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Act.9 悪魔のプレゼント

「あ、あの……。ふたりは……?」


 シェルタリーナ内の病院はごった返していた。なにしろ、地下にひとつしかない病院だ。そこに何百人もの患者が押しかけてきたのだから。

 幸いなことに患者の多くは、麻酔から覚めたあとの嘔吐、下痢、悪寒など、病状としては軽いものだった。難を逃れていた星羅と美那は、麻酔を吸って倒れてしまったムンクとリースの見舞いに来ていた。


「大丈夫です。麻酔を吸っただけですから。2日も経てば顔色も良くなるでしょう」


 受付の看護婦の答えに安堵し、胸を撫で下ろすふたり。

 麻酔の後遺症が軽いものだけで済んだことは不幸中の幸い。病室が足りないせいで雑魚寝で寝かされている患者もいる始末だ。

 その中でリースはなんとか個室対応にありつけたよう。それを聞いたふたりはさらに安堵する。

 看護婦の案内で、リースがいる病室に入るふたり。


「リース、お見舞いに来たよー」


 リースはベッドの上で青ざめた顔。タライを抱きかかえながら、上体を起こしてお姉さん座りをしていた。ときどきうぷっと嘔吐いて肩を震わせる。タライの中には酸っぱい匂いのする吐瀉物があった。


「ご、ごめん……。汚いもの見せちゃって」

「大丈夫だよ」


 なんとか吐き気が治まったのか。リースはタライをそっとベッドの影に隠す。


「調子はどう? 悪いよね」

「最高にやるせない気分よっ。アイドルなのに何回もゲロゲロ吐いちゃって。

 喉もひび割れて、ガラガラ声で。――――何やってんだろ。あたしは……」

「気にしなくたっていいよ。リースちゃんが無事で本当に良かった」

「せっかく来てもらって申し訳ないけどっ。もう、見舞いはいいよっ。

 ――――あ、あまり、こんな姿見せたくな……」


 そこで喉の奥からこみ上げるものが。リースは口元を押さえて激しく嘔吐く。


「げほっ! えほっ! うぇええ」


 美那は慌ててベッドの影に回り込んで、隠したタライを拾い上げてリースの前に差し出した。


「大丈夫っ? リースちゃん」

「背中、さすってあげようか?」

「だ、大丈夫……。自分でやるから。吐いてるとこ見られたくない」


 余裕がないのか、美那が差し出したタライの上に覆いかぶさり、肩を震わせる。目を合わせないまま懇願するリース。

 星羅と美那は顔を見合わせた。


「――――そっか。じゃあ、ムンクさんのことも心配だから行ってくるね」

「ああ。ムンクさんには、ありがとうって伝えて欲しい。あの人はあたしを、身を呈して守ろうとしてくれた」

「わかった。伝えてくる」

「じゃあね。リースちゃん」


 ふたりが手を振る。それに弱弱しく手を振り返す。


(――――今まで自分にはこんな暖かい友達がいたことはなかった。今の自分はなんて幸せものなんだろう)


 そっと心の中でつぶやいた。だが、心身ともに弱っている今だからこそ、なおさら会いたい人が、まだ帰ってきていないのが唯一心残りだった。


「お父さん。――――必ずかけてくるって言ったくせに。ウソつき」


 空しい独り言を反響させながら、退屈まぎれにテレビのスイッチを入れる。

 昨夜のコンサート会場の様子が報道番組で流れていた。そこには、嬉良が映っていた。コンサートの前座を担当していた聖☆少女騎士団というユニット名とともにメンバーの1人とテロップが入っている。報道陣からマイクを突きつけられた彼女は人が変わったようにおどおどしていた。


「治安維持局の情報によると、今回のコンサート会場での催眠ガス散布事件は、会場に紛れ込んでいた管理音楽擁護派の民間テロの犯行みたいでして。

 わ、わたしも被害者なんですっ。もう一歩避難が遅れていたらと思うと――――」


 なんと見え透いた嘘をつくのか。

 リースは顔を歪め、画面に映る嬉良を睨みつけた。


「本当。こんなことをして何になるのか。被害者の方々は本当、可哀そうだと思います。一刻も早く皆様の容態が回復することを願っています」


 膝小僧に両手を添えて頭を下げる嬉良に、リースは唾を吐きかけた。


「ふっ――――ざけるなぁあっ! お前がやったくせにっ!」


「リ、リース……」


 ちょうどそこでがちゃりと病室のドアが開いた。取り乱したところを見られて気まずさをこらえながら、声がした方を見やる。そこには、思いがけない人が見舞いに来ていた。

 寺嶋優香梨だ。


「リース。大丈夫か」


 もうひとり、彼女の横には自分の穴埋めという形で入った、例の長身の眼鏡をかけた少女もいる。


「彼女はΔ愛。新しく入ってきたやつだ」

「はぁ~い! どうもっ!」

「少々賑やかなやつだが、よろしくたのむ」


 嬉しいのか腹立たしいのか。リースは内心、かなり複雑な気持ちだった。

 かつての仕事仲間だった寺嶋には、嬉良ほど危機感を抱いていなかった。むしろ、地上での仕事では何度か励まされたこともある。しかし、彼女は同時にコンサート会場に催眠ガスをばらまいた嬉良の共犯者であるのだ。


「――――寺嶋さん。あのコンサートでのこと知っていたの?」

「ごめん。全部知っていた。それでいてあたしはっ、嬉良を止めることができなかった。――――もう、あたしたちは、分かり合うことはできないよねっ。


 さようなら。リース」


 そう呟いた寺嶋の瞳は涙で潤んでいた。それを見せまいとたった二言三言だけのお見舞いを終わらせようとする寺嶋。リースはその背中を呼びとめようとしたが、かける言葉が見つからなかった。


 リースの病室をやや小走りで出た寺嶋。とぼとぼと歩くその背中を後から追いかけてきたΔ愛が呼びとめた。


「先輩。後悔なんてしてませんよね」

「な、なにをだ?」


 振り返り見上げたΔ愛の顔には、どこか不安げな様子があった。


「あなたがこっち側に残ったことです。――――寺嶋さん、余計なこと考えないでくださいよ。

 ――――今回のことは、あたしも気に入らないですけど」


「よ、余計なことってなんだ?」


 寺嶋はΔ愛の軽々しいテンションについていけないと思いつつも、あのゲームセンターでの本気のダンス勝負から、どこか信頼のようなものを寄せていた。だが、“余計なこと”という表現が少しひっかかった。


「いいえ。何でもないんです」


 メガネに手を添えて位置を調整する仕草をする。

 なにかをごまかして押し殺したかのようにも見える。が、そのあとはいつもの屈託のない笑みを愛は浮かべた。

 寺嶋はそれを見て少し安堵する。


「そうか」

「――――先輩。あたしの味方でいてくださいね」


*****


 その翌日、リースとムンクは無事に退院した。


「これでまた一緒に歌えるね」

「う、うん……」


 病院を出たところで、星羅と美那が嬉々として話しかけてきた。ふたりは自分の退院を心から喜んでくれているようだった。から返事で答える。――――素直に喜ぶことができない。自分はただの薄汚い管理音楽のスパイだと言いうのに。

 それに、喜ぶことなんか出来やしない。入院中もずっと父から連絡がなかったのだ。父と音信不通になってから一週間が過ぎようとしていた。おかしいとしか言い様がない。だが相談する気も起らなかった。相談すればきっとぼろが出る。自分がスパイということがバレれば、今の関係は確実に崩壊する。――――それこそ、リースは耐えられなかった。


 この日は病み上がりの特権で、リースは早退した。

 家まで送ろうかとムンクには言われたが、丁重に断った。地上からシェルタリーナに足しげく通っては、自由な音楽に浸る者もいる。しかし、彼やICのメンバーに身の上がバレるのは避けたかった。

 なんとか丁重に断り、家にひとりで帰る。自分の家のドアの前で静かに期待する。今日こそ返事があることを。


「ただいまぁ!」


 無理して大きな声を出したが、廊下に虚しく反響した。自分の胃酸でひび割れた喉をおさえながら、肩を落とす。靴を脱ぎ、病院帰りのキャリーバッグを引きずりながら、とぼとぼと自室に向かう。灯りもつけずにベッドの上、部屋着にも着替えず寝転ぶ。いつもの癖だ。そのままジーパンで寝てしまうことも多々ある。

 ふと自分の机を見やると傾いた西陽に照らされて見慣れない小包が置いてあった。内心少し気味悪くもあった。鍵を閉めて留守にしていたはずの家の中に届いていたのだから。


「なんだろ……?」


 不審に思いながら、その小包を開ける。

 中にはまず手紙が入っていた。それを恐る恐る開ける。


“退院おめでとう。 友見坂嬉良より”


 その差出人を見たとたん、全身が震え上がった。もっとも名前を見たくない人物だ。

 それより、なぜ彼女が自分の家の場所を知っているのか。自分が家を空けている間に、鍵を開けて、自分の家の中に入ったのか。考えただけでめまいが襲う。

 視界の中で二重にも三重にもぶれるが、悪魔のプレゼントの中身を震える手で確認する。――――またタバコだった。ご丁寧にジッポライターまで添えてある。


 手がそれを捨てようと乱暴に動く。箱が潰れるほどの力でがしと掴んだそのとき、その下に写真が置いてあった。写っていたのは待ちわびた父の姿だった。

 しかし写真の中の父は狭い部屋に幽閉され、うなだれている。脂ぎった髪、伸びっぱなしの無精ひげ。父の変わり果てた姿だった。

 写真を手に取り、口をあんぐりとあけ、その場にへたりこむ。窓から射し込む西陽の鋭い光が写真の裏に書かれた文字を浮かび上がらせた。

 裏返して文字を目で読む。


あんたが あたしの さしいれを すてたから こうなったんだよ

ちゃんと すわなきゃ だめだよ

ちゃんと すわないと おとうさん どうなるか わからないよ

あんたは いいね こんなすてきな おとうさんがいて

あんたは いいね あんなすてきな ともだちがいて

あんしんして ぜんぶ ぜんぶ おなじにしてあげるよ

あたしと おなじように ぜんぶ なくしてあげるよ


「いやぁああっ!」


 気が狂ってしまった。わけのわからない奇声をあげ、タバコの箱を壁に投げつける。

 肩で息を数回したあと、すべてを忘れたくなり、ベッドの布団をめくる。

 さらに叫びたくなった。布団の下には大量のタバコの箱が置いてあったのだ。何個かはその上に自分が乗ったからか、箱がつぶれている。


 自分の心臓がその箱のようにぐしゃりと潰される感覚に襲われる。心臓が潰される。誰かの手に握りつぶされる。頭の中でそいつの笑い声が聞こえる。


「いい子になりなよ。このファザコン」


 そいつの背は自分より高く、手足も長く逞しい。羽交い絞めにされれば、まず自力では抜け出せない。


「お父さんが大事なんでしょ? だったらちゃんと吸わないと。そうしないと、本当に殺しちゃうかも」


 そいつは震えるリースの手にタバコを握らせ、口元に押し付けた。そして火をつける。


「さあ、吸いなさい。大丈夫、気持ちよくなれるからさ」


 息を吸い込んだ瞬間、得体の知れない苦味が口の中に広がり、したがピリピリとしびれた。喉がひび割れるのを感じる。頭がくらくらする。


「げほっ! えっほ! ――――うぇえ」


 ようやく治った嘔吐きがぶり返し、タバコの火を落としてフローリングを焦がしてしまう。慌てて上着を叩きつけて火を消す。その様子をそいつは笑いながら見下ろしていた。


「大丈夫。慣れていけばいいから。さあ、もう一本吸いなさい」


 せせら笑う悪魔の声がリースの頭の中を反響する。

 膝をついてがくがくと震え、はっはっと犬のような息をする。心臓から鋭い棘が伸びて身体じゅうをずぶずぶと突き刺すような感覚に襲われた。

 悶えるリースを嬉良の幻影が、指をさしてけらけらと笑っていた。


*****


 テレビの画面に、帽子を被った少女が映し出される。彼女にマイクが突きつけられ、チカチカとカメラのフラッシュがたかれている。しかし、それは地上で報道される全国放映のものとは違い、記者も数人程度しかいない。


「いい演技をするな。嬉良……」


 惚れ惚れするように漏らす家康。

 エデンの中枢で再び家康と嬉良は密会をしていた。


「あれぐらい楽勝です。演技の真髄は心を無にすること。――――あたしには罪悪感のひとかけらもありません。他の腑抜けたザコどもにはない、あたしの唯一の特技です」

「いいこだ……。嬉良、お前をプロデュースできることを誇りに思うよ」


「いいえ。とんでもございません。これより、次のフェーズに移ります」


 嬉良はスカートのポケットからタバコの箱を取り出した。

 リースの家に大量に送り付けたものだ。それを見て家康はにんまりとほくそ笑む。

 

「あの潜り込むだけ潜り込んでおいて、なんにもしない能無しに、こいつを吸ってもらいます。あいつはファザコンだから、父親が人質の今、思い通りに墜ちてくれます。――――あとは、これがあいつの身体と心を蝕み、ぼろぼろにするのを手をこまねいて待つのみです。


 辻井リース。彼女がなじんだ今、彼女を壊せばICは崩壊します」


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