Act.6 The Worst Contact ~サイアクな鉢合わせ~
リースは少し早目に自室のベッドについた。
しかしまだ寝入る気配はなく、掛け布団の上に思いっきり外着のままで寝転がっている状態だ。壁のフックには、自分で作ったリボン付きのヘッドフォンがかけてある。ほんの数ヶ月前までライブ衣装で使っていたものだ。ヘッドフォンのコードをぶっちぎり、カチューシャの部分に中にワイヤーを仕込んだ長い黒のリボンを結んで作った。ライブではいつもそれをつけて歌っていた。
しかし、ザ・クルシエイダーズのメンバーから外されて3カ月が過ぎた今では、すっかり埃をかぶってしまっている。
舞台に戻れるとは言われたが、所詮は相手を潰すためのスパイだ。まともな音楽活動などできるわけもない。
(そういえば、まだお父さんに舞台を見せたことないなあ……)
――――とりあえず何も考えないことにした。寝る前に考え事をしていると寝れなくなるから。朝までは忘れよう、もう自分に自由な音楽はできないということは。
ひたすらに沸き起こるのは、父になにも返すことができていない自分を責める声。リースはそれらを振り切るように瞼にぐっと力を込めた。
しかし、あまり良い眠りにはならなかった。それでも、接触を避けることはできない。
自分は今から、メンバーを陥れるネズミとして加入する。革命楽団ICに。
ICのプロデューサー、ムンク・オスカー。
彼はシェルタリーナ内の共同スタジオに間借りをして住んでいた。そこがICの活動の拠点というわけだ。
「あ、あの。すみません」
こんこんとスタジオのドアをノックする。彼はドア越しに「入れ」とリースを招き入れた。
そこにはちょっとした生活スペースがあり、キッチンと、ベッド代わりにしているであろう古ぼけたソファーがあった。ソファーの向かいには椅子もあり、応接間のようになっている。椅子に座っていたところから、ひとりの少女が立ち上がって礼をする。メンバーのひとり、月影星羅だ。
ムンクはというと、ソファーで足を組み、青年誌をパラパラとめくっていた。
「辻井リースといいます! よろしくお願いします!」
彼がこちらに興味を示してくれる気配はない。
「昨日聞いたコか。そこのペーパーナイフとってくれるか」
「あ、はい」
ムンクはリースの方には目もくれず、青年誌に目を落としている。わけもわからず、言われるがままペーパーナイフを渡したリースから、それを受け取るとニヤつきながら青年誌の閉じられたページに沿ってそれを這わせる。
「お、サンキュー。これで、袋とじがきれいに――――」
「って、何やってんですかっ!」
その場にいた、星羅がムンクから青年誌を取り上げた。
「だぁーっ、何するんだよ! 限定グラビアがビリビリじゃねえかっ!」
切り取り作業中に星羅が引っ張るものだから、ページがビリビリに破けてしまった。
「あ、ごめんなさい。じゃなくてっ! せっかく面接に来てくれたんですよ! もっとちゃんと応対してくださいよ!」
「あー、とりあえずルックスは合格だな」
「あんたのデリカシーは人間として不合格だわっ」
面接に来たというリースの前で早速の言い争いをするムンクと星羅。
リースは、ふたりの間の抜けたやり取りに少々引き気味だ。
「あの……。オーディションとかはしなくていいんですか?」
「オーディション? 一緒に練習させて、それで決めていこうとしていたんだが」
「え、しっ、しないんですかっ?」
予想外の返答にまごつくリース。
彼女の背中にはギターケースが背負われていた。肩がびくんとはね上がると、ギターケースががたりと音を立てる。
「アコースティックギター持ってきたんですけど……」
「ギター弾けるのか?」
「ま、まあ。人並みには――――」
リースはケースを床に下ろし、中からギターを取り出した。銘柄はギブソン。エッジの効いた鋭いサウンドが特徴的なものだ。
「全部だと長いんで。一回目のサビまでで」
ザ・クルシエイダーズでは、ギターを披露することはなかった。アーティストではなく、他人が作った歌を発信する機械的なものとして扱われていたからだ。
ギターの弦をはじいて弾いた曲は思い出の曲。初めてマスター ――――秋元家康――――からもらった曲だ。まだ何も知らずにいた自分が、純粋な思いで歌っていた曲。
》
授業中 気づかないと思っていたの?
あなたずっと あたしのこと見てたんでしょう
こんなキモチ 内緒じゃなきゃ言えないよ
おんなじキモチ 持っていたなんて
目が合えば逸らしたけど 本当は見つめ返したいの
いつか
あなたとふたりきり デートに誘ってよ
勇気を出してよ そしたら泣いちゃうくらいに嬉しいのさ
あなたとふたりきり 好きだと言ってよ
勇気を出してよ そしたら黙ってうなずいちゃうのさ
そこんとこ男を見せて
》
この曲はリースのお気に入りの曲。思い入れもそうだが、何より声質が合っている。
可愛らしい歌詞だが、サビは攻撃性すら感じるような激しさ。リースは地声が低く、アルトボイスだが、シャウトにも近いファルセットは高音で実に表情豊かだ。彼女の声の特徴が存分に生かされた曲だった。
「すごいじゃないか、リース」
ムンクと星羅は拍手をしてくれた。
リースにとっては、それがとても清々しかった。マスター、家康は拍手をしてくれたことはなかった。もちろん、ファンからの拍手や声援を受けたことはあったが。
「ありがとうございます」
「すごいすごい! 今度ギター教えてよ」
「えっ、あ、うん……」
星羅が同性ということを利用して鼻の先がくっつくかという距離まで詰め寄ってくる。なんだか少し照れくさくて、頭をポリポリとかいてみせるリース。
「ギターが恐ろしくうまいな。独学なのか?」
「はい、いろんなアーティストのギタースコアを読み漁って身につけました」
「決まりだっ、君をICのメンバーに入れようっ」
腰かけていたソファーから立ち上がり、ムンクはにっこりと笑みを浮かべた。オーディションは無事合格というわけだ。
「ちょうど追加メンバーを探していたしな。声が低めで力強い。それに表情豊かなファルセット。実にロックだ。星羅と美那にはない要素。これはいい化学反応を起こしそうだっ」
リースの加入により、アイデアの泉が湧き出しそうなのか、ムンクは少し興奮している。彼の様子と、星羅からの「おめでとう」の声。リースはこの瞬間、自分がひとりのアーティストとして認められたかのように感じ、喜びを噛みしめた。自分が彼らを潰すために送られたスパイであるという現実を忘れて。
――――リースがICに所属してから3日が経った。
ちょうどシェルタリーナで一番大きなステージ、ブドーカンと呼ばれる会場でのライブを2日後に控えていたころだった。
「リース、はやいな。もうみんなのペースを掴んでる」
「あ、ありがとうございますっ」
既にハコでのライブ活動をいくつかこなし、リースはICの期待の新メンバーとして認知されるようになっていた。なにせリースは、ダンスもギターの腕前もそして歌も一級品だったのだ。それもそのはず、彼女はギターこそ独学だが、歌手活動に必要な力量を地上のアイドル養成所で培ってきたのだから。おまけに嬉良、寺嶋と組んでいたユニット――――ザ・クルシエイダーズ――――では、フロントマンと言っても差支えのない人気だった。
「ねぇ、お昼食べに行こうよ」
午前中。2日後に控えた大型公演に向けてのリハーサルの最中、美那が提案した。リースは音楽活動の面でも、仲間という面でもICにすっかり溶け込んでいた。
「うんっ!」
満面の笑みでリースは返事をする。
彼女の中でここ数日は、人生の中で一番と言っても過言ではないほど充実していた。ここには自分が求めていた本当の音楽がある。自分でギターも弾き、ムンクには何曲か自作の詞曲を提案したりもしていた。管理音楽の下ではまず許されない行為だったが、そのたびにICの面々は嬉々としてくれた。リースはそれがたまらなく嬉しかった。
ランチは例のフードコートでとる。リハーサルをしている共同スタジオから歩いて十数分のところにあるそこに、いそいそと出かけていく。ムンクはまだ作業があるからとスタジオにこもっていた。
道中、3人のガールズトークは絶えなかった。だが、フードコートについたあたりでスマートフォンに着信が入った。バイブレータが服を振動させるとともに、彼女の背中を虫が這うような悪寒が襲った。
最も今話したくない、存在を忘れたかった奴からだった。
“着信 友見坂嬉良”
「ちょっと、トイレ行ってくるね」
リースはそう言ってフードコートのトイレに入った。だが電話に出るまでもなく、彼女――――友見坂嬉良――――はそこにいた。リースの姿を確認すると、電話を切り、スカートのポケットにしまった。そして、リースにつかつかと歩み寄り、にたあと邪な笑みを浮かべた。
「ごきげんよう、リース。随分と楽しそうじゃない。あたしたちと地上で歌っていたときよりもよっぽど」
「……」
「でも本来の目的を、お忘れじゃないかしら?」
嬉良はリースよりも15cmほど身長が高い。
嬉良は屈みこみ、リースのうつむいた顔を抉るような視線で覗き込む。
「なに、メンバーとして溶け込んでるの? 楽しそうに一緒に食事なんてしちゃって……。あたしとの食事はいつも断っていたじゃない」
「それは作戦です……。一旦メンバーに溶け込んでから裏切ったほうが――――」
薄っぺらい嘘だ。自分が認められている空間が愛しくて、ずっとそれを壊さないでいたかった。だが、それを嬉良は許してなどくれない。
嬉良はリースの肩をいやみたらしくポンポンと叩く。
「言い訳はいいからさ。マスターのためになると思って、こいつをやってみてよ」
嬉良はリースに詰め寄り、ショーパンのポケットに何かを押し込んできた。
「な、なによ」
「なくなったらいつでも言ってよ。在庫はたっぷりあるからさ」
リースは、ポケットに押し込まれたものを取り出した途端、鋭い悪寒が走った。
「こ、こいつをどうしろっていうのよっ」
「吸うんだよ。気持ちよくなれるよ」
嬉良が渡してきたのはタバコの箱だった。
「あたしが肺弱いの知ってるよね? そうでなくてもまだ未成年だし」
「わかってないわね、だから吸えって言ってるんでしょ?」
瞳孔を開く嬉良。獲物を逃さない猛禽のような獰猛さ。リースはその視線に心臓を貫かれるような感触を覚えた。
「じゃあ、また今度。――――次会ったときにそれなくなってなかったらどうなるか、分かったもんじゃないから」
嬉良はそう捨て台詞を吐いて、トイレから去っていった。
残されたリースはひとり、トイレの鏡の前でタバコの箱とにらめっこをする。
(もう、どうにでもなれ……)
そう心の中でつぶやいたあと、タバコを箱ごと便所のゴミ箱に捨てた。
リースは3人でいれば、もう何も怖くないつもりだった。
リースがいなくなったあと、嬉良はふたたびトイレに戻ってきた。わざわざご丁寧にゴミ箱を確認しに来たのだ。案の定、一本も吸わずに捨てられていたタバコの箱を拾い上げ、引きつった笑みを浮かべた。
「あーあ、せっかくのあたしからのプレゼントだったのに。――――次の作戦実行ね」






