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後編

「あの、野辺地先輩はいらっしゃいませんか」

 放課後、姉の想い人がいるという噂を確かめるため、俺は科学部に顔を出してみた。

 女の子言葉を使うのには恥ずかしさを感じるけれど、丁寧語なら問題なく、普通に女の子っぽくなれる。すばらしい。


「くははは。杏クンか。久しぶりだな。美少女化の実験に成功したと聞いていたが、なるほど。見事なものだな」

 俺が片付ける前の姉の部屋のようにごちゃついた部室の奥で、一人の男が笑っていた。他に部員はいない。彼が例の野辺地先輩だろう。


 うぁ。変態だ。

 俺は思わず引いてしまった。

 長髪・切れ目・白衣、言葉遣い、どれをとっても典型的な、マッドサイエンティストだった。ある意味、姉とはお似合いかもしれない。


 野辺地先輩がじっと俺の顔を覗き込んでくる。美少女を見る視線とはどこか違うそれに、思わず視線をそらしてしまう。


「あの、今日は用事があるので、それでは……」

 俺は逃げるように背を向けて、部室の扉に手をかける。

「ところで、能城クン」

「は、はい。なんでしょう?」


 呼ばれて振り返って――己の間違いに気づく。今、なんて呼ばれた?

 今の俺は、杏だ。しまったっ。


「ふっ。やはり、杏クンではなく、弟クンだったようたね」

「どうして分かったんですか……」

「杏クンから君のためにと計画は聞いていたからね。杏クンの雰囲気が変わったとの噂を聞いてすぐに確信していたよ。安心したまえ。ほかの人間にこのことを話すつもりはない。もっとも君の対応次第だがね」

 ふっふっふ、と笑う野辺地先輩。俺は身を引きながら恐る恐る尋ねる。


「なにが目的ですか……?」

 同人誌の黄金パターンだ。

 秘密知られ黙っている代わりに、対価を要求される。

 狙いはやはり、姉の体なのか? 普段はともかく今は美少女なわけだし。


 いや、だが待てよ。

 こいつは、中身が俺であることを知っているんだよな。

 え? それでもいいの?

 もしかすると、姉の大好物な、アレなのかっ?


「勘違いしないでほしいな。確かに君は美少女になった。だがボクが求めているのは、昔の杏クンなんだよ」

「へ?」


 あ、そうか。そういう趣味だったのか。

 見た目の好みは千差万別だ。

 俺には専門外だが、同じ男をしていたから、フェチには理解がある。

 美少女が絶対にかなわない相手、だと……。強敵だ。


「うむ。君は彼女の価値を知らなすぎる」

「は、はぁ……」

 うゎぁ。ガチだ。


「普通の人間に、肉体入れ替え装置など作れない」

「――あ、そっちか」


 なるほど。彼が求めているのは、マッドサイエンティストな姉なのか。

 姉のこの頭には知識は詰まっていて、授業を受けているだけで、今までの俺との違いが分かる。

 だが、へんてこな発明品を作れるかと言えば別なわけで。

 きっと姉のほうも、俺の頭で苦労しているだろう。


「このまま君が杏クンの体を使用していると、社会に多大な損失が生まれる!」

「あのままでも、作るのはこんな変なものばかりですけどね……」


 むしろ今のままの方が社会に為にいいような気もする。

 だが先輩は、科学の衰退とか、ライバル不在で張り合いがないとか、力説を続ける。


「じゃあ、どうするつもりですか?」

「残念ながら杏クンが決めたことだ。仕方ない。あとは君次第だな」

「……俺の?」

 思わず、自分の姿を忘れて「俺」と言ってしまったけれど、先輩は気にした様子もなく告げた。


「杏クンを説得して元に戻るか、君がその頭脳を生かして杏クンを越える存在になるか。もし、のろのろしているようだったら、私が実力行使して君を改造するのもよいが――」

「し、失礼しましたっ」

 実験対象を見るような目を向けられ、俺はあわてて逃げ出した。



 美少女状態なことも忘れてダッシュで逃げていると、廊下の先に野乃が立っていた。どうやら俺を待っていたらしく、俺を見て言った。

「ねぇ。今日、うちに寄っていい?」



 というわけで、今俺は野乃と部屋に二人きりだ。

 これはいきなりの、百合展開ではないだろうか。

 さすがに急で、何を話していいか戸惑う。


「部屋、綺麗にしたんだね。前はごちゃごちゃしていたのに」

「え、う、うん。さすがにひどかったからね」

「そう。私は前の方が好きだったなぁ。杏らしくて」

「そ、そう……」

「そういえば、能城君、最近元気になったみたいだね。よかったね。杏ちゃん、能城君が友達と上手くやっていけるか、心配していたもんね」


「え?」

 俺のことを心配していたって?

 そういえば、野辺地先輩も俺のことを言っていたっけ。

 もしかして、男になるのが目的じゃなくて、俺と入れ替わるのが姉の目的だったのか。


「そのおかげなのかな。杏ちゃんも綺麗になって、肌もこんなに……」

 野乃が俺の顔に向けて、手を伸ばしてくる。

 え? ちょっと待て。

 百合展開なんて言いつつも、まさか本当に?

 姉に男っ気はなかったのはそういう趣味だったからなのか。


「……目を閉じて」

「う、うん」


 もし姉と野乃がそういう関係だったら、拒むわけにはいかないし。もし違ったら……などと混乱しつつ、流されるように俺は瞳を閉じた。

 野乃が立ち上がって、少し俺から離れたのが物音で分かる。

 え? これって、放置プレイ? と一瞬思ったけれど、すぐにまた野乃の息遣いや体温が近づいてくるのを感じる。


 野乃に眼鏡を取られる。

 そして……


「杏、この眼鏡をかけてっ!」

 野乃の叫びとともに、顔に眼鏡をかけられた。

 目を開けて確認すると、それは、姉が愛用していた牛乳瓶型ぐりぐりメガネだった。机の上にある眼鏡ケースに入れておいたのを、俺が目を閉じている間に取り出したのだろう。


「杏、確かにあなたは綺麗になった。けれど、違うの。そんなの本当の杏じゃない。そして気づいたの。きっとあなたは別人。何者にとりつかれていると」

 ぎく。

 さすが姉の友人(絆という意味で)だ。鋭い。


「そして私は分かったの。――杏の本体は、この眼鏡だと!」

 さすが姉の友人(同類という意味で)だ。馬鹿だった。


「かけたみたけれど……」

 俺はぐりぐり眼鏡を手にかけて言った。度はもともと合っているので、問題ない。

「そんなっ。戻らないなんて。あの、マッドでサイエンティストな杏はどこに行ってしまったのーっ」

 野乃が青春ダッシュで部屋を飛び出して行った。

 そのノリについていけず、俺は一人部屋に残されてしまった。



「うーん……」

 野乃の暴走とはいえ、ちょっと後味が悪い。

 俺はもともと他人との接触を絶っていたから問題ないけれど、姉はそうでもない。あまり人付き合いしている方ではないが、科学部の野辺地先輩にしろ、野乃にしろ、俺よりずっと知人は多いはず。


 勝手に美少女やっていたけれど、これ以上迷惑をかけられない。

 潮時かもしれない。

 それに、野辺地先輩や野乃が言っていた、計画って……



  ♂ ♀ ♂ ♀



 俺は久しぶりに、元自室を訪れた。


「あら、能城ちゃん、どうしたの?」

 ファッション雑誌を読んでいた姉が振り返る。

 家族の前や学校ではうまくやっているようだが、正体を知っている俺の前ではいつもの口調だ。その格好でその口調だと、やっぱり違和感がある。


「あのさ、聞きたいんだけど。実はこの入れ替えって、姉貴の欲望というより、もしかして、俺のため、だったのかなって」

「え、どうして?」

「いや、野辺地先輩や野乃がそれっぽいことを言っていたから。本当の目的は、『俺』のイメージを変えることだったんじゃないか」


 姉は黙ったままだ。

 二人とも俺のためと言っていた。

 そこから姉のしたことを考えた結果、導き出した答えだ。


「そして、一方で俺を姉貴の身体で生活させることで、俺のコミュ障も治そうとしたんじゃないか?」

「能城ちゃん、女の子に憧れていたから、上手くいくかなって思ってたけど、予想以上に、美少女になっちゃって驚いたよ」


「やっぱりそうだったのか……」

 まさかそんな、まともな理由だったとは。正直、驚きだった。


「まぁ、ね。ちょっとやりすぎたかもしれないけれど、私が能城ちゃんのイメージを良くしてあげたし、能城ちゃんも美少女として、かなり周りとうまく接してきたようだから、もう大丈夫だよねっ」

「まぁ、な」

「あたしも美男子の生活を堪能できたし。クラスの男子とも一線越えかけたけれど、魔法使いになれる権利は、ちゃーんと残してあるから!」

「どうも……」

 訂正。やっぱりそっちが本命で、俺のことはついでだろ。


「そろそろ元に戻るか」

「うん」

「そういえば、あのピコピコハンマーはどこにあるんだ?」

「大丈夫。ちゃんと能城ちゃんの大切なコレクションと一緒にしまってあるから」

 姉が机の引き出しを開け、薄い本の下からピコピコハンマーを取り出した。――って、そこに隠すのはやめてくれ。

 

 とそのときだった。


「ふっふふ。やっぱりそうだったのねっ」

「母さ――ママっ?」

 やばい。俺の秘蔵コレクションの隠し場所がばれた……じゃなくて。


「もしかして、俺たちのこと気づいていたのか?」

「当たり前でしょ。私の娘と息子よ」

 母が胸を張って言う。


「今さっき、二人の会話を聞いて気づいたのよ!」

「今かよっ」

「さぁ、大人しくそれを渡しなさい」

「って、どうしてそうなるんだよ。話を聞いたのなら、元に戻るのが筋だろう」

「嫌よっ。二人を元に戻したくない。戻ったらきっとまた、ずぼらな二人になってしまうのでしょっ」

 さすが母親。鋭い。

「うーん。そうかも。でもやっぱり、それも含めて、本当のあたしたちだし」

「そんなの認めないわ!」


 いや、認めろよ。

 母が部屋に入ってきて、姉からピコピコハンマーを奪い取ろうとして、もみ合いとなる。そして――


 ゴツっ。

 その拍子に、二人が持つピコピコハンマーが、姉の頭に当たった。

「あっ」

 俺の目の前で、二人が光に包まれた。



  ♂ ♀ ♂ ♀



「ねぇねぇ。杏ちゃん。学校、マジヤバいわ。若い子がいっぱいで、もぉ百年は若返っちゃったわぁ」

「野太い声で金切り声を出すな。それと俺の身体で、身をくねくねくねらせるなっ」

「あらやだ。杏ちゃんは美少女ちゃんなのだから、可愛らしい言葉遣いをしなくちゃダメよ」

「それをそっくりそのまま返すわっ!」


 あの日のもみ合いの結果、俺をそのままにしたまま、姉と母の身体が入れ替わってしまった。

 母は歓喜した。そして姉以上に、俺の男子高校生ライフを満喫している。

 そして母になった姉はというと――


「ねぇねぇ。お母さん。今度、北上くんと河地くんと、船橋くんをうちに連れて来てよ」

「あら。その組み合わせ、いいセンスね。よだれが出そう」

「えへへ。自分で体験するのもいいけれど、脇からそっと見守るのがだいご味だって気づいたのっ!」

「断言するなっ!」


 姉は母の身体が気に入ったらしい。俺のときと違って姉弟より親子の方が一等親近いからか、元の性別が同じだからかは分からない。

 そして発明好きの性格が、そのまま料理に置き換わって、奇妙な創作料理を食べさせられる日々。


 肉体入れ替え装置は、狙ったかのようにあの後、壊れてしまった。戻りたくても戻れない状態だ。

 母になった姉にやる気はなさそうなので、仕方なく俺が姉の知識をフルに使って入れ替え装置を直せるよう勉強中だ。

 美少女なんてやっている場合ではない。



「そう! そうよっ。そんな杏が好きなの!」

「くっくっく。天才が二人になろうとしているのか。これは面白い。また我が野望が近づいた」

 科学室で、掛けやすい瓶底眼鏡と楽々な白衣を着ながら、元に戻る研究をしている俺に向けて、野乃と野辺地先輩が無責任に言う。


「やかましいっ!」

 叫びながら俺はある格言を思い出した。

 不細工は三日で慣れるが、美少女は三日で飽きる、と。


 なお、一人蚊帳の外だった父が、こっそりと拗ねていたのは無視である。




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