Act.3 食卓の騎士
ハコ。地下のライブハウスを指す俗称。上下左右全方向に窮屈さを感じさせる狭さに観客たちが押し込められている。芋を洗うような人波に向かって少女は屈託のない笑みを投げかける。洗い場を外れた芋たちも歓声や音楽の筒抜けになっている壁に耳と背中をもたげる。ヘドバンをしたり、エアドラム、エアギターを奏でたりすれば彼らも立派な観客だ。
「盛り上がってますかぁあああっ!!」
連日のように星羅のライブはこの場所で執り行われていた。平日・休日に関わらず回を増すごとに舞台は熱狂を増した。
そして、これは単なるアイドルの単独公演ではない。
この世界に自由な音楽を取り戻すための革命だ。
「みなさんっ。開幕いきなりですが! 今日は重大発表があります!」
観客にどよめきが沸き起こった。なんだなんだという声がそこかしこで飛び跳ねる。
星羅は革命のためのアイドルプロジェクトの一端として音楽活動をしている。その影響力はここ数ヶ月の活動で絶大なものとなった。彼女があげる声のひとつひとつで、聴衆は声を揃えて一喜一憂を共鳴させる。
スポットライトの光輪を浴びて円卓の騎士のごとく華やかな存在になった星羅を、睨みつける少女がいた。星羅はその少女が観客の中に紛れ込んでいることには気づいていない。少女――――友見坂嬉良――――は噛み締めた歯を口元から覗かせる。
「あたしたちの使命はあいつを潰すこと。スターダムから引きずりおろすこと」
狂気じみた薄ら笑いを浮かべる嬉良。誰かが不幸な目にあったとき、または誰かを不幸にしたくてたまらないとき。その笑みは彼女の顔に現れる。
「相手としては厳しいと思うよ」
血走った猛禽類の瞳をぎょろぎょろとさせる嬉良とは対照的に、寺嶋は冷めた目つきをしていた。
「きっと心から歌を愉しんでいる人たちには、あたしたちは勝てないと思う。
あたしたちは、音楽活動のために、自分の自由を売って政府の犬になった。そんなあたしたち――――少なくとも今のあたしは、あんなに楽しそうに歌うことはできないよ」
どこか諦観した寺嶋に嬉良はうんざりとしたため息をひとつ。
そうこうしていると、ふたりの周りの観衆がいっせいにどよめいた。拍手をしたり指笛を鳴らしたり。
星羅が言った重大発表とは新メンバーの紹介だった。
「本日から、あたしと一緒に歌を歌ってくれる新メンバーですっ!」
再び拍手が沸き起こる。その迫力の中、堂々と背すじを伸ばして舞台に上がった少女。舞台衣装は星羅と同じくシャツにプリーツスカートだが、シャツには和柄の刺繍が施してあり、個性を主張している。小柄ながらも身体に一本の芯が通ったかのような立ち振る舞い。和柄とも相まって日本舞踊を思わせる。
「今日から新メンバーとして、舞台に立ちます。朝霧美那です。よろしくお願いします」
育ちの良さを思わせる綺麗なお辞儀。高級旅館の仲居のようだ。
「美那ちゃんが加入してアイドルデュオになりました。これから、じゃんじゃん歌って行きたいと思います!」
デュオになったのと合わせてアイドルプロジェクトの正式名称も発表された。
革命楽団IC。IはIdle【アイドル】、Idea【理想】など。CはChorus【混声】、Coalesce【結託】などを表すという。どちらも意味や単語を限定しないために敢えてイニシャルを用いている。
「美那とあたしでICというユニット名で新たな道を歩んでいきます」
「よろしくお願いします!」
ふたりが声を揃えたところで、演奏が始まった。新メンバーを迎えた彼女らにムンクが書き上げた新曲だ。
「それでは聞いてください! Misty Moon」
》
Misty Misty Misty Moon 今宵の月は
想いはせるほど遠く離れてく
誰もいない シーズン前の海水浴場
置き去りの心だけ 独り泳いでる
灯台の上から 投げ捨てたはずの恋心
波に揺らり揺られて戻ってきたのね
Misty Misty Misty Moon ふたりの月は
あんなにも翳んでて消えそうで
Misty Misty Misty Moon 今宵の月は
想いはせるほど遠く離れてく
》
舞台の上での美那は、星羅の前でどもりにどもっていたときとは大違いだった。堂々としていて、観衆からの声やコールをものともしない。それどころかそれをうけてよりいっそう、彼女は強い輝きのオーラを放つのだった。
星羅の歌声は純粋で透き通っている。対して、美那の歌声は伸びやかで艶やか。それでいて力強くまっすぐに響いてゆく。特にロングトーンが美那の見せ場だと感じる。演歌や歌謡曲、民謡に源流があるらしいその声にはビブラート、いわゆる“こぶし”がかかっていた。
星羅は同性でありながらも、その声の魅力に圧倒されていた。
――――美那を新メンバーに迎えた初ライブは大盛況で幕を閉じた。
「今日の新入りのやつ、声がよかったなー」
「美那だっけか。正直言って俺は星羅より好きだぜ。歌もうまいし、ちっこいのにすげえ堂々として色気があった」
美那の観客からの評判は好調だった。
そして、観客の中にはリースも混じっていた。マスターと呼んでいる男から下された指令は、ムンクが手掛けるアイドルプロジェクトに政府からのネズミとして入り込むこと。舞台に戻れることは戻れるが、きな臭い仕事だ。もう自分は純粋に歌を楽しみながら歌うことはできないのか。――――そんな諦観と羨望の入り混じった眼差しを星羅と美那に投げかけていた。自分とは対照的に心から楽しんで歌を歌っている彼女ら。それはリースが幼いころに憧れていた歌手の姿そのものだった。
*****
「はぁ……。初舞台とっても緊張しました」
デュオになってから初めてのライブが無事終了し、美那は胸を撫で下ろした。緊張したと美那は言うが、ステージの上での彼女の立ち振る舞いは実に堂々としていた。
「いや全然緊張してなかったよね。あたしよりも声大きかったし」
「え! ほ、本当ですかっ! す、すみません」
控室では人が変わったかのようにどもり始める。肩も小刻みに震えている。小柄な体躯も相まって、すっかり小動物のようだ。
「いや、いいよいいよ。ただちょっと羨ましいかなって。――――あと」
「は、はいっ!」
「敬語、やめてくれないかな? 1つか2つ違うだけでしょ?」
「あ、あああああ、はいっ」
舞台の上での堂々とした立ち振る舞いはどこへやら。
「お疲れだったなふたりとも」
ノックをしたあと、ムンクが楽屋に入ってきた。
「ムンクさん! お疲れ様です!」
彼の姿が目に入るや否や、真っ先に星羅が立ち上がりお辞儀をする。それに遅れて美那も倣った。
「私はゆっくり拝見してたよ。美那、すごく良かったぞ。正直言って星羅ちゃんは完全に負けていたな」
相変わらずムンクはあっけらかんとしている。それは彼の良いところでもあって、星羅は長い付き合いなので何を言われてもお構いなし。ところが加入したての美那は、まだ慣れてないところがあり、顔をうつむけている。
人見知りの美那は、年上でも異性でもある彼に対し少し気後れしてしまう。そんな様子を見かねてか、それともライブの成功を祝してか。彼はこう切り出した。
「よしっ、今夜は食事にでも行こうか!」
腹を空かせていた星羅は飛びあがって喜んだ。それに少し遅れて美那も微笑み、頷いた。
シェルタリーナの中にはレストランやバー、ディスコなどもあり、さながらひとつの繁華街となっている。手ごろな値段のフードコートもあった。洋食、和食、中華と様々な料理が自由に楽しめるセルフサービスの店だ。
「さあ、今日は奮発して私のおごりだ」
「あの、おごりというか――――ムンクさん?」
「なんだ、どうした星羅?」
「ここ。いつもあたしが500円玉握りしめていくような店なんだけど」
そう。ここは貧乏学生からサラリーマン、家族連れ。皆の財布にやさしいお店の寄せ集めだ。“奮発して”などという言い回しは実に似合わないリーズナブルな値段でお腹いっぱいに食べられる。
「そう、だからおごりだ。他のレストランだったら割り勘だけどな」
「ふところちっさ!」
「仕方ないだろ! 私らがリッチな食事を囲んだことがデビューから一度でもあったか!? 無いだろ? いい加減察しろよ。この場所を高級フレンチだと思って盛り上がれよ」
「んなことできるかっ! 雲泥の差だわっ!」
わーきゃーわーきゃーと言い争うその様子は、親子どころかもはや兄妹だ。
「星羅、君もわかっているだろ。自由な音楽か、それとも管理された音楽の下、政府の犬となって大金をもらうか。君は自分で決めたはずだ」
「そ、それはそうですけど。せっかく新メンバーも迎えての初舞台が成功したんですよっ」
星羅は身長差を利用して、眼力の強い上目遣いをムンクに浴びせる。これにはムンクも少し折れたようで。
「わかった。コンビニのケーキも帰りに買ってやるっ」
やっぱり彼の財布の紐は固かった。
「で、ででもっ、ここならみんな好きな料理食べれますよねっ! あ、あたし和食が好きだから。ほかの店だったら料亭とかしかなくて、恐ろしいほど高いし」
「まあねー。あたしもここのオムライス好きだし、いっか」
美那になだめられて退いた星羅。ムンクはそっと胸を撫で下ろした。
星羅はこれを機に美那と仲良くなろうと、手を掴んでぐいぐいと引っ張って列に並んだ。
「あいつらは、あたしら政府の犬どもが、リッチな食生活してるとでも思ってるのかしら」
きゃっきゃきゃっきゃと騒ぐふたりを、列に並びもせずにひたすらに睨みつける少女がひとり。
「本当に何も分かっていないのね。所詮はこんな狭い世界で生きのさばってきた、頭の中お花畑の大馬鹿どもってわけだっ」
「やめな、嬉良。浅ましい」
同じフードコートに嬉良と寺嶋も居合わせていた。政府の犬として息の根を止めなければならない星羅と美那を付け回しているのだ。嬉良はまるで親殺しの怨敵を見るような目つきで、般若の形相。寺嶋は嬉良が暴挙に出ないかと気が気でないと言った具合だ。
「あんたもいつまでイイ子ぶってんのよ。あんたはあいつらを見て目障りだって思わないわけ?」
「羨ましいね、ちょっとだけ。あたしもマスターじゃなくて、あの人に付いていたら」
そこまで言いかけたところで嬉良は、寺嶋の胸ぐらを掴み上げた。寺嶋は小柄で嬉良とはかなりの体格差がある。それでも嬉良の腕からは、華奢な見た目からは想像もつかないような力が。寺嶋は半ば宙に持ち上げられそうになる。踵が地面に付かない。
「何を血迷ったこと言ってんのよっ。あいつらは潰れるんだよっ! あたし達が、あたしが潰すんだよっ!」
「嬉良っ――――落ち着けっ」
嬉良はいつからここまで攻撃的になったのか。
ようやく下ろされる寺嶋だったが、ゆくゆくは嬉良がコントロールできるような範疇を超えてしまうのではないかと胃を痛めるのだった。
「そういや、リースはどうしたのよ。せっかくここで食事しようって誘ったのに。先輩たちの誘いを断るって言うの?」
「あの子は家で食べるって。父さんが手料理作って待ってるから」
ここに来たのは偵察だけでなく、食事も兼ねていた。リースも誘ったが、寺嶋に断りの連絡が入っていた。それを告げられて嬉良は、あの薄ら笑いを浮かべる。
「へぇ、相変わらずのファザコンなんだ。気持ち悪ぅ。うちの父親は行方も知れないし。母親なんて顔も見たくないってのに。――――どうして、あたしの周りってこうも、自分が恵まれていることをひけらかす目障りな奴らばかりなのかしら」
「嬉良。お前、親と――――」
「あんたには関係ないわよ。聞かないでって言ってるでしょ」
寺嶋は、嬉良の両親を見たことがなかった。話を聞いたこともない。ただ、顔も見たくないだとか、声も聞きたくないだとか。嬉良は特に母親をひどく憎んでいた。詮索をしようとすると抉るような視線で睨みつけてくる。寺嶋は嬉良よりも先輩にあたるが、もう嬉良に対して強い態度をとることはできなくなっていた。