Act.1 さあ、革命だ。
重たい鉄格子の扉がぎいと鈍い音を立てて開かれる。
「囚人番号432番、出ろ……」
荒くれ者を呼び出すときの看守は荒々しい声だが、今回は落ち着いている。
「これでやっと娑婆に出れるな」
「ああ」
男は模範囚とも言うべき人であり、看守とも親しい。
「これからどうするんだ?」
「――もう決意は固めてある。ストリートバンドが射殺される世界を変えるのさ」
看守の問いかけに少しおいてから男は答えた。
「そうか――」
自由な音楽は死んだ。
今や音楽チャートを支配しているのは、全て政府に認可を得たもの。歌詞からメロディラインの細部に至るまで管理された曲ばかりだ。そのため、生みだされる楽曲もアーティストもなにもかも同じ顔ぶれとなってしまった。
「日本が独裁政権になってはや60年は経つな。まさか3世代にもわたってしまうとはな。56年前に一度クーデターが起きたが結局未遂のまま」
「それが今の音楽業界に影響を与えているのか」
死んだのは音楽だけではない。
絵画、小説、漫画、企業の宣伝広告に至るまで、あらゆる表現は政府の監査を受けるのだ。音楽だけでなく、芸術、娯楽といったカテゴリそのものが息吹を失った。
「歴史の大部分は政府に隠蔽されたよ。今では、音楽業界だけではなく、すべての娯楽において表現の自由がなくなってしまった」
「ジャズが規制された太平洋戦争の最中だな」
「いい得て妙だ」
男が放ったシニカルな比喩に看守は笑った。
男は元囚人。看守とは対極の関係にあるが、この社会に辟易しているのは同じ。
「いいか、もう二度とここにもどってくるなっ。へまをするんじゃねえぞ」
手錠が外される。男は深く礼をした。男の名はムンク・オスカー。
革命に野心を燃やす若き敏腕プロデューサーだ。
*****
途方もなく広がる鉛色の天井。その下には、スラム街のようなひび割れたコンクリートの街が広がっている。鉛色の空に、鉛色の建物、鉛色の地面。見渡す限り鉛色だ。
その鉛色の下には暗くて真っ黒な地下が広がっている。
真っ黒な地下は蟻の巣のように、いくつも小さく分かれて、ハコと呼ばれている。ハコの中では音楽が鳴り響く。自由を歌う生きた歌声が木霊する。
「ありがとうございましたぁ!」
演奏終了。
スポットライトの熱で汗だくになった少女は、深く頭を下げる。
ハコのステージは、観客との距離が近く、ステージも高くない。少女の目線はごった返す男性客と同じぐらいの高さ。数列も人海を挟んだら、少女の姿は見えない。
それでも、誰一人として拍手喝采を怠ることはない。
「星羅ちゃぁああんっ!」
少女の名は月影星羅。
地下深くにつくられた鉛色の世界。そのさらに地下に広がる無数のハコ。ここは音楽のユートピア、シェルタリーナ。政府の管理を逃れた自由な音楽がかきならされる。
毎日のように様々なアーティストがライブ活動を行っている。だがもちろんこの地下から出れば、すべて処罰の対象だ。そして、ここの場所が割れ、政府の管理が入るのも時間の問題だろう。そうなれば、表現の自由を歌うものには、ホロコーストが与えられる。
「――もう、ここも終わりね」
観衆の声に混じってぼそりと不謹慎な言葉をつぶやく少女がいた。
周囲は両手を広げてぴょんぴょんと飛んだり、歌姫のいなくなったステージに向けてアンコールを送る者、指笛を吹く者もいる。
その中で少女は、冷めた目でパンパンと乾いた拍手をしていた。
少女の携帯電話に着信が入る。
ポケットの中でバイブを震わせながらスタジオを出て、電話に出る。その向こう側からは男の声が聞こえた。
「はい、マスター。辻井リースです。――ええ、シェルタリーナの中です。政府関係者に対する警戒は厳しいとは思いますが、セキュリティ自体はザルでした。――はい、調査を続けます」
リースは電話を切った。
だが心の中にはモヤモヤが残る。自分はなんでこんなドサ回りをしなければいけないのかと。
ほんの数ヶ月前までは自分も舞台の上で歌を歌っていたというのに。月影星羅。その名前を頭の中でとなえる。淡い羨望にまみれた声で。
***
ステージを終えた星羅は、控え室に戻っていた。
控室とはいっても舞台袖のような空間で、未だ冷めやらぬ観客の興奮は筒抜けだ。
「おかえり。星羅。よかったよ、お疲れ様」
まだ額に汗の残る星羅を迎えたのはあの男。
「はいっ! ありがとうございます。ムンクさん」
ムンク・オスカーは彼女のプロデューサーとして活動をしていた。
「本当にありがとうございます。初めはほとんど歌うこともできなかった私を、ここまで育てていただいて」
「まだまだだ。礼は日本一になってから言え」
その言葉を受けて星羅は、ワンテンポ遅れてにっこりと笑い、頭を下げた。
「そうだ星羅。ユニットを組んでもらう相手が決まったぞ」
あまりにも唐突な内容に、星羅は首をかしげる。
「え、ユニット?」
「わたしも創作の幅を広げたくてね それに華は多いほうがいいだろ?」
「で、ですが――急に初対面の人と組むって……」
「大丈夫だよ、彼女となら絶対に仲良くできる」
少しあがり症というか、人見知りのところがある彼女はまごついている。それを汲み取った上で、心配させまいとムンクはできるだけ優しい声を出す。
「朝霧っ、入るといい」
控え室のドアが2回ノックされ、開かれた。
現れたのは黒く長い髪を左側にサイドテールでまとめた少女だった。服装は和柄のワンピースを着用しており、背は星羅よりも10cmほど低く、小柄だ。
「あ、朝霧美那です!よろしくおねぐぁ――よ、よろしが!」
そのどもりにどもった口調に、笑うどころか苦笑いもなく、時間が止まってしまった。
「なぜなら美那は星羅ちゃんよりもよっぽど緊張しぃだからな」
お気楽に笑い飛ばすムンクを、冷めた目で星羅が見つめる。
「あの、それ大丈夫なんですか?」
「初めての舞台で曲中にうずくまったやつに言う資格はない」
「ぐ……」
痛いところを突かれて左胸を押さえる星羅。
「あ、あの! あ、あたし! 極度の緊張しぃでして、で、ででも! 歌だけは誰にも負けないんで! よ、よろしくお願いします!」
美那が顔を真っ赤にして肩を震わせながら、深々と頭を下げる。緊張で体がガッチガチに固まっており、まるで一昔前のロボットのような動きだ。
そのあまりにも堅苦しい言動に、星羅の口元も緩んでしまう。
「そんなにかしこまらなくていいよ、私の名前は月影星羅。よろしく!」
目の前に差し出された手のひらを両手で包み込むようにしてつかみ、握手を交わした。にっこりと笑いかける星羅。すると美那の表情も柔らかくなり、ゆっくりと口角が上がる。
「よろしくお願いします」
交わされたふたりの少女の手。
冗談交じりのムンクの言葉は大当たり。ふたりは出会って程なくして打ち解けた。この日より、ムンクが手掛けるのはひとりの歌姫から、アイドルユニットになった。この閉塞した地下を虜にし、やがては地上に羽ばたいて、管理された世界にもう一度光を取り戻す――
革命楽団IC