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Act.11 Poison Drug

 エデンには独房がある。女子寮から渡り廊下で繋がる別の棟にそれはある。

 管理音楽に紛れ込んだ反乱分子や、禁制を犯したものを閉じ込めて折檻する場所だ。リースの父である恵介は、そこの一室に監禁されていた。

 窓もなく、狭く薄汚い。室内には洗面台と和式便器が、むき出しであるのみ。冷たいコンクリートの上に、連れてこられたままの服装で寝るより他はない。

 もちろん恵介は、風呂にもろくに入らせてもらっていない。食事も日に2回だけ。朝には何も塗ってないパンと脱脂粉乳を水で溶かしたものが出され、夕には麦を炊いたものと少量のおかずが出される。まるで服役中の重罪人のような生活をさせられている。

 違うことといえば、刑務作業がないことくらいだ。いや、それに相当する、業務というか拷問はある。

 カツカツとした硬い足音がすると、その合図だ。それは彼女――――恵介を監禁している女、嬉良――――が食事を持ってくる合図だ。


「ご飯持ってきたわよ」


 午前7時0分きっかり。彼女は取り立て屋のごとく、荒々しいノックをする。そして鍵でドアをこじ開ける。家畜に餌をやるように、足元に盆を置く。脱脂粉乳を水で溶かしたものと、何も塗ってないパン。相変わらずの献立だ。


「礼くらい言いなさいよ」


 恵介は、礼などいうわけもない。こんな粗末な朝食。それに彼女の気遣いならまだしも、目の前のそれは人質の息をつなぎ留めておくだけのものに過ぎない。


「やっと泣き言を言わなくなったようね」


 彼が礼も言わなければ、不平も言わず。ただ黙るようになったのは、それが最も楽だと気づいたからだ。彼女の足元に置かれた盆から、粗末な朝食を拾い上げ貪る。それ以外は何を言われようが、何をされようが沈黙を貫き通す。

 静寂な独房に食事の音だけが反響する。それを彼女のねっとりとした声がつんざいた。


「あんたの娘のファザコンっぷりには、びっくりだわ」


 始まった。拷問とも言うべき時間が始まった。


「あんたが監禁されてるって知ってから、すぐにあたしに電話がかかってきたわ。“何でもする”って言うの。おかしくておかしくて笑っちゃった」


 目の前で自分の娘、リースの嫌味を言う嬉良。恵介はせせら笑う彼女の口元を睨みつけた。

 

「そんなに、親っていいもんなの? それともあんたが特別なの? あいつが特別なの?

 ――――それがムカつくんだよっ。あんたの娘が何でもやるって言うから、こいつを条件にしたよ」


 彼女はスカートのポケットからタバコの箱を取り出し、それを冷たい鉛色の床に落とした。


「親なら娘のために死ねるでしょ? 早くしないと、あんたの娘ボロボロになっちゃうよ。身も心も。早く死んでやったら? あんたが死んだら、あいつは楽になるんだよ?」


 そのタバコの銘柄は見覚えがあった。

 マルボーロ、自分が昔に吸ってたタバコだ。妻が妊娠したことをきっかけにタバコとは縁を切っていた。娘の肺が弱いことを知って、本当にタバコをやめておいてよかったと思った。そのタバコが条件だというのだ。


「娘はこれを吸ってるのか」

「それくらい、考えたらわかるでしょ?」

「娘は肺が弱く、家族の喫煙でも喘息を発症するかもしれないと言われたんだっ。それにくわえ、まだ未成年だぞ! 何をさせているのか分かっているのか!」


「知ってるわよ。だから吸わせてるんだよ。――――そうでもしないと平等じゃないでしょ。あたしと同等に苦しんでもらわないと、割に合わないじゃないの」


 ゆらゆらと病的な笑みを浮かべながら、彼女はドアを閉めて鍵をかけた。そして、去る間際に独房のドアについた格子窓から、恵介を見下ろして言い放った。


「それに。タバコどころじゃないから。それ――――」


 その言葉を聞いた瞬間、恵介は背筋が凍り付いた。だが、それを振り払い鋼鉄のドアに、縋り付く。鍵は内側からは開けることができない。鍵穴にあたるものはおろか、ドアノブさえ内側には存在しないのだ。恵介は力いっぱいに鋼鉄のドアを叩いて、騒音を鳴らすより他はなかった。それで遠ざかる足音が止められるはずもなく。――――やがて恵介は、娘を助けに行くことができない自分を恥じながら、鋼鉄のドアに寄り掛かり、ずり落ちるのだった。



 恵介を閉じ込めた独房を後にした嬉良は、女子寮とつながる渡り廊下のところである人物とすれ違った。すれ違いざまに、そいつは嬉良に疑問符を投げつける。


「そこのドアのむこうに何があるの?」


 女性の中でもかなりの長身の部類に入る嬉良を、さらに超える長身の少女。シェルタリーナで嬉良、寺嶋とともに聖☆少女騎士団のメンバーとして歌った、Δデルタ あいだ。


「あんたには関係ないよ」

「中からしゃべり声が聞こえたけど? 誰かをいびってるような。中に誰がいるの?」

「いたらなんだって言うんだ? あたしは忙しいんだよっ」


 詮索する愛をうっとおしいと振り切り、嬉良は女子寮の自室に戻る。

 そして、自室のドアに鍵をかけるとそっと胸を撫で下ろした。恵介を閉じ込めている独房の鍵を机の引き出しにいれ、その引き出しにも鍵をかける。

 少しだけ息が上がっている。――――やがて、何かを押し殺すように喉を鳴らしたのち、机の引き出しから胃薬を取り出し、それを水で流し込んだ。


「――――はぁ……、はぁ……」


 後ずさりで部屋のベッドまで移動し、そのままのけ反って寝そべった。


「――――あたしは、何を恐れているんだ……」


*****


 リースは、ICのレコーディングやリハーサル、ライブなどすべての活動において参加を控えていた。風邪による体調不良だと説明しているが、原因は別にある。

 この日もハコでのライブは大盛況だが、彼女はその盛況ぶりを控室に漏れ聞こえている音から感じ取っていた。ムンクは舞台袖でオケを流したり、マニュピレータも兼任しているため控室にはいない。誰もいないことを念入りに確認したのち、ハンドバッグからタバコの箱を取り出し、それを口に加える。

 火をつけて煙が立ち昇る。浅く息を吸っただけで、額を拳でもってぶん殴られたような感覚に襲われ、テーブルの上に崩れ落ちた。

 上体を起こそうとすると、ぐわんぐわんと視界が回る。地に足がついていないような浮遊感に襲われる。咳き込み、同時に激しく嘔吐く。喉の奥から湧き上がってくる胃酸を飲み込む。半ば発狂しそうになりながら、タバコを約8割ほどの長さを残して灰皿ごと捨てた。

 そこでスマートフォンのバイブが鳴る。いつものあのメールだ。


“今日はいくつ吸った?”


 その短い文面が送られてくるたび、泣きたくなる。

 自分の体をどれだけ痛めつけたかを毎日レポートして嬉良に送らないといけない。それが自分の父の身柄を確保する条件なのだ。

 彼女とて、何度か無視をしようとしたこともあった。だがそんな考えをあざ笑うかのように電話が入り、ねっとりとした嫌味たらしい声で確認を執拗に要求してくる。


 もう自分は、嬉良から逃げることはできないのか。


 朦朧とする意識の中、その一文だけが自らの声で耳の中で反響する。周波数を変え、大きさを変え、ぐわんぐわんと鳴り響く。うるさいとかの次元ではなく、頭蓋を何度も殴られているかのような感覚だ。ただただその感覚から逃げたくて、彼女はテーブルの上をどったんばったんと叩いて回った。

 そして右の手がタバコの箱の上に覆いかぶさった瞬間――――彼女は震えるその手で、箱から一本のタバコを出して火をつけようとしていた。


「え……。あ、あ。あああ。いやぁああああっ!」


 得体の知れない恐怖を感じ、タバコをハンドバッグの中に戻して、そのカバンを床に叩きつけた。わけも分からずに壁に追い詰められ、もたれかかって肩で息をする。


 とりあえず、落ち着こう。


 そう小声でつぶやいて、イガイガした喉を控室内に設けられた洗面台で洗い流す。鏡の中にはやつれた顔があった。頬がこけかけている。歯が少し黄ばみ始め、自然と口の動きが小さくなって来た。

 鏡を虚ろな目で見つめているとノックが聞こえた。


「入るよー」


 ライブを終えた星羅と美那が、リースのいる控え室を訪ねてきたのだ。


「風邪、大丈夫?」


 ふたりは自分の体調が、芳しくないことを気にしてくれている。


「ああ、大丈夫大丈夫。まだ風邪気味なだけだから」


 ひとつ咳払いをしてから話せば、まだ声もマシにはなる。

 だが、このまま喫煙を続ければ自分の声がどうなってしまうかは自分でも想像できる。


「これはどうしたの?」


 美那が、不審そうに床に叩きつけられたカバンを眺めている。


「あ、あああ。ご、ごめん!」


 急いでカバンを拾い上げ、チャックを閉める。幸い、中の物は見られてはいないよう。


「なにかあったの? 顔色が悪いよ?」


 心配してくれる星羅と美那も、もはや恐怖の対象になりつつあった。

 他言すれば、それが嬉良にバレれば、自分の父がどうなることか。そう考えざるを得なくなったのは、自宅の電話にあからさまに見に覚えのない配線と機械がつながっているのを見てからだ。

 誰にも相談することができない。


「え、え? そうかな?」


 相談できれば、自分の境遇を伝えることができれば、星羅も美那も自分の心の拠り所になる。それができない今は、一つ一つの言葉がナイフになって、自分の身体を刺すようだった。


「ちょっとトイレ行ってくるね」


 リースは、独りになりたかった。

 今の彼女には、ひとりだけの空間が現実逃避できる場所だ。――――だが、それを身体が許してくれなかった。

 立ち上がって数歩歩いたとたん、全身の力が抜け、その場に膝を折り、そのまま床に伏してしまった。

 体が動かない、力が全く入らない。

 意識があるのに、まぶたは開いてるのに。目は見えているのに、耳は聞こえているのに。床の冷たさを感じるのに、屍のように動けない。


「ちょ! リ、リース、大丈夫!」


 星羅の声が聞こえたところで、リースはなんとか立ち上がった。どうやら一過性のもので、ものの数秒で力が入り、手足が動かせるようになった。


「ご、ごめん。――――あたし、疲れてるみたい。今日は帰って休むよ」


 疲れているというよりは、これ以上ふたりの前でボロを晒すわけには行かなかった。


「待って、病院に行ったほうがいいんじゃないかな?」


 美那がリースの背中を呼び止める。


「大丈夫、自分で行くから。ムンクさんには家に帰ったと伝えておいて」


 明らかに、ふたりが入ってきた時とは声が違っている。弱々しい病人の声になってしまっている。美那と星羅は互いに顔を見合わせた。そのふたりの様子に見ていない振りをして、リースは控室を後にした。

 これで、振り切れたろうか。ごまかせただろうか。そう考えるが、もう身体の異変は隠しようのないものになっていた。

 喫煙を初めてから、食が異様に細くなり、食べ物が喉を通らなくなっていた。

 腕が細くなり、力が入らなくなってきた。なによりギターをいくら弾いてもなんともなかった指が、弦を抑えていると鈍く痛むようになってきていた。履いているショーパンのウエストは余っている。眩暈や耳鳴りもひどく、呼吸も危うい。動悸もする。


 リースは完全に蝕まれていた。


*****


 独房の中、ドアについた格子窓から漏れる光を頼りに、恵介は嬉良の置き土産を拾い上げた。自分の娘であるリースに吸わせているという代物だ。

 自分の命を守るために、娘はこいつに蝕まれている。

 その事実に唇を噛みしめながらも、脳裏にへばりつくのは嬉良のあの発言。


『それに。タバコどころじゃないから。それ――――』


 タバコどころじゃない。

 いったい、それはどういうことなのか。考えたくもないし知りたくもない。

 ただ、自分の娘を蝕むこいつが、何なのかを父親として知る必要がある。恵介はそう考えて箱をまじまじと見つめた。

 一見、市販されているマルボーロの箱と変わらない。一度開封されているのが気にかかるが。

 もしやと思って一本タバコを取り出してみた。――――吸い口に何か、こよりのようなものが飛び出ている。それを引き抜くと、細長い円柱状に丸められた薬包紙が出てきた。それは、タバコから完全に出たところで、自身の弾性によりくるくるとほどけ、中に入っていた内容物を空気に舞わせた。


 白い粉だった。


「――――嘘だろ……」


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