プロローグ 「弱小国家への相聞歌」
「詰んでるじゃねぇかよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」
一人の少女の絶叫が響き渡る。
少女の名はアネッテ・ユーバーファル。
ミッテ公国の第一公女であり――
「転移ってなんだよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ。だいたいアネッテって誰ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ」
というアネッテの叫びが示すように、彼女は転移者でもあった。
病院から乙女ゲームの世界にこんにちは。
彼女の前世は日本人。大学を出て、公立高校の教員になったところまではよかったが、若くして癌になるとそのまま入院。そして気が付いたらアネッテ・ユーバーファル(15歳)になっていた、というわけなのだ。
しかし彼女は最初、ここが乙女ゲームの世界であることに気付かなかった。
前世の彼女は乙女ゲームと歴史シミュレーションゲームを愛する社会科教師。
その目覚めは中学生のころからであるから、それはもう膨大な時間を乙女ゲームと歴史シミュレーションゲームに注ぎ込んできた。
そんな彼女が気づかなかった理由。
それはアネッテ・ユーバーファルが乙女ゲームの“モブキャラ”以下。すなわち、名前も無ければ、姿も無い。主人公の台詞にただ一言、「ミッテ公国の第一公女」とテキストでだけ登場するにすぎない存在であったからに他ならない。
だが、この世界に来て彼女が耳にした、トリオンフ帝国の名には聞き覚えがあった。
そう、彼女が生前最も愛した乙女ゲームと戦略シミュレーションゲームの融合。『鉄騎が征く』に登場する架空の国名であったからだ。
このゲームは、亡国・ミッテ公国の大公位を戴いたユーバーファル家の傍流を自称する少女が、トリオンフ帝国を相手に反乱軍を率いてミッテ公国を再興するという物語であった。
そう、“亡国”。
すなわち、このゲームでのミッテ公国は既に滅んでいるのだ。
そしてそのミッテ公国の第一公女はと言えば、トリオンフ帝国に祖国を併合された後に幽閉。そして幽閉先で、独立の旗頭となることを嫌った帝国の手によって暗殺されたことが主人公の台詞で語られるのだ。
「やっぱり詰んでるじゃねぇかよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」
と、それを思い出した彼女が叫ぶのも仕方がない。
何せ滅びる寸前の国の第一公女に転移した上、その後暗殺されることが決まっている人物なのだ。
幸いにして未だこのミッテ公国は滅んではいないものの、もはや風前の灯。
既に父である大公は亡くなり、大公位は空位。そしてその父大公の唯一遺った肉親が第一公女アネッテ・ユーバーファルだけなのである。
さらに悪いことには――。
今まさに、ミッテ公国の首都・クレフティヒヴァントはトリオンフ帝国軍三万に包囲されているのだ。
もはや逃げ場無し。
主人公でもなければ、悪役令嬢でもない。まして名前も無ければ姿もない、モブ以下の文字でしか登場しない公女(しかも未来は暗い)に転移した彼女の不運はいかばかりであったか。
宮殿のバルコニーへと出た少女の目に映るのは、円形に造られた首都・クレフティヒヴァントをぐるりと囲む大きな壁と、その外を埋め尽くさんとする帝国軍。まさに四面楚歌と言える状況。
だが――。
まだ――。
まだ負けたわけではないのだ。
「シミュレーションゲーマー舐めるなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
伊達に彼女とて青春を乙女ゲームと戦略シミュレーションゲームに捧げてきたわけではない。
学生時代、彼女の恋人は、“姉小路”であり、“土佐一条”であったのだ。
織田・武田・上杉という強国相手に立ち回り、弱小姉小路家を天下へと導いたことも一度や二度ではない、熟練のシミュレーションゲーマー。それが彼女であった。
「誰かあるっ!」
アネッテは気合を入れなおすと、私室を出てそう叫んだ。
(ミッテ公国で天下を統一……とまではいかなくても、生き残るくらいはやってみせるっ!)
幸いにも、乙女ゲーム『鉄騎が征く』は何度もやったことがあるのだ。
原作開始前であるので、原作知識がどこまで役に立つかは未知数であるが、それでも無いよりはマシであろう。
「至急軍議を執り行う。関係者を参集せよっ!」
アネッテは現れた執事にそう命じると、大股で会議室へと歩みを進め始めた。
テキストデータでしかなかった少女が、歴史の表舞台へと立った瞬間であった。