェスカを利用しているに過ぎない。
「……明日は俺も出かける。お前は言われた通り、最低百ゴールド稼げ」
「わかりました……ご主人様」
「ヴァンと呼べと言っただろう」
「……わかりました。ヴァン様」
ヴァンの隠れ家を出て、フランツェスカは明日の準備のために新たな仕入れに向かう。残されたヴァンが瞳だけでその姿を見送ると、クレアはあきれた様子でメロンを一切れ口に運ぶ。
「まったく……ヴァンは乙女心を理解してないねぇ」
「所詮、奴隷は道具だ……道具は使い込まれれば、いずれ捨てられる。俺なんか嫌われるくらいでいいのさ」
*** *** ***
「見損ないましたっ‼ ええ見損ないましたとも‼」
自分が奴隷であることも忘れて、フランツェスカは愚痴を吐きまくる。
「私を助けるみたいなことを言いながら、結局は私を利用することしか考えていない‼ あの男も、ジルートも大した違いはないのよっ‼」
一瞬でも信じようとした愚かさが信じられないと、フランツェスカは藁布団に当たり散らす。
「ここに来てからも、訓練以外は商人扱い。ようは金を稼ぎたかっただけじゃない」
ヴァンに裏切られた気持ちで、苛立ちを隠せない。結局奴隷を雇う人間を信じようとした自分が馬鹿だったと悟る。
そもそも、奴隷を飼うという行為自体が、フランツェスカには非道と思えて仕方ない。ヴァンは黒奴隷と同じように扱わないだけで、やっていることは他の主人と何ら変わりない。
「……確かに、この馬小屋は、性奴隷の牢に比べれば千倍はマシだけど……こんなことなら……ん?」
遠くの景色が、オレンジ色になって夜の暗闇を照らしていた。
その光を夕日だと思いこみ、“想像していたより時間がたっていなかったのかな?”と、馬小屋から顔をのぞかせる。……風と共に感じた焦げ臭さで、それが夕日などではないことを理解した。
「火事っ!?」
異常事態に驚きつつも、その火の燃える場所へと走る。