第一話「赤い瞳―①」
「大戦より五年が経ちました……異世界から召喚された四人の勇者と、騎士レオンハルト様……数多の戦士の亡骸と共に終結した悪夢から、ようやく我らは立ち直りつつあります。魔のものは淘汰され、我々は平和を手にしたのです」
その男は教祖というより青年と呼んだ方がいいほど若く、そして誠実そうな男だった。銀の長髪をなびかせて、彼は大聖堂で祈る信者達に言葉を告げる。
「しかし、我々もまた学ばなければなりません。彼らの主張した奴隷の待遇については、確かに改善の余地があり、神の仔たる我らが自分を見つめなおすための大きなきっかけとなりました」
男は金色の瞳を閉じて、感情を抑えるように言葉をつづけた。
「五年前に奴隷制度の改正……つまり奴隷すべての管理義務化が発令されました。奴隷魔術を悪用した魔のものの計略が二度と起きないように、神の子たる我らは政府機関に奴隷省を作りました。それにより、奴隷にも権利が生まれ虐げられる苦しみから解放されたのです」
奴隷制度の改正により一部の奴隷は、ある一定の権利を持つことが許された。それにより、奴隷であっても一般市民とほとんど変わらない生活を送ることすら可能となった。
「この世界は、神の仔たる我々によって安寧と平和をもたらしてきました。神の仔たる我らがこうして恵を得ているのも、全ては、パラケルスス様の恩恵あっての物だというわけです。故に我らは、常に正しくあらねばなりません。そう、パラケルススの神に近づくために――――」
若い教祖の言葉に、信者達は祈るように拝聴していた。神からの素晴らしい言葉にみな聞き惚れていた。
この世界において、神の子とは通常の人間とは別格の存在とされている。“神仔族”と呼ばれる者たちが、神の血を引く者たちであり、いずれは神の力と称号を与えられる。
そのため、神仔族以外が権力を握ることはない。このジルートもまた、教祖兼ここベルンブルグの領主という大きな権力を持っている。
ちなみにパラケルススとは、この世界を作ったとされる絶対神の名前だ。彼がすべての大地や海、風に太陽、ありとあらゆる自然は彼の手によって作られた。
そのパラケルススの子孫が、つまりは神仔族。姿形は人間そのものだが、人間とは違い、将来は神に覚醒するとされている。
「ではこれにて……パラケルスス様の、ご加護があらんことを……」
言葉を終えるが早いか、民衆の思いは割れんばかりの喝采となって教祖ジルートに注がれる。
その声に静かに手を振って、ジルートは教壇を降りて奥の間へ入る。
そこには、侍女が二人。一人は黒髪の猫獣人。幼い少女で、ツリ目だが子猫のような瞳が愛らしい。
もう一人の侍女は熊獣人。豊満な胸をはじめとした抜群のプロポーションで、髪も目も綺麗な栗色をしていた。長い髪は髪質が固く乱雑にはなっていたが、それが彼女の個性を引き立てている。どこをとっても美しい少女だった。
そして、二人とも色違いの首枷をつけていた。首枷は奴隷と示す証である。猫獣人の少女は赤い首枷を。熊獣人の少女は黄色の首枷をつけている。
そんな二人のうち、ジルートは右手を猫耳の侍女に差し出す。
「え? あ、あの……」
ジルートが何をしているのかわからず、オロオロとしていたが、その様子が気に食わなかったのか、豹変し怒り狂ったジルートが、その侍女の頬をその手のひらで全力で叩きつける。
「私が右手を差し出したら、葉巻に決まってるだろうがっ‼」
「あ……ぐっ……」
ジルートが声高な怒声をあげる。猫耳の侍女が呻きをあげると、その間に熊の耳をもつ侍女が割って入り、ふかぶかと頭を下げた。
「申し訳ございません、ご主人様。どうぞ、葉巻でございま――――」
「貴様の葉巻などいらんわっ‼」
葉巻を差し出す熊耳の侍女の手をはらい、その指で猫耳の侍女の頭をさししめす。
「私は新人の教育をしているのだっ‼ 貴様など家畜の餌でも与えていればよいのだ‼」
「……申し訳ございません」
先程、神の声を教壇で説いていた教祖と同一人物とは思えないほどの豹変ぶり。だが、熊耳の少女からしてみれば、いつもの光景だった。
「あ……あの……は、葉巻でございます」
新人の猫耳の少女が葉巻を差し出すと、今度はその少女の腹を蹴り飛ばした。
「っ……もういいっ‼ このノロマが‼」
猫耳の侍女の精一杯の対応すら、この仕打ちだった。ジルートはふんっと鼻息を飛ばし、生えた長髪をパスタのように指に絡めた。悔しさで熊耳の侍女は歯を食いしばるが、抵抗することは許されない。
「……で、詳細は」
ジルートのなんの脈絡もない質問に意図がつかめない。熊耳の侍女は苛立ちを感じながらも主人に問う。
「あの……ご主人様。なんの詳細でしょうか? あぐっ‼」
熊耳の侍女の腹に、ジルートのつま先がめり込む。理不尽に蹴り飛ばされた熊耳の侍女が地べたを舐めるのを睨みつけ、さらに怒声を飛ばす。
「テロリストのことに決まっているだろうがっ‼ 私の質問くらい察して当然であろう‼」
あまりにも理不尽すぎる言葉に全身を震わせながらも、熊耳の少女は答える。
「……近隣に現れたテロリストは二名と聞いております。一人は……ヴァン=リベリオン。もう一人はクレア=アルカードです」
その名を聞くと、フンっと鼻息を荒くした。
「自称死神と、赤翼の吸血姫か……確かに大物だな」
これから得るであろう獲物の首に期待を膨らませ、口許に笑みを浮かべる。
「兵士を集めよ。なんとしてもその二人を打ち取るのだ。良いな! そこの猫娘‼」
「えっ? は、はい‼」
いつもは熊耳の侍女にそう言った命令を下していたので、一瞬反応が遅れた猫耳の侍女は困惑しながらも答えた。
「それと……フランツェスカ=ヒルデブラント……本日の罰により、貴様は白奴隷に降格だ」
「なっ!? お、お待ちくださいご主人様っ‼」
その言葉は、フランツェスカと呼ばれた少女……いや、この国で奴隷として生きるものにとっては絶望を意味していた。
この国で改正された奴隷制度により、奴隷にはランクが色によって分けられている。
最下位から順番に、黒、白、赤、青、黄。フランツェスカは黄奴隷で王族や、それに近い存在の身の回りを世話する役割を持っている。なお、先程の猫耳の侍女は赤奴隷だ。
彼女達がつけている首枷の色が、その階級をあらわしている。……つまり、フランツェスカは奴隷とはいえ、最上級のランクから一気に二番目に下の階級まで落とされるということだ。
しかも、白奴隷は二番目に最悪というだけのことはあり、その主な仕事は兵士達の慰みもの……つまりは性奴隷だ。
本来失態をしたとしても、ここまで落とされるケースは少ない。せいぜい新人を示す赤奴隷になるか、下位貴族階級相手の青奴隷になる程度のものだ。
だが……ジルートは冷酷にその理由を告げる。
「飽きたんだよ……お前」
「あ……飽きた?」
基本的に奴隷の階級により待遇が大きくが違う。黄奴隷に至っては休憩時間や、休日の決まりすらあるほどだ。
しかも赤奴隷より上は原則鞭打ち等の手出しはできない。だから奴隷達は必死になって働き、それ以下の地位にならないようにする事で、女性としてせめてもの尊厳を保っていた。
だが……必死に働き黄奴隷となった彼女が、人間としての尊厳も失うような奴隷に落ちるほどの理由が……ただただ飽きたという理由。
「まぁ、お前もこんな熊娘みたいにならないように、しっかりと働き、自分を磨けよ……飽きたらこうなるからな」
「は、はい。……ご主人様」
「ま、待ってください‼ お考え直しくださいっ‼ ご主人様あああぁぁぁ‼」
悲痛な叫びも虚しく……彼女は堕ちていく――――。