Act.21 絶望からのリリーフ
住宅地の中、一軒の家から黒煙が上がる。幸い、庭の敷地がそこそこ広いこともあり、その一軒が残骸となるにとどまった。
その様子をモニターで眺めていた家康。
「これを、嬉良がやったというのか」
「ええ、そうですわ」
鼻につくお嬢様言葉で華ぐ夜は答える。鼻歌を歌いながらくるりくるりと舞って、家康の背後に回り込み、玉座に座る彼の顎を撫でた。
家康は、額に入るはずのない青筋が入るような心持ちだった。
「やめろ、気色悪い」
「なんですか。あたくしの骨と皮だけの手じゃ不服かしら?」
手の甲には、指に繋がる全ての骨が浮き出ている。見る者を不安にさせる病的なそれを眺めながら、嘲笑う華ぐ夜。
「お分かりいただけたかしら? 家康さんが寵愛を注いで病まない嬉良さんは、危険因子なんです」
「……、少し考えるようにする」
濁した家康の返事に、華ぐ夜はぎりりと奥歯を噛みしめた。静寂に包まれたエデンの中枢。歯ぎしりが響いて、家康の耳に届く。
「悔しいのか。嬉良を蹴落とせなくて。才能のある奴が、ずっと上に居座ってるのが、気に食わないのか」
ぎりり。もう一度、歯ぎしりが反響する。
華ぐ夜は、口角をつり上げて、血走った目をひん剥いて。その病的に痩せ細った身体のどこから湧いてくるのか、という力で玉座の背もたれを握り締める。怒りに任せたその震えを感じ取り、家康は、華ぐ夜という人間を看破した。
華ぐ夜はきまりが悪くなったのか、家康に背を向けて階段を降り、玉座の間を去った。
***
「なあ、まさ。急性アルコール中毒って知ってるか?」
和也が縁起でもないことを言うものだから、正彦も焦る。ベッドで気を失ったように寝入っているリースを見れば、それを心配せずにはいられない。
「縁起でもないこと言うな。あの時間まで飲んでたんじゃ、起きてる方が不思議だろ?」
IC同盟団は、シェルタリーナにある非政府団体により建てられた民間学校に部室を構えていた。民間学校とは言っても、もともとホテルだったところをそのまま使っているため、授業は宴会場、部室は個室といった具合。だから、部室にはベッドもソファーもシャワー室までついている。その部室で、3人は一睡もすることなく過ごした。
ふと、桃谷の携帯電話に着信が入る。
「もしもし? 母さん? 今部室 え? 何もされてないよ。大丈夫あのふたり、安全だから」
お風呂にお湯を溜めながら、電話に出る桃谷。
「ずけずけと安全って言われるとなんかムカつくな」
「なんか、なめられてる気がするな。――にしても」
部室のベッドで、電源が切れたように眠るリース。彼女をコンサートで見かけなくなって、一か月以上が経っていた。その間に彼女は、痩せ細り、ヤニ臭い不健康な匂いを放つ非行少女になっていた。
「まるで、ボロ切れみたいだよな」
和也が漏らすと、正彦も頷く。
「この前のライブで見たときからすると、だいぶやつれてるな、肩車していても、やけに軽かったというか」
「俺もこいつが、リースだってこと未だに受け止めきれていないよ。だってさもともとアイドルだったんだぜ。可愛らしくて健康的で、少なくともこんなカバンを持っているような奴じゃ」
和也が見やったカバンには、大量のタバコが入っていた。その内の一つを、おもむろに手に取り、封を開ける。
「おまえ、タバコ吸うのか?」
「いや、吸わないけど、興味本位で開けてみた」
タバコを箱から一本取り出し、手に持ってくるくると回しながらまじまじと見つめる。
「ん?」
何かに気づいた和也は、タバコの火付け口からわずかにはみ出している紙片を指さした。
「なんだこれ? 詰めるの失敗したのか?」
「さあ……それ、引っ張ったら抜けるんじゃないか?」
正彦に言われたとおり、紙片を引っ張ると驚くほど簡単に、ねじ込まれていた薬包紙にくるまれた何かが取り出せた。
薬包紙を開くと、白い粉が中にくるまれていた。それが、何なのか、全て二人には分かってしまった。
「なあ。これって――」
「うらぁああっ!」
和也が急に唸り声をあげ、部室の窓からカバンを放り投げた。肩で息をし、目は血走っている。
「なにやってんの? 風呂沸いたよ」
風呂の様子を見ていた桃谷がとぼけたような声で、和也に呼びかける。
「なあ、信じられるか? こいつ、シャブ中なんだぞ。今、どんな気持ちかわかるか! 俺たちはこいつの私設応援団なんだぞ! 俺たちはシャブ中を応援していたのか! なぁ!」
「落ち着いてよ、和也」
錯乱する和也とは対照的に桃谷は冷静だ。
「その白い粉を包んでた薬包紙、タバコにねじ込まれてたんだよね?」
「ああ――」
正彦の方は、錯乱するというより沈み込んでいるようだった。桃谷はふたりの会話の様子を風呂に入浴剤を入れたり、湯加減を確かめたりしながら聞いていたらしい。
「自分で好き好んでクスリをやるような奴が、わざわざそんな手の込んだやり方をするかしら。好き好んでタバコを吸うような奴が、あんなに病的な量のタバコを買いだめする? 好き好んでそんなことするような奴がみすぼらしいまでにやせ細ったりする? しないでしょ。なにかに追い詰められ、誰かに追い立てられるようにして、半ば強制的にやらされていたと。そう考える方が妥当だし、あたしたちも精神的に楽なはずよ」
淡々と語られる桃谷の意見に納得したのか、和也はうつむいて、静かに頷いた。
「俺、飯、買ってくるわ」
和也は窓際から、玄関まで歩いて行き、着の身着のままで外に出かけようとしていた。
「桃谷は、リースの服を買ってやれ。正彦は、リースが起きたら風呂が沸いていると伝えといてくれ」
「お金はどうしたらいいの?」
「部費から落とせばいいよ。俺たちが今リースにしてやれることはそれぐらいだ。桃谷が言う事が本当ならリースは十分すぎるほど苦しんだはずだ。俺たちで守ってやろう。部費が減るのが嫌なら、俺の財布からでいい」
そう言って、玄関のドアに手をかけ、部屋用のスリッパから外履きの靴に履き替える和也。彼の背中を、正彦が呼びとめた。
「いいや、是非とも部費を使ってくれ。桃谷も、あんまりいいものは買ってやれないと思うが。今は質より量だ。安くても、いっぱい着替えができるようにしてやれ」
いつもあまり表情を動かさない桃谷の顔がほころんだところで、ベッドの方からすすり泣く声が聞こえた。リースはどうやら起きていたらしい。
「正彦、リースを頼んだぞ」
「変なことしないでね」
二人を送ろうと、玄関に出たところで、いつものように桃谷がからかってくる。しねえよ、とあしらった、正彦はリースのもとに駆け寄った。
上体を起こし涙を手で拭うリース。それを見て、正彦は何も言わずにハンカチを差し出した。そこで、もう止まらなくなった。リースは、大声を上げて泣き叫んだ。
――ひとしきり泣き終えたリースに正彦はそっと微笑みかける。
「大丈夫か? 風呂沸いてるぞ」
「ご、ごめんなさい。あ、あなたは――」
ボーイッシュで活発な格好に似合わないか細い声でリースは尋ねる。
「俺は加藤正彦ICのファンクラブのリーダーだ。お前が飲み屋で潰れているところに会って介抱した」
それを聞いてまた、リースの瞳から涙がこぼれ落ちた。
「あたし――」
何も言えないまま、またすすり泣く。
「お前は俺のこと知らないだろうけど、俺はお前のことをずっと見てた。だから、教えてくれよ 何があったのか」
そう言っても、ただ泣くばかりで一向にリースは口を開いてくれようとはしない。沈黙の中、テレビから昼のワイドショーが流れる。しばらくして、リースから弱々しい声で、ある単語が発せっられた。
「かばん――」
まるで、うわ言のような口ぶりだ。
「え? なに?」
聞き取れなかった正彦が聞き返すと、今度はとたんに荒々しい口調になった。
「かばん! どこにやったのって聞いてるの!」
ベッドの上でジタバタする彼女の動きは、暴れているとも苦痛にもがき苦しんでいるようにも見えた。左胸を手で押さえながら、肩で息をし手はがたがたと震えている。正彦の頭の中で目の前の彼女の様子と、机の上にあるタバコから取り出した白い粉がリンクした。
「ダメなの! あ、あたし、あれがないと、ダメなの!」
リースの視界が机の上に置かれた最後のひと箱をとらえる。その瞬間、彼女はベッドから這いずり出た。その肩を正彦が掴み、押さえる。
「はなしてっ!」
「何をしてるのかわかってるのか! アイドルなんだろ! ICのメンバーなんだろ! 帰りたくないのか! また、星羅や美那と一緒に歌いたくないのか!」
「あたしだって、歌いたいわよ! 帰りたいわよ! でも、ダメなんだよ……」
そこで、リースの力が抜け、床に伏せた。
「ダメってどういうことだよ、話せよ」
「あたし、ICのメンバーなんかじゃないんです。本当は……」
リースがとぎれとぎれの声でそう言ったのが信じられず、正彦は何度も瞬きをした。
「な、なにを……」
「本当です、あたしは管理音楽の手先。ただの薄汚いスパイ。タバコを吸ったのだって、メンバーとして活動しているあたしが非行に走れば、ICが社会的信用をなくすから。帰りたいよ、でも――」
無力な自分に対する悔しさから、床のカーペットを引っつかんで、奥歯を噛み締める。
「勝てなかったんだよ、あたしは。管理音楽に、嬉良に。だって、だって! お父さんが大事だからっ! そのせいで、何もかも失って! あたしはもう、もう、帰る場所なんか――」
涙ぐみながら、今度は正彦の目を睨みつける。
「あなたも、本当は呆れてるんでしょ! 当たり前だよ! あたしは、あたしは、ひどいことしたんだもの!」
そのとき、ワイドショーが、緊急ニュースを報道した。爆炎とともに燃え盛る、一軒の家。正彦は、その家主を知らなかったが、家主であるリースは、口をぽかんと開けたまま固まってしまった。彼女の頭の中を、聞きたくもない悲報が、流れていく。――自分の父の行方不明が、報じられ、遺体捜索中の扱いとなっていた。
そこで、正彦も状況を理解する。
「お、おい。まさか辻井恵介って――」
「かまわないでよ! 嫌いだ!」
問いかける正彦に対し、リースは立ち上がって暴言を浴びせる。
「嫌い! 大嫌いだよ! 星羅も美那も大嫌いだっ! 帰りたくなんかない! あたしはあたしは! ひ……とりで……」
そしてまた膝を折った。
「ひとりで、生きて……いくからさ。こんなとこに、いるわけには――」
うつむいて床に手をつく。
「苦しかっただろ。いや、今も苦しいよな」
正彦の手がリースの背中を優しく叩く。するとその瞬間に、彼女の精一杯のバレバレの嘘が、大きな音を立てて崩れた。そして彼女は、正彦に向かって、覆いかぶさってきたのだ。
「お、おい!」
いきなり、リースに抱きつかれて動揺していたところに、帰って来てはいけない人が帰ってきた。
「なにやってんの? このスケベ」
桃谷が眉をピクピクとさせながら、正彦を見下ろしていた。
「い、いやこれはワケが――」
「言い訳無用じゃぁあ」
振り下ろされる手刀。正彦の断末魔が響いた。




