Act.5 (Can you deal with) the Bad Girl?
エデン。地上に築かれたアイドルの養成所。広大な敷地には、養成所と事務所、女子寮にレコーディングスタジオ。スタッフや養成所の生徒たちが羽を伸ばす娯楽施設もある。各施設を結ぶ回廊は、パルテノン神殿を思わせる石膏性のエンタシス――――柱の真ん中を太くする建築方法――――の支柱で支えられている。回廊を囲む、石膏像や噴水の配置された洋風の庭園も相まって、まるで西洋の王宮のようだ。
その中心部にエデンの中枢はある。
きっちりとした正円を底面に持つ円柱状の建物。見かけは、石膏の白にレリーフの施された、古風で厳かな佇まい。
しかし、その中身は巨大なモニターと操作盤のあるサイバーパンクな空間だ。
宇宙船のコックピットと、王宮の謁見の間が融合したかのような内装。玉座を巨大なモニターが見下ろしている。
寺嶋はその玉座へと続く階段の麓で、膝をついて礼をした。
「マスター、話がございます」
電話で連絡を取っていたマスターと呼ぶ男は、玉座に座っていた。穏やかな瞳が特徴的な背の高い男性。なぜか17世紀の軍服を着用している。その用紙は美男と形容するに相応しい。
「呼び出してもいないのに、ここに来るとは珍しいな。何のようだ、寺嶋」
男の名は、秋元家康と呼ぶ。
寺嶋はすくっと立ち上がり、一度膝を手ではらう。
「少し嬉良に休養を取らせてあげるべきではないでしょうか。なんというか、異常です。情緒不安定というか」
家康は少し顔をしかめる。
「彼女にとって歌は心の支えだ。それを奪えば、彼女は今以上に精神的に不安定になってしまうだろう」
「じゃあ、リースは! リースはどうなるんですかっ」
寺嶋はどこかで家康のことを警戒していた。嬉良の人間性を捻じ曲げたのは、家康なのではないかと思っていたのだ。生まれつき、喉が弱く活動が制限されていたリースのソロプロジェクトを強引に進め、じわじわと喉を潰させたのは誰なのか。他でもない家康だ。
「寺嶋。お前は優しい子だな でも優しいだけじゃダメなんだよ。それに、リースなら無事に舞台への復帰が決まったじゃないか」
「ただのスパイでしょ。相手側に潜り込ませて潰すためにリースを送り出す。そんなきな臭い仕事を復帰だなんて言わせませ――――」
そこで寺嶋は家康の鋭い視線に硬直した。
「口答えがすぎるよ、寺嶋。僕の引き出しには銃が入ってるんだ、気をつけたほうがいい」
笑いながらも引き出しに手をかける。寺嶋は口をつぐんだ。
「いいこだ、寺嶋。そうだ、開いた穴は埋め合わせが必要だろ? 紹介したい新メンバーがいる」
新メンバー。家康の口から思ってもみない言葉が出て、寺嶋は戸惑う。嬉良、寺嶋、リースの3人はかつて同じアイドルグループ、ザ・クルシエイダーズに在籍していた。リースが抜けたその穴を新メンバーが埋めるというのだ。
「入れ」
「はぁーいっ!」
寺嶋の背後のドアから声が聞こえた。寺嶋、嬉良、リースという取り合わせは3人とも落ち着いたアルトボイスをしていた。ところが聞こえた声は全く別の声質。甲高く、きんきんと響く。
「ちーっす! あたし、今日から一緒にユニット組ませてもらうことになりました! Δ愛といいます、よろしくぅ~!」
「少々、賑やかなやつだが、仲良くやってくれ」
「は、はい……」
今まで絡んで来なかったタイプだったため、寺嶋は早くも愛に対して引いてしまう。
「えーと、先輩、名前なんて言うんすか」
「寺嶋」
「寺嶋先輩っすか! かわいいっすね~! プリ撮りに行きましょうよ!」
「なっ!は、離せ!」
愛は身長が高く、170cmは確実に超えていた。寺嶋との身長差は20cmは優にある。体格差でテンションの差が強調されてしまう。そんな愛の長い腕で掴まれたら、そう簡単には抵抗できない。ぐいぐいと引っ張られ、そのままふたりは謁見の間から出て行ってしまった。
誰もいなくなったところで、家康は溜息をつく。
邪魔者はいなくなったという具合だ。その溜息に合わせるようにしてドアが開いた。寺嶋や愛が入ってきた方の物々しいドアではない。玉座の右方向にある小さなドアだ。
「危ないところでしたね、マスター」
「そうか?」
入ってきたのは嬉良だ。ここ最近彼女は、家康のお目付け役となっている。
「だって、あともう少し長居されたら、例のものがバレてしまうかもしれないじゃないですか。あれは、あたしとマスターだけの秘密なんです。
寺嶋さんにバレるとうるさいし、やっかいなんですよ。あいつは良心を捨てる覚悟もない、ただの甘ちゃんです」
「まったくそうだな。僕が欲しかったのはお前のような従順な下僕だ」
嬉良は階段の麓ではなく玉座の真ん前に跪いて、口角をつり上げた。
「ありがたき言葉です。マスター」
*****
エデンの敷地内にはゲームセンターやカラオケなどの娯楽施設もある。休日や空き時間に羽を伸ばすためのものもあるが、ボルダリングにジム、はもちろん射的場などトレーニングをするための施設もある。
「ちょ、いいって! いいって!」
愛の長い腕で引っ張られてずるずると。
「え~と、一回500円だって!! 先輩、250円ありますか?」
「割り勘かよ!」
寺嶋は愛に振り回されていた。
会って数秒のうちに先輩である自分に“かわいい”などと言った挙句、無理矢理プリクラに付き合わす。こいつは敬意とかそういう物がないのか。額を押さえて寺嶋は大きなため息をひとつ。
ここでふと、あることに気づいた。
(そう言えば、あたし――――。今まで遊びらしい遊び、したことないなあ)
その瞬間、頭がぼうっとしてその場に立ち尽くしてしまった。
「ちょっと、なにやってんすか。先輩! せ・ん・ぱ・い!」
寺嶋の虚ろな目を覗き込む。愛はことの全てを悟った。
「はっはぁ~ん。さては先輩、ゲーセン来たことないんですか?」
「なっ! ぐぁっ!」
センチメンタルに浸っていたところをまさに突かれて、変な声が出てしまう。
「はぁーい! 図星ですねー!」
「養成所でそんな暇なかったんだっ! だいたいそっちも養成所行ってただろっ」
「あ~、あれですか。先輩ってカタブツの優等生ですかー?
あたしなんて、ちょいちょい抜け出してましたよー」
「ずるっ!」
けらけらとお腹を抱えて笑う愛に、寺嶋は呆れた眼差しを送る。
「だって、遊ばないともったいないじゃないですかー。一度きりの青春ですよぉ。
まあ、とりあえずプリクラ撮ってから、ゲーセン回りましょ!」
結局無理くりプリクラの機械のカーテンの奥へと引きずり込まれる。そして撮影。
しばらくすると同じプリクラ写真が8セットずつ連なったシートが出てきた。それを手に取り、愛はあちゃーと声を漏らす。
「先輩-っ、表情固いっすよー」
「仕方ないだろ。慣れてないんだよ」
「それにちっちゃくしか写ってないじゃないですか」
印刷されてきたものは、愛が画面の約8割を占領している。
「それはお前がでかいからだろ……」
「先輩が前に出て来ないのが駄目なんですよっ! それに、それ言わないでください。ちょっと気にしてるんですから」
「嬉良も高いとは思っていたんだが、お前はもっとだな」
寺嶋は愛を見上げ、彼女の背丈を腕で測る。ふたりの身長差は20cm以上はある。
「嬉良先輩スタイルいいですよねー。モデルでもやればいいのに」
「いや、モデルはお前の方が向いてるだろ」
「いやいやいや、あたしはこの背をごまかそうと、猫背になっちゃってるんでダメっすよー」
ないないと手で言葉をはらい落とすような仕草をする愛。そんな愛と話す寺嶋は、どこか不思議な気持ちだった。今まで感じたことがないのに、懐かしい気持ち。
それからふたりは音楽ゲームで勝負をした。ピアノを模した演奏ゲームで寺嶋が勝ったところ、負けず嫌いな愛は、あるゲーム機に寺嶋を案内した。
「先輩、今度はこいつで勝負しましょっ! これなら負けませんっ!」
手元にはターンテーブルを模したものと、サンプラーを模した5つのボタンがある。寺嶋には馴染みがない物だった。
「おい……。これはフェアーではないだろ」
「あたしは、ヒップホップとダンスミュージックが得意ジャンルなんです!」
サンプラーとは任意の音源をボタンに登録し、それを押すことで音源を出力する装置。つまりは、このゲームでは音源は曲によって変わるのだ。ターンテーブルはそこにディスクを回す速さや向きによって、再生速度、逆再生までもが可能となっている。
「じゃあ、選曲はこれね!」
「えっ……、DJ光男vsペニーK? 全く知らないんだけど。知る由もないんだけど!」
問答無用で曲が始まる。日本語訛りのきつい英語でDJのMCが始まり、サンプラーからはギャグの音声が飛び交った。
あまりにもお茶らけた選曲に寺嶋は、お腹を抱えて涙が出るほど笑った。しかし愛は表情ひとつさえ変えずに、演奏を完璧にこなしている。
見入ってしまった。半ば人間とは思えないほどの指裁き。――――もちろん結果は惨敗だ。
「先輩っ! あたしの勝ちですね!」
「いいや。もっとフェアーなのにしろ。次はあたしの得意なR&Bで勝負だっ」
笑いすぎて勝負になどなったものじゃなかったが、勝手はつかめた。今度は真剣勝負だ。ゆったりとした大人のダンスチューン。本職のDJ顔負けの愛の指裁きに、寺嶋は猛烈な追い上げを見せた。
勝負はそこで終わらず、3曲目、4曲目と続いた。――――気がつけば汗だくになっていたふたり。
周囲にはギャラリーまでできている。
「……先輩……、まさかこの短時間でここまで掴めるなんて」
「いや、お前もまさに天才だよ。恐ろしいくらいにね」
「まだまだ特技隠してますよ。スケボーもブレイクダンスだってできるんですからっ。先輩には負けませんっ!」
愛は親指をくいっと親指を立てる。それからふたりは、ぱんっと音を鳴らして互いの手を鉢合わせし、握手を交わした。ギャラリーからはぽつぽつと拍手が沸き起こった。
こんなに夢中になったのは久しぶりだ。
こんなに誰かと真剣に勝負をし、心を交わしたのは初めてだ。寺嶋は充足感を感じながらも心の中である人物の顔を思い浮かべずにはいられなかった。
もしかしてこんな風に真正面から向き合っていたなら、あいつはザ・クルシエイダーズを離れることはなかったんじゃないか。そう考えてしまわずにはいられなかった。
「先輩、どうしたんすか? 暗い顔してますよ」
「え? ああ。いや、なんでもないんだ」
(結局、何もしてやれなかったな。離れてた今になって気にかけても、しょうがないことなのに。――――リース、ごめんな)
寺嶋は心の中でそう呟いたが、もちろんリースには届くわけがなかった。