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Act.16 堕落の天使

 エデンの敷地は実に広大だ。大きな大学のキャンパスを4つも5つも合わせたような巨大な施設なものだから、中を車で移動するのが当たり前だ。

 射的場はスポーツや娯楽施設をひとところに集めた南西部にあるE棟に位置している。嬉良の住む寮や、家康のいる本部とは数kmも離れており、循環バスで10分以上はかかってしまう。

 嬉良はエデンの敷地内の移動やリースの家への視察、そして地下への移動の際に、付き人であるKTに運転をさせている。

 黒い光沢の眩しいBMWが、彼の運転する車だ。


「お疲れ様です。嬉良様」

「ご苦労様」


 嬉良の手には重々しいジュラルミンケースが。中には嬉良の愛用の六弾装填式リボルバーが収められている。


「腕は上達しましたか」

「ええ、オートマチック式よりもむしろ使いやすいわ」

「にしても最近は射的場に通う頻度が多くなりましたね」

「行動パターンを変える必要が出て来てね。――――付けられてる気がする」

「誰にですか?」

「目星はついてる。来たときからいけ好かない奴だったから。それに手も打ってある。――――まあ、そいつもいけ好かないことには変わりはないけれど」

「寮がある本部に戻るのですか?」

「いえ、シェルタリーナのコンビニに向かってくれる? 例の荷物はこれかしら?」


 嬉良は後部座席に置いてあった鞄のジッバーを開ける。中にはリースに渡していたものと同じ銘柄のタバコが大量に入っていた。そのうちのひとつをカバンから取り出してみせる。


「ありがと、これをあのこに渡さないとね、もうそろそろ“キテる”ころだと思うから。今回は特別サービスで薬の量を2倍にしておいたわ。きっと、楽になれるはずよ」


 バックミラー越しにKTと嬉良の目があった。KTは口を歪めて目を反らす。


「なに、浮かない顔してるの? KT」

「いえ」

「諦めなよ。あたしはあいにく、そういうやつなんだよ。自分以外の存在が認められないんだ。あんたは何も心配なんてしなくていい。ただ、あたしの傍にいて言う事を聞いていればそれでいい」


 後部座席でそう語る嬉良に無言で返事したあと、車のフロントランプを灯した。そして、二人の車は暗い地下へと潜っていくのであった。


 ――――約束の時間になった。リースは独りでシェルタリーナのコンビニの中で少年誌を立ち読みしながら、嬉良の車が到着するのを待っていた。

 コンビニの前に闇に溶けるような色をした黒い車が停まった。後部座席のドアが開き、中から出てきた嬉良を見て、リースは立ち読みをやめてコンビニから出た。

 薄暗い地下というのに、嬉良はサングラスをかけている。かなり胡散臭い人相だ。


「面と向かって会うのは久しぶりね、リース」

「――――会いたくなかった」

「そういう顔してる。とりあえず、行きましょ」


 リースは薄手の長袖のシャツを羽織ってるぐらいだが、嬉良の方はロングコートを羽織っており、やけに厚着だ。そして、右胸のあたりが膨らんでいる。何か大きなものをコートの胸ポケットに入れているようだ。

 それに、これまた大きなカバンも持っている。暗くて人気のない路地裏に誘われた。すると、振り向きざまに嬉良はそのカバンをまるごと渡してきたのだ。


「はい、これっ」


 やはりか。リースは心の中で辟易した後、嬉良の顔を見上げ、虚ろな目を向けた。


「なに、その顔? 中身はいつものよ、分かっているでしょ?」


 突き出されたそれを恐る恐る抱きかかえるようにして受け取ると、薄い化学繊維越しにカバンの中で角張ったものがごろごろと動くのが感じられた。――――中にはタバコの箱が大量に入ってる。感触からそれを読み取ったと同時に、リースは顔を俯けた。


「家出したぐらいであたしから逃げられたとでも思っていたの?」

「い、いえ……」

「ちゃんと立場をわきまえた行動しなさいよ。そうじゃないと――――」


 コートの胸の部分がはだけたかと思うと、距離をつめられた。長い腕には、リボルバーが握られている。銃口が額に食い込むまでに押し付けられ、ちゃきりと金属音が鳴った。


「あたしに逆らったらどうなるか、わかるよね?それぐらいわかるよね? あんたも、あんたの父親も! あたしの手の内なんだよっ!」


 嬉良は体重をかけてリースの身体を壁に磔にした。

 恐怖のあまり、息が荒くなっているリースの額に銃口をぐりぐりとねじ込んで、鋭い視線の弾丸を浴びせる。


「わかったら、これ以上抵抗なんてしないでくれる?」


 リースの額から銃口をのけて、再びそれを右胸のポケットに戻した。コートのポケットに両手を突っ込んでリースに背を向ける。


「じゃあ、がんばってね。またメールするから」


 捨て台詞を吐いたあと、嬉良は3歩ほど歩いたところで思い出したように止まった。


「それからさ。もうじき、あのふたりも用済みになると思うよ」


 そう付け加えたあと、コンビニの前に停めてある車の方へと歩いていき、リースの視界から消え去った。嬉良からもらった鞄が急激に重みをまし、その場に膝を負ってへたりこむ。

 つかの間の安息を星羅や美那、ムンクと過ごしていたリースにとって、その鞄が突きつけた現実はあまりにも重すぎた。

 また、力が入らなくなり、路地裏のコンクリート製の薄汚い壁にもたれかかる。湿った冷たさが背中に感じられる。

 空のない地下に雨は降らない。だが、濁った瞳でうなだれるリースの耳には激しい雨音が響いていた。

 傘をさしてくれる人はいない。今の自分には、その存在が離れすぎている。


「星羅ちゃん……美那ちゃ――――ん。お父さん、あたしダメだよ。あたしは、ダメな子だよ」


 リース独りだけが見えない雲から降り注ぐ冷たい雨に降られていた。歪んだ視界に嬉良から渡された鞄が映る。


「そっかもう、あたしに……帰る場所なんてないんだ」


 鉛色の天井を見上げ弱々しく、そう呟いた。

 この地下に逃げて来た時、ようやく呪縛から解放されたと思っていた。だがすぐに、呪縛(そいつ)はこの地下にまで下りてきた。――――もう、逃げられない。逃げることなんてできやしない。

 より一層、濁りの増した瞳に、嬉良からもらったタバコが目に映る。

 気づかないうちに、鞄のジッパーが開いていた。


 誰が開けたのかは知らない。


「はは……、あはは――――」


 そして、今自分がなぜ笑っているのかも、誰にもわからない。


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