Act.10 追憶のInterlude
シェルタリーナ内の共同スタジオ。
ムンクは、そこの生活スペースに間借りをして住んでいる。部屋には作りかけの歌詞や譜面が山のように積まれたオフィスデスクがおいてあり、そこからガラス張りのレコーディングスタジオが見える。
レコーディングに使う楽器は倉庫に各種取り揃えてある。アコースティックギター、エレキギター。ベースもウッドとエレキが取り揃えてある。ドラムはもちろん、カウベルやティンパニなど、様々なパーカッションもある。シンセサイザー、サンプラーにターンテーブル。ほとんどすべてのジャンルを網羅できる楽器の取り合わせだ。
ムンクはラップトップのPCで音楽編集ソフトを開きながら頻りに唸っていた。
(新入りのリースにふさわしい曲をつくりたい……)
リースはICのメンバーの中でも異彩を放っていた。
ギターやベースはプロでも舌を巻くほどの演奏スキルを見せる。なによりも特筆すべきは、彼女の魅力的な声質。なかば少年の声のようにも聞こえるアルトボイス。歌唱の際は、ねっとりとしていて妖艶な低音になる。だが、声域が低音に偏っているわけではなく、とんでもない声量のファルセットで、攻撃性のある鋭い高音を発することができる。シャウトも彼女の得意技だ。――――星羅が透き通った天使の歌声とするなら、リースは耳を傾けざるを得ない悪魔のような魅力を持った声だ。
彼女の魅力を活かすとするなら、パンクロックか。いっそハードコアな曲を書くのもいいかもしれない。
頭の中で思考を巡らせていると、どうしようもなく腹が減る。糖分が欲しくなる。
ムンクは辺りを見回す。ケーキの箱が目に入った。何やら手紙が添えてある。「ICの皆さんへ」と書かれてあり、箱を開けるとケーキが3つある。ショートケーキと抹茶ケーキ、それとガトーショコラだ。
おそらく、抹茶は美那、ガトーショコラはリースへのもの。
「じゃあ、このショートケーキはわたしがいただこう」
「いや、あたしのなんですけどっ!」
いつの間にか部屋に来ていた星羅がいきなり叫んだ。
「――――というか、いつからいたんだよ」
「さっきです。せっかくのファンからの差し入れを何勝手に食べようとしてるんですか!」
「曲作りは頭使うから糖分足りなくなるんだよ。ファンだったら裏方にも気を使ってくれよ。
そうだ。星羅、コンビニにプリン買いに行ってくれよ」
「砂糖でもなめててください」
「人をアリみたいに言うな!」
「はいはい……」
わあわあと喚くムンクの言葉を、右の手ではらい落す。
「それにしてもファンレターなんて初めてじゃないですか?」
ムンクをぞんざいに処理したあと、星羅はファンレターを手に取り差出人の名を読んだ。
「えっと。――――加藤正彦」
「ファンレターなら匿名で出せばいいのにな」
「返信期待してるんじゃないですか?」
「どうせ、アイドルのファンなんてキモヲタだろ、返信なんて書いてもらえるわけがない」
「そのアイドルをプロデュースしてる人が言っていい言葉じゃないよね……」
星羅はファンレターの封を開け、まじまじと文面を眺めていた。
そこにはなんとICのファンクラブを作ろうという彼の意思が記されていた。もうすでに会員も何人かいるらしく、小規模な私設応援団として活動を始めているそうだ。
「ほう、なかなかうちも有名になったじゃないか」
星羅から受け取った手紙を眺めながら、ムンクは呟いた。
普通なら喜ぶべきことなのだが、星羅は内心複雑な心境だった。
「そうですね。――――でも、人気が上がるのと同時に、敵を作った感じもありますよね。この前のコンサート会場のことで、ちょっとだけ怖くなってしまったというか。
あの前座のグループもきっと管理音楽の差金だったんでしょうね」
星羅の弱気な発言を聞いて、ムンクはため息を一つわざとらしくついてみせた。
「私がこんな馬鹿げたことをやってるのは君のせいなんだぞ、星羅」
「ば、馬鹿げたなんてっ」
言葉尻を掴み取って、強い視線を差し向ける。
「言葉の綾だ。――――でも事実、君と会っていなかったら私は革命なんて起こそうとしてないさ」
彼女の視線は、年齢差を飛び越えて見るものを怖気づけさせるほどの鋭さを持つ。ムンクはその意志の強い瞳に惚れ込んだ。
「道は険しいですよね。コンサート事件も隠蔽されましたし」
「まだ美那やリースには、私たちの本当の目的は伝えていないだろうな」
「はい。特に美那ちゃんには荷が重すぎると思うし。――――でも、嫌が応でも活動が本格化すれば、ICの本当の目的を知ることになりますよ。
それに本当に言論だけで犠牲者もなしに革命なんて出来るんでしょうか。たとえそれが音楽業界という狭い範疇でも」
「さあな。そういうことは、おいおい考えるよ」
「おいおいって……」
ムンクの発言を若干無責任だと感じた星羅だが、問い詰めることはできなかった。
「それはそうと。ドラムの練習しに来たんじゃないのか?」
「あ、そうだった……」
「君も熱心だな。もともとリズム感を鍛えるために勧めただけなのに」
星羅はいそいそとカバンから譜面を取り出した。彼女が幼少のころ、リズム感と体幹を鍛えるためにムンクが勧めたのがきっかけ。彼の想像を超える成長とのめり込みを見せ、今では、プロと言っても、差し支えのないレベルにまで上達している。
「負けてられませんよ。誰かさんの適当なオーディションで、あんな天才がうちに入ってきたんだから」
天才。さっきまで誰に向けた曲を書こうとしていたのか見破られたのか。そう問いかけると、「当たり前でしょ」と返された。
ガラス張りのスタジオの中には、星羅がよく叩いているドラムセットが置いてある。
埃をかぶってしまわないようにかぶせてあるカバーを捲り上げる。椅子に座り、簡単にチューニングをしてから、デモンストレーション。
深呼吸をしてからエイトビートの基本のリズム。ハイハットで拍子をとりながら、スネアドラムとバスドラムで軽快なリズムを刻む。フロアタムとライトシンバルも加えながら、まずはドラムセット全体の調子を見ると同時に自身をビートに没入させていく。
調子が乗って来たのか。ドラムスティックでムンクの方を指してみせ、合図を送る。
「ムンクさん。オケをお願いしますっ」
機材の上が面やら書きかけの歌詞やらでとっちらかってしまってるので、少し遅れてからスタジオ内に曲がかかった。
曲に乗せた星羅の軽快なドラミングが、スタジオから漏れ聞こえる。
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外は肌寒いと ママが言っていた
寒の戻りと テレビが騒いでる
あたしの周りは相変わらずの 25度に保たれているわ
変わらない水草を眺めて 変わらない餌を食べる
あたしはトビウオになって 窓から海へ飛び込むわ
サメに食べられたって 後悔なんか絶対絶対しないから
ガラスの壁をぶち壊してたった数秒でもファンタジー
》
星羅はドラムの練習の時に、この曲をよく使っている。曲名は「熱帯魚の夢」。
今から70年ほど前に発売された曲だ。彼女はこの曲を幼少の頃祖父に教えてもらったそう。もちろんこの曲も、管理音楽によって規制対象になり存在自体忘れ去られつつある。
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デートで映画と あの子が言っていた
年頃になったなと パパがさみしげに言った
あたしの周りは相変わらずで 四六時中ルームシェア
変わらない顔を眺めて 変わらない表情をつくる
あたしは女の子だもの いろんな恋をしてみたいわ
この心を焦がして ボロボロになっても全然かまわないわ
ガラスの壁をぶち壊してたった数秒でもファンタジー
》
星羅の中では祖父との思い出の曲なのだが。
ムンクはというとこの曲があまり好きではないのだった。理由は詞の解釈にある。――――大きな力の前になすすべはなく、壁をぶち破ったとしても、のたうちまわりながら哀れに死んでいくしかない。そう解釈できてしまうのだ。もちろん、そうだとしても何もせずに引きこもるよりは壁をぶち破ったほうが幸せな結末を迎えることができるという捉え方もあるのだろうが。――――彼の中では革命に対する意思を削ぐような詞に捉えられるのだった。
「あたしの演奏、どうでしたか?」
演奏を終えてスタジオから出た星羅が、尋ねて来た。
「ああ、良かったよ。本当にあっという間に上達するな」
そう言うと「褒めすぎです」とつき返す。額に浮き出た汗を拭きとりながら、水をごくりと一気飲み。
「もう、いいのか?」
「ドラムのこと思い出したら、ケーキのこと忘れてて」
「食べに来たってわけか。コーヒーいるか?」
「あ、ありがとう……」
鼻歌を歌いながらケーキにフォークを入れる星羅。
ムンクは、彼女の分のついでで入れたコーヒーを飲んで、作曲で疲れた脳を休める。
「なあ。なんで星羅はあの歌が好きなんだ?」
「あれ? 前に話しませんでしたっけ?」
「そうだったかな……」
「確かに悲しい歌ですよね。おじいちゃんもそう言ってました。
熱帯魚が、ひとりの女の子だって考えると。――――でも、そんなの関係なく、あたしとおじいちゃんをつないでる曲なんです」
――――それは、星羅がまだ7歳の時だった。星羅の祖父は、いわゆる収集家で自宅に大量のCDやレコード盤を隠し持っていた。いつも部屋には祖父の大好きな音楽が流れていた。
「あたし、この歌好き」
「いい曲だろう。“熱帯魚の夢”って言うんだ」
「ねったいぎょのゆめ……?」
「でも、この曲が好きなことはみんなには内緒だよ」
「どうして……?」
そう。とっくに管理音楽は敷かれており、そこでスピーカーの振動子から紡がれていた音色はどれもこれも禁忌だった。「熱帯魚の夢」も、所持することすら禁止された音源だった。
「いや、あのその――――恥ずかしいんだよ」
「なんで? 恥ずかしくないよ、あたしもこの歌好きだもん」
「いや、ダメなんだよ本当に。バレたらいけないことなんだ」
「そんなのおかしい、絶対おかしい!」
しかし、それを幼い星羅は理解しなかった。祖父は少し困った顔をしたが、星羅はそれでも「おかしいおかしい」と連呼した。――――
「あたしったら強情で。音楽の授業で、ちょうど自分の好きな歌を紹介するっていうのがあって。みんなの前で大声で歌っちゃったの。そしたら、先生にとなりの準備室に連れて行かれて説教されちゃった。全然道理が通ってなくて何を言われたのかも覚えてないけど」
管理音楽のもとで行われた音楽の授業は、洗脳教育といっても差支えのない物だった。多くの禁制された音楽は、理由もなく否定される。そして、子供が禁制された音楽を知っているということは、親族に禁制された音楽を所持するものがいるということ。
「そして、その晩におじいちゃんの家に行った。――――黒い服を着た人たちが、おじいちゃんの家に押しかけてCDやレコード盤、ありとあらゆる音源を持ち去るところだった。
おじいちゃんは、泣きそうな顔で地面に顔をこすりつけてさ。
やめてくれって。あたしに聞かせたい曲がまだまだ、いっぱいあるんだって。
――――でも結局全部なくなっちゃった」
確かに、星羅が話したことはムンクも以前に聞いていた。
だが、そのときは祖父との思い出の曲だというだけで、ここまで詳しい話は聞いてなかった。
「それ以来、あたしは校内いじめの標的になって。どんどん孤立して。自分の部屋にこもるようになった。そうして何日かたったある日、家族で出かけるって言われて。家族3人で車に乗って、この地下の街、シェルタリーナに来たんです」
「そこで、わたしと出会ったってことか。なんで君の家族は、この場所を知っていたんだ?」
「さあ? それはまだ聞いてません。でもあたし、ここに来て……ムンクさんに会えて、よかったです」
「そうか」
ムンクは、心の中で静かに「同感だ」と呟いた。彼が星羅と会ったのは、10年も前になる。管理音楽に抗議する学生運動に参加したことで3年間の懲役を受け、出所した彼はしばらくの放浪生活をついてこの街に流れ着いた。
そこで彼は小さなステージの上で裸電球に照らされて弾き語りを歌っていた。会場は若者の姿は少なく、なぜか中年の人が多かった。
その中でほぼ毎回最前列に幼い少女の姿があった。その姿は、小さいながらもとても目立っていた。そのうち、楽屋や控え室にまで顔を出すようになり、せがまれてギターを弾いたり、一緒に歌ったりするようになった。
そう。その幼い少女こそが、今彼がプロデュースを手掛ける、月影星羅だったのだ。
「――――今、思い出してたでしょ?」
「ああ、あの頃は音痴だったな」
「余計なお世話だわ!」
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あの子が出て行った ママとパパも出かけた
あたしの旅が始まろうとしていた
あたしはトビウオになって 窓から海へ飛び込むわ
サメに食べられたって 後悔なんか絶対絶対しないから
ガラスの壁をぶち壊してたった数秒でもファンタジー
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彼が「熱帯魚の夢」を知ったのはちょうどその頃。幼い星羅が、彼に教えたのだ。上手いとは言えないが、めいっぱいの笑顔と大きな声。出鱈目な感じたままのステップを踏みながら、彼女は文字通り“自由に”歌っていた。
その姿を見たとき、彼は心のどこかを撃ち抜かれたような感触を覚えた。理屈ばかりの大人の凝り固まった考えが、子供の柔軟さに打ち負かされるのと似ている感触だ。
彼は、少女の歌う姿に自分の思い描く“自由な音楽”の姿を重ねた。
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水たまりの中で意識が遠くなる
そしてあたし 静かに幸せな長い旅に出るの
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――――この結末をいつか変えてしまいたい。水槽という殻を破り、自由を手に入れた少女は、水たまりの中で喘ぐ運命ではない。大海原を悠々と泳ぐのだ。そうあるべきなのだ。
「熱帯魚の夢」を聞くたび、彼は思い出すのだった。
革命に対する自身の純粋な動機を。




