Act.24 少しずつ良くなるよ。
結果、この日のライブは一曲も歌われずに終了した。
「客の妨害で一曲も歌えなかったことは別にいい。ただ私は、君にキャットファイトをさせるために会場を押さえたんじゃないんだぞ」
静かに諭すムンクの低い声。星羅はしゅんと顔を俯けて聞いていた。
「ごめんなさい」
「まあ、あの女に手を上げたのはマズかったが、無抵抗なままでいろと言いたいわけでもない。今のは私の愚痴みたいなものと思ってくれていい」
「あの女、絶対に刺客だ……! 管理音楽があたしたちを潰すためにけしかけたんだ!」
「星羅、そのことは美那にはまだ……」
星羅は拳を握りしめる。ムンクの冷たい声色には気づいていたがそれでももう、抑えきれない。このアイドルプロジェクトが管理音楽を退けることを最終目的としているということは美那には内緒だったが、もう直接喧嘩を売られたなら話は別だ。
「悔しくないんですか! もうこれで喧嘩を売られたのは2回目ですよ!」
星羅は、怒りのままに声を荒げた。
「気づいてましたよ……あたし。このユニットが管理音楽に対抗するためのものだってことも」
ぼそりとつぶやく美那の声が耳に入る。星羅もムンクも当惑した。
「そして、あの女も見たことがあります」
管理音楽のアイドルオーディションはコンクラーベと呼ばれている。美那は、その映像の中で、リースを侮辱したあの女の姿を見たことがあるのだと言う。ステージで歌ってダンスを披露していたというのだ。
「決して歌もダンスも褒められたものではありませんでした。息が上がっていて辛そうでしたし。何故か、それが印象に残っています。管理音楽の重要人物らしいようでした」
管理音楽の重要人物らしい女の妨害行為。煽られるがままに手を上げるのは、むしろ相手にとってはこちらを貶めるための格好の取れ高となるだろう。そう思い当たって、星羅を取り押さえたのだと続ける。それを聞いていた星羅は、申し訳なくなって頭を下げた。
「なんで謝るの? 星羅ちゃんは悪くないよ。嬉しかったよ、あんなに怒るなんて。それだけリースのこと大切に思ってたんだって。そんな優しい星羅ちゃんと一緒に入れて幸せだって、そう思えた」
星羅は、美那の言葉に涙が溢れ出しそうになった。改めて、メンバーである以前に、美那は自分の友達なんだと確信できた。それと同時に自分のその場の怒りに任せた軽率な行動を恥じた。
「でも、あたしが喧嘩をしたから、お客さんは、みんなどっかに行っちゃって……」
「あーもう! ICのメンバーで1番元気なのは~?」
星羅がうじうじしていると、美那が肩を揺さぶって激励してきた。
(ほんと、美那には敵わないなあ)
心の中で呟いて苦笑い。
「分かったよ。元気になるからさ」
それに応えてにっこりと微笑みかけた美奈の笑顔が、星羅の強張った表情を解かした。
「……リースはなんであんなことになったんだろうか」
ムンクが不意に呟く。
そう、あの女にこちらを貶めようという悪意があったことは間違いない。けれど、その有無にかかわらず、あの新聞記事に酔いつぶれたリースの姿が写っていたことは、紛れもない事実だ。
「なあ、星羅は信じられるか? あのリースが……」
「そりゃ……、信じれないし、信じたくもないですよ」
「考えすぎかもしれないが――」
ムンクが言うには、リースが消息不明になってから、新聞記事のスクープに取り上げられるまでが、早すぎる気がすると。
「管理音楽の手が、この地下に伸びてきたという事実、そして、美那が言うようにあの女が管理音楽の重要人物であるということ。この二つを足し合わせると、リースは嵌められたとしか考えにくい」
「絶対そうだよ……」
星羅は怒りに拳を握りしめながら頷いた。もしかしたら、それは都合のいい解釈かも知れないけれど、リースが自ら進んで非行をしたとは信じたくなかったのだ。
「このままじゃ、リースが浮かばれないよ」
星羅がぼそりと呟いたところで、楽屋に静寂が訪れた。三人とも椅子に座ったまま俯いて、考えること言えば、リースの安否のことばかり。考えても埒が開くはずもなく、だんまりとなったところでノックの音が響き渡る。
「はぁい」
美那が応答する。
「あのう……、僕ら、ICの私設応援団をやっている者でして、加藤正彦といいます」
ドアを開けたところに立っていたのは、二人の男だった。
加藤正彦、その名前にどこか聞き覚えがあると美那は思ったのだが、どうも思い出せない。
「どうしたんだ? 誰かそこにいるのか?」
「あのう、加藤正彦さんて名前、聞いたことあります?」
「ああ、あのケーキの差し入れ送ってきたファンの……。てっきり、もうちょっとテンプレートなキモヲタが来るかと」
「失礼な偏見を言わないでください!」
「ケーキ、ありがとうございます。おいしかったです」
星羅が言うと、初めて言葉を交わせたことに、正彦は少し照れ上がる。
「あ、そうです! り、リースのことなんですが!」
「な! まさか! どこで見かけたんだ!?」
平然を装っていたムンクだったが、リースの名前を聞いたとたんに勢いよく立ち上がり、椅子を後ろに倒してしまう。やはり、一番心配していたらしい。
「い、いや……それが……、酔いつぶれたリースを介抱したのは俺たちなんです。そして、彼女は今もIC同盟団の部室にいるんです」
それを聞くや否やムンクは、居ても立ってもいられず、倒れてしまった椅子はそのままにして加藤に詰め寄り、彼の肩を掴む。これには、加藤の隣で立っていた和也も驚いていた。それから間髪入れずに、星羅も美那も立ち上がって、加藤のもとへと詰め寄って来る。
「リースには、会えないんですか?」
三人は声を揃えて尋ねた。
加藤も和也も答えに困る質問なのか、しばらく口をつぐんだ。神妙な面持ちで放たれたのは、「いまはそれはできない」という冷たい言葉だった。
「どうして?」
星羅が当然抱いた疑問に、ムンクも美那も頷く。
「今のリースは、そのとても会わせられる状態じゃないんです。病気とか、そういうのではあありません。ただ、リースが落ち着くまでは、僕らに任せてください」
*****
リースががばりと上体を起こすと、頭からぽとりと熱さまシートが落っこちた。
「目覚めたか~」
うっすらとした意識の中で気だるい声が聞こえる。ぼんやりとしていた視界が、焦点が合い始めはっきりとしだすと、桃谷が自分の顔を覗き込んでいた。
「風呂で溺れるとか、漫画かよ……」
呆れたような乾いた口調に、ごめんと少し謝ってしまった。
「謝る必要はないわよ。あんなことしていると何されるか分かんないわよー。漫画であるんだよねー、風呂でのぼせてる女の子にいろんなことしちゃうやつ……」
「は、はあ……」
そこから桃谷は、薄い本だとか、受けだとか攻めだとか、リースにはなじみのない言葉を口走る。次第に気だるいテンションだった彼女が、だんだん早口になってまくし立てる。リースは圧倒されてたじたじになりながら聞いていた。
「あの……、他の人たちは?」
桃谷以外の二人が、部屋にいなくなっていることに気づいて、尋ねる。彼らは今夜、ICのライブに行ったそう。かつて自分が所属していたグループの名前を聞いて、しゅんと項垂れる。会いたい気持ちはあるが、まだ自分は星羅にも美那にも、プロデューサーのムンクにも顔向けができない。
「あたしは、ここにいていいんですか?」
「まさはしばらくあなたを保護する気でいると思う。悪びれなくていいよ。あたしも女の子の話し相手が欲しかったから。どぎついBLの薄い本の話とか男相手にできないもの」
「いや、あたしもその話は遠慮したいんですけど」
リースの冷たい返答に、「ちぇ」と言わんばかり口を尖らせた。
「さてと、暇でしょ? 立てるなら、出かけない?」
桃谷は、すくっと立ち上がり、白黒のチェック柄のワンピースの上に羽織った黒いベストをひらひらさせながらリースを誘った。
そのまま部屋を出た。この施設は、廃墟になったマンションを改装して作った民間学校だと桃谷は教えてくれた。やがてコンクリート製の階段を下りて地下に入る。どこか、家の地下室に似ているな、とリースは思った。だが、中に入ると、楽譜が散乱していて、ムンクのスタジオのずぼらな様子に近かった。
「あいつら、またこんな散らかして……」
「あいつらって?」
散らかったCDや楽譜を棚に直しながら、ぶーぶーと文句を垂れる。
「まさと和也のことよ。あたしたちもやってんのよ、音楽」
振り向いてそういった彼女の瞳はいたずら好きな子供のようにキラキラと輝いていた。にやりとほくそ笑みながら、彼女はスタジオ内にあった電子オルガンのカバーを外す。電子オルガンには見慣れない配線がつながっており、それらは隣のパソコンにつながっていた。パソコンの電源を立ち上げ、埃をかぶった画面をティッシュペーパーで拭き取る。
「なにそれ……?」
リースの目にはそれがひどく目新しく見えた。
「自作のサンプラーね。ちょっと面白いものよ」
そう言って、彼女が鍵盤を弾いたとき、すごく汚い音がした。ひねり出したような音だ。聞いただけで鼻をつまみたくなるような下品な音。一瞬何が起こったか分からず、リースの中で時が止まった状態になってしまった。あたりをキョロキョロと見回していると桃谷がゲラゲラと笑っている。
「あはは……これよ……」
そう言ってまた鍵盤を押すとまたさっきの汚い音が一発。
「これ……おならの音しかでないのか……」
「なわけないでしょ。このパソコンで鍵盤にどんな音でも配置できるの。たとえば……」
今度は違う鍵盤を叩くと犬の鳴き声がした。そのとなりを叩くと猫の鳴き声が、鍵盤を撫でるように滑らせると様々な動物の鳴き声が流れるように響き渡り、音の動物園といった具合だ。
「今までのはお遊びよ」
パソコンをかたかたと打ち込むこと十数秒。深呼吸をして呼吸を整える。鍵盤に右手を置いた瞬間勇ましいギターの音がした。目の前では鍵盤を叩いているのに、荒々しく弦をかき鳴らすような音だ。お留守になっていた左手が鍵盤を弾く、そうするとベースの唸り声がギターにシンクロするようにして加わった。
「どう……面白いでしょ?」
鍵盤に目を落としていた桃谷が、リースに嬉々として話しかける。しかし、そこにいたはずのリースがいなかった。
「リース……?」
かすかに下の方で荒い息が聞こえる。目線を下に落とすと、しゃがんでうずくまり耳を抑えているリースがいた。肩は小刻みに震えている。
「リース、どうしたの……?」
その肩に触れたとたん、跳ね上がり床に手をついて後ずさりしだした。まるで桃谷に恐怖し、必死に逃げ惑うかのように。
「くるなぁあああっ!」
錯乱したように奇声をあげるリース。発作だ。桃谷からある程度離れたところでとたんに立ち上がり、走り出し、さっき少しだけ片付けた棚の中身を投げ散らかしながら泣き叫びだした。
「落ち着いて!リース!」
追いかけながら呼びかける桃谷の前で、膝を折り、痙攣する自分の手足に怯えて涙を流す。
「だめだ……あたし……やっぱり……」
やっと正気に戻り始めたようだが、まだ震えている。自分が散らかした楽譜や、CDの中心にへたりこみ、唇を震わせながら桃谷を見上げた。
「やっぱり……あたしはまだ……」
「大丈夫だよ。少しずつ良くなるからさ」
そう言って、桃谷は蹲るリースの肩を抱きしめた。彼女の手は暖かかった。星羅のことも美那のことも、友達と思っていながら、ほっぽって逃げてしまったのに。逃げた先でもこんなに暖かい人たちに巡り合えたなんて、自分はなんて幸せ者なんだろう。リースは、心の中でそう呟いた。
歩こう。ゆっくりでもいい。まっすぐ歩いていこう。いつか、星羅や美那にまた笑顔で会えるように。そんな前向きな想いがリースの中に芽生え始めた。




