第一話「赤い瞳―②」
「……う……あっ…………」
綺麗に整ったメイド服は見る影もなく、ビリビリに裂かれていた。首枷はもちろん白に変わっていた。さらには両手を拘束されて天井に吊るされ――もう五時間以上経つ。
ジルートに捨てられた彼女はまず、この牢獄に捕らえられ鞭を打たれて、自分の立場を思い知らされることとなった。
痛みと疲労ですでに意識はもうろうとしていた。凍るような寒さの中……ただ最初の相手を待たされる。
待ってる間も最悪だった。むせび泣く声。酷い鞭打ちの痛みに泣き叫ぶ声。全てを諦め快楽に喘ぐ声。気が狂い、人間のものかもわからぬ壊れた奇声。
――――まるで、これからの自分の人生の終焉を案じているかのようで……だが彼女は知っていた。
獣人族として生まれた自分に……神の仔たる神仔族に逆らうことなどできない。
……そう、この世界の住人なら誰でも知ってること。世界を作りし神と、その仔らを讃えるこの世界の住人には、ぜったいに逆らえないその存在を……。
そんな絶対的存在を、たかが奴隷獣人が逆らえるわけもない……。
――――それでも……いつか――――。
「いやぁー可愛い奴隷が入ったじゃねーかっ‼ しかも純潔とかラッキー」
「ひっ!?」
ありえない願望から、現実に引き戻される。
これから恐怖にむせび泣き……逆らえば鞭打ちの苦痛が待っていて……すべてを諦め快楽に委ねるしか生きる術をなくし……正気も保てなくなり最後には壊れる。そんな玩具になったことを自覚する。
「い……いやっ」
「もう諦めろや……テメェは生まれた瞬間から、こうなることが決まってたんだよ」
「いやあああああぁぁぁぁ‼!」
抵抗も、男の支配欲を満たすだけだ。そのおぞましい光景に目をきつく閉じ、無駄とわかりながらも足をバタバタとさせる。
それでも、胸を揉みしだかれ、ケダモノのよだれに身を汚し、肌におぞましい男の全てが触れるたび、どうしようもなく身を震わせてしまう。
次第に疲労感と、なんとも言えぬ感覚で、ぐったりとしてしまう。そして……男が彼女の純潔を奪おうとしたところで、また正気を取り戻す。全てが終わることに恐怖し、許しを懇願し、それが全て無駄だと悟り……意味もなく助けを呼んだ。
犯される瞬間。どこかで冷静に、自分を見つめる彼女が助けを求める己の姿を嘲笑った……。
――――一体、誰に助け求めてるのよ……。
だが……彼女の助けを求める声は届いた。……最も、届いた相手は勇者でも紳士でもない。神と呼べるものだった。――――もっとも……死神だったが。
「わりぃなゲス野郎……いちばん楽しい時に殺しちまってよ」
彼女の純潔が散らされるその寸前……本当に助けがきた。まるで神に祈りが届くように――――。
その神様が鷲掴みにし、牢の壁にめり込ませているのは、さっきまでフランツェスカを犯していた男の頭だった。……正確には頭だけだった。
その首の先についていたはずの胴体は、フランツェスカを犯している体制のまま静止し、次第に力が抜け腕は離れてフランツェスカの脚がそれと同時に解放される。鮮血が全身に降りそそぐ中、フランツェスカは、その悪魔のような男の後ろ姿を目に焼き付けた。
銀髪が前髪だけ赤く染まっていた。血のような赤い瞳。指先から肩までを覆う、鋼のガントレットとそれを包み込むような焦げ茶色のマント。人を見下すような鋭い目つき。黒いロングコートが印象的だった。
そんな風にまじまじと見つめている彼女が、助かったと自覚するのに数秒時間がかかった。
「……もしかして邪魔したか?」
「そ……そんなわけないでしょっ!?」
思わず強気に答えた。奴隷として生きてきて、初めてこんな言葉使いをしたことに、自分でも驚いた。
「勘違いするな……アンタは、まだ助かったわけじゃない」
「え……」
男は助けにきたと思っていたら、その手に持った切っ先をフランツェスカの首筋に突き立てた。
……後少し押せば喉元を裂いて絶命する……そんな寸前で銀髪の男……ヴァンは問う。
「選ばせてやる……これからの奴隷としての人生を嘆き通して死ぬか……それとも神に逆らい、戦場で死ぬか……好きな方を選べ」
「そ……それって……」
フランツェスカはゴクリと息を飲む。……つまりこの男は、テロリストの仲間になるのか、それともここで一生奴隷として生きるのかを聞いているのだ。
「俺と共に来ればアンタは犯罪者の仲間入りだ。当然、国に命を狙われる。……ただ一つお前の利点を言うなら……お前に、この世界の真実を教えてやるよ」
「真実……」
フランツェスカは迷った。この男についていけば、確実に犯罪者の仲間入り。だいたい犯罪者達と一緒に行ったところで、本当に何も起きないとは限らない。最悪、犯罪集団の性奴隷になりかねない。
――だが……それでもこの男は信じてもいいかもしれない。そう思った瞬間だった。
「……っ‼」
フランツェスカが彼の問いに対し仲間になると答えようとすると、爆発的な恐怖が彼女を包む。
――――本当に神に逆らっていいのか?
――――そもそも逆らえるのか?
――――本当に、この男は何もしないのか?
「い……いや……」
そう絞り出すように答えてフランツェスカはハッとした。気がついたら、彼の誘いを断っていた。
「そうか……残念だよ」
「いや……あのっ……違う……っ‼ 私はっ‼」
「――――まぁアンタが何と答えようと、アンタを拉致すんだがな」
「へ――――?」
*** *** ***
薄れる意識の中、フランツェスカは女の声を聴いた。
「本当に、この子でいいの?」
「契約だ……間違えねぇよ」
次に聞こえたのは先ほどの死神の声だ。
「……まぁ、どうせ――だけど――――」
「ああ――――その時は――――殺すだけだ」
――――死んだ方が、どれだけマシだったんだろうね……?