Act.8 CRAZY RAMPAGE
「ただいまぁ」
リースはいつもどおり、地上にある家に帰った。
ICの面々からは「一緒に食べよう」と誘われていたが、夕飯は父と食べるのが日課だったので断って帰ってきたのだ。
「優しい父さんだね」と星羅には言われた。
母親こそ他界しているが、自分は親には恵まれていたのかもしれない。
そんなことをぼんやり考えながら、靴を脱ぐ。
今日は、その父の返事がない。
父は自営業で自宅がオフィスだ。従って、家にいないことは珍しい。
たまに取引先に出張することはあったが、ほとんどが日帰りだ。今日は遅くなるのだろうか。だが、そんなことは一切聞いていない。そして、父が遅くなるという連絡を欠かしたこともなかった。
不審に思いながらリビングまで入る。
いつも夕食を食べるテーブルの上に手紙が置いてあった。手紙には「出張に行ってくる」と書かれていた。「行き先は海外で電話も通じない。後から必ずかける」と付け加えてある。どこか不自然な素っ気なさが文面から読み取れたが、筆跡は父のものだ。
諦めて冷蔵庫の中を漁るも、作りおきのご飯などは一切なく、材料もない。まあ材料があっても作れる自信はないのだが。
「いつ帰ってくるんだろ……」
そうぼそりとつぶやいたあと、彼女は家を出た。コンビニに夕飯を買いに行くために。
「出ないなぁ……」
手紙には電話は通じないと書かれてあったが、念のため何回か電話をかけた。――――やはり通じない。
お湯を入れて数分。いそいそとカップラーメンのふたを開ける。湯気の立つ麺をすすりながら、呼び出し音が途切れるのを待つ。
「一言くらい言ってくれたっていいじゃない」
誰にも見せない膨れっ面をするも、電話の向こう側から声が聞こえることはなかった。
もしかしたら、やっと自分の晴れ舞台を父さんに見せれたかもしれない。――――いいや、そんなたいそうなものではないことは自分で分かっていた。たしかに、星羅と美那にとっては晴れ舞台だ。だが自分は所詮、そこに潜り込んだ異分子に過ぎない。せめて、意気込む2人の邪魔にならないようにはしよう。
そんな半端な誓いしか立てられない自分を恥じながら、リースは独りの夜を過ごした。
そしてその日は訪れた。これまでの公演会場であるハコがいったいいくつ入るのだろうかという、気の遠くなるほど広い観客席。そこに途方もない人数の観衆がひしめいていた。その皆が皆、これから始まる舞台への期待に胸を膨らませ、わあわあと沸き立っている。シェルタリーナは地下だ。ここから地面が割れてしまわないかというほどの歓声が控室にまで漏れていた。
「だ、大丈夫? 星羅ちゃん、緊張しすぎていない?」
星羅が控室の隅っこで屈みこんで震えている。見るに堪えかねて美那が話しかけた。
耳まで真っ赤に染まりながら肩を震わせ、膝はがたがたと大爆笑。星羅は3人の中で最も緊張していた。彼女自身あがり症とは言っていたが、ここまで来ると苦笑いだ。あの人見知りの美那が一番落ち着いているというのに。
「み、美那ちゃんは、な――――なで、そんな、おち、落ち着いていられるのよ。リ、リースもよっ」
「あ、あたしは……」
言葉に詰まるリース。これくらいの規模のライブなら地上で何度も経験していた。――――そんなこと星羅と美那の前で言えるはずもなく。
「君たちに、紹介したい子がいる。今日の公演の前座を務めてくれるらしい」
ムンクが控え室に3人の少女たちを連れてきた。前座を務める新米アイドルグループだという。
「こんばんわ」
帽子がトレードマークの背が高めの少女が、センターを務めているらしい。
「今日のライブの前座をすることになりました聖☆少女騎士団のリーダー、友見坂嬉良です」
かしこまって礼をする彼女の姿に、リースは自分の目を疑った。何度かぱちくりと瞬きをした後、事態を察知して顔の筋肉が硬直し、口がぱかんと開いてしまう。背中を冷や汗が滴るのを感じる。
「メンバーのΔ愛です」
「同じく、寺嶋優香梨です」
今は聖☆少女騎士団などと名乗ってカモフラージュをしているが、嬉良も寺嶋ももともと、リースと同じ、ザ・クルシエイダーズというアイドルグループのメンバーだ。今では、リースのポストはΔ愛という新参者の長身の眼鏡をかけた少女に奪われている。――――だが、それよりも嬉良の存在が恐怖でしかなかった。一瞬目が合った瞬間、彼女は鋭い猛禽の瞳をリースに差し向け、引きつった笑みを浮かべた。
『じゃあ、また今度。――――次会ったときにそれなくなってなかったらどうなるか、分かったもんじゃないから』
女子トイレでの嬉良の捨て台詞が、リースの脳裏を掠める。目眩がするようだった。
(間違いない。嬉良はこの公演をぶっ潰す気だっ)
リースは恐れに顔をこわばらせながら奥歯をひっそりと噛み締める。
その表情を横目で読み取り、嬉良はそれに嘲笑を返した。ひらひらと右手を羽ばたかせながら控室を後にする嬉良。彼女に頭を垂れてついていく寺嶋がぼそり。
「ごめん、リース。あたしは悪い子だ」
リースにはそう呟いた声が聞こえた気がした。その意味をどこかで噛み砕けないでいるリースは戸惑うばかり。
「どうしたの、リース? 知り合いでもいた?」
「いいえ。別に――――」
美那に投げかけられた質問に、消え入るような声で返す。
自分で招いてしまったことなのに。ここで束の間の安らぎを与えてくれた星羅と美那を守ってあげる方法。それが、リ-スには分からなかった。
それを嬉良が推し量ってくれるはずもなく、いや、それを知った上で非常にも踏みにじろうとしているのか。アリーナ席の海岸線に突き出た岬に、真っ暗闇の中立ち、嬉良は口角を引きつりあげた。3人して天高くマイクを掲げる。
「さあ、はじめるよ。あたしたちの独壇場を」
緑のライト。赤のライト。
サーチライトのように会場をぐるりと見まわして。少女の唇からマセた台詞が音階に乗って飛び出した。
“恋は駆け引き”
激しいビートがアンプから放たれて地を這って、アリーナ席の観客の足元で隆起する。シンセサイザーの電子音で紡がれるディスコティーク。赤のライトと緑のライトが、イルカの番のように会場を泳いだ。
》
乙女らしく待つなんて 時代錯誤よ
先手は譲れない 君にアプローチ
タイミングがすべて 今決めるのよ
時は待ってくれない 君にチェックメイト
少女老いやすく恋成り難しなんてね
世は恋愛大戦期 ライバルにゃ負けらんない‐愛‐ai-yeah!
恋は駆け引き 待ってるだけじゃ きっとあのコに適わない
君にドキドキ カン違いなんか だってそうそう物足りない
傍から見りゃ馬鹿らしくたって
恋は駆け引き 待ってるだけじゃ そうよ永久に二番手よ
君にドキドキ カン違いじゃない だってそうそう青春よ
たとえデキレースでも I wanna be your girl!
》
激しいギターソロが切り込んだ。アップテンポかつダンサブルな曲に、攻撃的なギターが入れば、会場の熱気はますます最高潮に。腰をくねらせ艶やかに舞う少女の足元でサイリウムの波はその勢いをますます強める。その熱気は、とても前座のものとは思えなかった。
「会場、すごい盛り上がってるね」
「だ、大丈夫かな。い、今以上盛り上げられる自信が――――」
美那は感嘆しているだけだが、星羅はというと完全に怖気づいてしまっている。舞台袖で控えながら蹲り、ぶつぶつとうわ言を呟いている星羅を見下ろし、美那はくすりと笑った後、その肩にやさしく手を置いた。
「大丈夫だって。このために、あたしたち今までやって来たんだから。
ねっ、リース」
「――――あいつら。あたしごと、潰す気でいるんだ」
リースはそう漏らした。その声は美那には届いていない。
「ちょっと、リース。聞こえてる?」
返事がなく、心ここにあらずといった具合のリースに、美那は掌でメガホンを作って声を投げる。しかし、それが届くか届かないかのところで、突如舞台が暗転した。曲が終わった瞬間に息を合わせて、ばちんとブレーカーが切られたかのような乱暴な照明の落し方だった。舞台から漏れた灯りをもらっていた舞台袖も灯りがなくなり、ICの面々の視界を闇が覆った。――――そして、冷たく湿ったもやが脚にまとわりつくのを3人は感じたのだった。
「なにこれ……?」
床を這う霧。舞台の演出に使われるスモークだった。
会場はこの演出に沸き立っていた。だが、それはすぐさま静まり返った。さっきまでの熱気がまるで嘘のように消え失せた。後には、そこに観衆がひしめき合っているということを忘れさせる不自然なほどの静寂が残った。
静寂の中をつんざく少女たちの足音。たった1曲だけの前座公演を済ませた聖☆少女騎士団は足早に舞台を去った。
「あれ? もう、終わり・・・?」
ICの面々も前座が予想よりもずっと早く終了したことに、少し焦った。だが、もっと焦っていたのはムンクだった。
ゆらゆらとした笑みを浮かべながら舞台袖に現れた嬉良の前に、控室から慌てて出てきたムンクが詰め寄る。
「困るよ。前座とはいえ、きっちり持ち時間をこなしてもらわないと」
「いいえ。もう、仕事は終わったんです。では――――」
前座前の挨拶とは打って変わっての冷たく跳ねのけるような態度。引き留めるムンクを無視し、嬉良はその場を足早に去った。寺嶋とΔ愛もそのあとを追う。3人ともやけに早い足取りだった。
予定より20分近く早く終わってしまった前座に、ICのメンバー、及びプロデューサーのムンクは困惑した。
とはいえ、もたもたして観客を待たせるわけにはいかない。急いでICの面々は、ステージ衣装に身を包んだ。今夜の衣装はワイシャツにサスペンダー付きのスカートだとか、そういう簡素なものではない。袖口や裾にフリルのついた、ワンピースのドレス。サテン地で照明を反射してキラキラと輝く。
スポットライトが降り注ぐ舞台に向かう3人。だが、美那の足がぴたりと止まった。
「どうしたの?」
「――――聞こえる」
「聞こえるって、なにが?」
「みんな、寝ちゃってる」
耳をすませばかすかに聞こえる。ドアの向こうから、寝息のようなものが。いや、それどころか、いびきや寝言まで聞こえてくる始末だ。
それに気づいたとき、星羅はかすかな匂いを感じ取った。
「ねえ。なんか変な匂いしない? 薬品臭いというか」
星羅がそう呟いたとたん、リースは腕が筋走るほどに拳を握り締め、舞台袖に置いてあった自分が公演中に演奏する予定だったギターを担いで、ステージへと駆けて行った。
「ちょっと、リースやめといたほうがいいよ! おかしいって!」
「たたき起こしてやるんだよ このまま嬉良の思い通りにさせない」
あからさまな嬉良の嫌がらせだった。あのスモークに混じっていたものが、薬品臭い匂いの正体。そして会場の皆を眠りに陥らせている原因。麻酔薬。
眠っているならたたき起こしてやればいい。リースの頭の中には単純な考えがあった。
ステージへ上がる。油性マジックを直接嗅いだようなつんとした匂い。それは思わず嘔吐いてしまうほど強烈だった。かまうものかとアンプにギターを繋ぎ、出力を上げる。かき鳴らしただけで轟音がほとばしり、地面が振動するほどにだ。
コードなどまるで知らないかのように出鱈目にギターをかき鳴らす。会場の端から端まで聞こえ渡るように、ステージを走り回りながら。激しい演奏にチラホラと眠りから解放されたものも出てきたようだ。だが、そんなリースの努力を嘲笑うがごとくスモークが再びたかれ始めた。そのスモークからも例のごとくシンナーの匂いがした。
ついにリースにも、麻酔が効き始めてしまった。膝から崩れ落ちては立ち上がり、ギターに縋りつくようにして尚も演奏を止めようとしない。
朦朧とした意識でギターを抱えるリースの手を引っ張ったのはムンクだった。
もうこのときには、ひと呼吸しただけで嘔吐いてしまうほど麻酔薬は会場に充満していた。そのうち、リースは自重すら支えられなくなり、ムンクの右手にリースの体重が重くのしかかる。
「リース! リース! しっかりし――――げほっ! えっほ! うっ……」
喉の奥から胃酸が上がるのを感じた。リースの体を引きずって、なんとか控え室まで戻ろうとする。しかし、脚に力が入らない。麻酔はムンクをも蝕んでいた。舞台袖にも麻酔薬が充満し始めている。
壁を伝いながら控室のドアにたどり着くと、こちらを迎え入れようと星羅と美那が控室のドアを開けた。
「早く閉めろぉおっ!」
精一杯の声を出しながら、ムンクはリースとともども床に崩れ落ちる。
「治安維持局に……連絡し、救助を要請しろ……」
そう言い残し、彼は意識を失った。