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「おい、見ろよ。あの白竜。」
「ああ、今あの人が報告に来てるんだよ。先日の戦争の最大の功労者だ。かの国では今や英雄扱いらしいぞ。」
「さすがだよな。1人で指揮官を討ち取ったんだろう。俺は竜から飛び下りて戦うなんて怖くて無理だ。」
「なあ、あの噂、どう思う。」
「あの白竜が喋ったってやつか。」
「そうそう、この前の任務でさ、一緒に参加していた竜使いが声を聞いたって噂じゃないか。」
「どうかなあ。白竜ではあるけど、別に見た感じ普通の竜だしな。眉唾だと思うけど。」
「でもさ、本当だったらまずいよな。」
「ああ、いくらあの人でも…だな。」
ここは竜と竜使いの管理機関総本部。
石造りの大きな建物に囲まれた中庭で、私はマスターを待っていた。
任務を受けるのも、任務後の報告も、ここに来て行う。
そのため、ここに来ると必ず他の竜や竜使いを見かける。
私の目の前でヒソヒソと雑談している二人組も竜使いのようだった。
その二人組以外にも、そこかしこから遠慮のない視線を感じた。
これまでの任務の報告よりもずっと長い時間が経って、ようやくマスターが建物から出てきた。
マスターは私の側に来て、笑顔で言った。
「ごめん、待たせたね。じゃあはちみつプリンを食べに行こうか。」
いつもと同じ笑顔で、いつもと同じ口調で。
それでも私にはわかった。
マスターは、とても疲れていた。
恐らく建物の中で何かあったのだろう。それも、私に関することで。
竜と竜使いは寝食を共にするという習わしがあり、今もほとんどの竜と竜使いが一緒に住んでいる。
そのため竜使いの家は竜に合わせて作ってあり、私とマスターの家も一緒に住めるようになっている。
はちみつプリンを購入し、家に帰る。
マスターは慣れた手つきで手早く紅茶を入れ、はちみつプリンと一緒に私の前に置いた。
「はちみつプリン、新作だって。レモンをアクセントに入れてみたって言ってたよ。」
「マスター。」
「紅茶熱いから気をつけてね。」
「マスター。」
「あ、ごめん、プリンの蓋開けてあげるね。」
「マスターッ。」
私が大きい声を出すと、マスターは黙った。
そして、とても優しい笑顔で私を見上げた。
マスターの瞳の中には、情けない顔をした白い竜が写っていた。
「噂に、なっているんでしょう。」
「…。」
「私が喋ったのを聞かれてて、噂になっている。どんどん広がっているんでしょう。」
「別に、噂は噂でしかないよ。」
「私がマスターの言いつけを破ったからっ。」
堪えきれず涙が溢れる。マスターの姿が涙に滲む。
「エグッ…言いつけを破って、他の人がいるところで、グズッ喋っちゃったから…だから…。」
あの時、戦場でマスターの背後から魔法を放とうとしている魔導士を見て、私は叫んでしまった。
幸いマスターは魔法を避けて、魔導士を倒した。
ほっとしたのも束の間、周りを見ると数人の竜使いが私を凝視していた。
マスターは何も言わなかった。
でも、とてもまずいことになってしまったのはわかった。
それでもなんとか任務をこなし、ようやく帰宅して今に至る。
紅茶の湯気が薫る中で、マスターはグズグズと鼻をすする私を見て溜め息をついた。
ああ、きっと嫌われた。こんな馬鹿で愚かな竜など嫌われて当然だ。
マスターは立ち上がって、私の側にきて、手を上げた。
ぶたれる…。
思わず目をつむった私に、しかしマスターはそのまま手を私の首に回して抱きついてきた。
マスターの予想外の行動に、私は驚き、硬直した。
「ありがとう。」
なぜかお礼を言われた。
なぜ。そこは怒るところではないのか。責められて当然のはずなのに。
「君のおかげで助かった。あの時本当に気付いていなかったんだ。君が教えてくれなければ、魔法を避けられなかった。」
それは、マスターに危機が迫っていたから、マスターを助けたくて咄嗟にに叫んでしまったから。
「君が僕を助けてくれた。だから、ありがとう。」
この人は、どうしてこうなんだろう。
なぜこんなにも優しいのだろう。
竜使いとして、竜を甘やかしすぎではないか。
涙が溢れて止まらない。
「…マスター。」
「うん?」
「マスターが好きです。」
「うん、知ってる。」
マスターは嗚咽する私の背中をさすってくれた。
ひとしきり泣き終わり、少し落ち着いた私は、マスターの隣に並んで座った。
マスターは私にはちみつプリンと紅茶を勧めた。
しかし、私は首を振った。
「食べられません。」
「どうして。」
「マスターの言い付けを破りました。はちみつプリンはお預けのはずです。」
「もう、君は頑固だね。君が食べるまで僕も食べないよ。あーあ、早く食べたいな。甘い物は久しぶりだから、楽しみにしてるのに。」
マスターはどこまでも優しくて、また涙が滲んでくる。
私ははちみつプリンを口に運んだ。
マスターが淹れてくれた紅茶はすでに冷めていたし、はちみつプリンは少ししょっぱい味がした。
「マスター。」
「うん。」
「これから、どうなるんですか。」
「どうなるのかな。」
「…どうするんですか。」
「君を守るよ。」
「…答えになっていません。」
「どうして。これが僕の唯一ひとつの答えだよ。」
マスターはそう言って微笑んだ。
マスターの笑顔が見られて嬉しいはずのに、今日は素直に喜べなかった。
マスター。私はそんなの嫌です。ただ、あなたに守られるだけなんて、嫌なんです。
あなたの隣で、あなたと一緒に戦いたい。
ただ、それだけなのに。
◆
次の任務は、海に面した国の魔物の討伐だった。
大した軍隊を持たない農業中心の国が、各地の村を荒らす魔物に手を焼いて、竜使いに依頼するに至ったらしい。
魔物の討伐自体は難しい物ではなく、私とマスターは魔物の住処ごと殲滅した。
国の偉い人からなぜかしつこく泊まって行くように言われたが、マスターは丁重に断った。
「うわあ、マスター見てください。海ですっ。キラキラしてますっ」
帰路の途中、休憩をとった海岸でのことだった。夕焼けが海を染め、波しぶきが光り、幻想的な景色だった。
「ああ、綺麗だね。」
「マスター、海の向こうには何があるのですか。」
「こことは違う大陸があると言われているよ。」
「言われてる?」
「何人もの人間が船で大陸を目指したが、誰も帰ってこなかった。向こうの大陸からも渡ってきた者もいない。だから、本当にあるかどうかはわからないんだ。」
「じゃあどうして大陸があると言われてるんですか。」
「ときどき漂着物があるんだよ。この大陸の言語ではない言葉で書かれた書物や、中には見たこともない地形の地図なんかがね。」
「それならやっぱり別の大陸があるんですよ。この土地の力が全く及ばない、未知の土地が。」
「そうだね。」
「ねえ、マスター。船では無理だったかもしれないけど、竜で飛んでいけば行けるかもしれません。向こうの土地で、マスターが畑をして、私が狩りをして、のんびり暮らすんです。」
「それはいいね。庭で鶏と山羊を飼って、おやつの時間には君のためにはちみつプリンを作ろうか。」
「わあっ、毎日はちみつプリンが食べられるなんて、夢のような生活ですね。」
はしゃぐ私を見て、マスターは一瞬苦しそうな顔をした。しかしそれを打ち消すように笑った。
「本当に、そうだね。夢のようなことだね。」
「マスター…。」
マスターの儚い笑顔を見ていると、なんだかマスターが消えてしまう気がして、私は思わずマスターに縋り付いた。
マスターは「どうしたの、今日は随分と甘えん坊だね。」と言って、頭を撫でてくれた。
太陽が海に落ちるまでの間、私たちはそうして過ごした。
何かの気配を感じて、私は飛び起きた。
月はまだ高く、日の出まで数時間はある。
その日、私とマスターは森の中で野宿をしていた。慣れたもので、晩御飯を食べると二人寄り添ってすぐに寝入った。
しかし、夜中に何かの気配を感じたのだ。
周りを見渡す。
木々で遮られ姿は見えないが、複数の気配に囲まれている。いずれも悪意を持ってこちらを意識しているようだ。
隣をみるとマスターはすでに荷物をまとめ、臨戦態勢に入っていた。
「8、9、10人か。他にも潜んでそうだけど、どうするかな。」
マスターはつぶやくが、私はとりあえず黙っておくことにする。他人に囲まれている状況では喋ってはいけない。先日のことで本当に懲りたのだ。
マスターは私の背に飛び乗った。
「ひとまずは逃げよう。飛ぶよ。」
マスターの掛け声に合わせて私は飛んだ。
相手が山賊などなら、飛んで逃げれば追いかけてこれない。そうして盗賊や山賊を撒くことはよくあることだった。
しかし、今回は違った。
空に飛び上がり森を見下ろすと、森の中から複数の竜が飛び出てきた。
慌てて別の方向に舵を切って飛ぶが、相手の竜たちも追いかけてくる。どの竜にも人間が騎乗し、手綱を握っていた。
「竜使い、か。」
マスターが極めて冷静な声で呟いた。
なぜ冷静なのか、全くわからなかった。竜使いはマスターが所属する機関にしか存在しない。つまり、あの竜使いは身内ということだ。
「なぜ、竜使いが襲ってくるのですっ。今回の任務だって、これまでだって、失敗したことなど一度もないのに。」
「今回の任務がそもそも仕組まれてたんだよ。しつこく泊まるように誘われたのも、なんだか嫌な感じがしたからね。」
「だから、どうして私たちが仕組まれなきゃいけないんですかっ。」
そこまで言って、気付いた。
「まさか…私が喋ったから…?」
「はいはい、お喋りはそこまでだよ。もっと速度を上げないと、追いつかれる。」
背後が光った。
慌てて旋回すると、横を灼熱の炎が通り過ぎる。竜のブレスだ。
「マスターッ。」
「逃げるよ。数が多過ぎる。ブレスも避けてくれると尚のこといいけどね。」
マスターが何事か呟き、腕を振り下ろす。魔法で作り出された球が、高速で1人の竜使いに命中する。
竜使いは竜から落ち、落下する竜使いを追って竜も森の中に消えていった。
それでも一体少なくなっただけ、まだ複数の竜と竜使いが追いかけてくる。
また、背後が光る。
再度旋回すると、読まれていたのかさらにそこにも炎が飛来した。
避けられないっ。
が、炎は私に当たる前に見えない壁にぶつかり、飛散する。どうやらマスターが魔法で防護障壁を展開していたようだった。ホッとして飛行を続ける。
「熱っ…ふう、これは参ったね。」
マスターは特に参ってなさそうにため息をつく。
うん、大丈夫だ。マスターはいつものマスターだ。きっとなんとかなる。
しばらくはときどき飛んでくる炎を避けながら、ひたすらに飛行した。
そうこうしているうちに海に出てしまった。
夜の海は静かだった。月の光を反射してキラキラしていた。
マスターの顔を見れば、「そのまま飛んで」と言われる。
よし、と意気込んで速度を上げようとした、そのときだった。
突如、圧倒的な威圧感を感じた。
私は考えるより早く、本能に従い空中に停止した。
ふと暗くなって上を見上げる。
上空には巨大な影と見紛うような、漆黒の何かがいた。
真っ黒な体躯の、大きな黒竜だった。
異常、とまで言えるほどの威圧感を放ち、黒竜はゆっくりと私たちの前に立ち塞がる。
頭の中でうるさいほどに警鐘が鳴り響く。
この黒竜はまずい。恐らく戦っても勝ち目がない。
原初の恐怖とも言える感情が湧き出し、油断すれば身体が震えそうだった。
本来、黒竜は白竜と同等の力を持つ竜だ。しかしその黒竜は私よりもずっと大きな体格で、ずっと強大な力を感じた。
黒竜がバサリと翼を広げた。それだけで強風が巻き起こる。
私はこのとき黒竜からの威圧に完全に萎縮してしまっていた。思考回路が停止していた。
黒竜が口を開く。喉の奥が光る。
だから。
気付いた時には、黒竜の尋常じゃない威力のブレスが目前に迫っていた。
停止していた思考が急激に動き出す。
炎は目前。回避はできない。このままの体制だと、マスターが炎に包まれる。
マスターは私が守ります。
そう決めたはずだ。
恐れるな。マスターを守れ。動け、私の体!
「マスターッ。」
私は体を捻って左翼でマスターを包むこむようにして、強大な炎を受け止めた。
ゴオオォォォォォ……。
体の左半分がジリジリと灼かれる。
マスターが私の名前を叫んでいるのが聞こえた。
マスターを庇いながらもなんとか態勢を立て直し、ブレスの範囲から脱出した。
黒竜から距離を取る。
マスターを見る。良かった、無事だ。
しかしマスターは、悲痛な顔をしてわたしの体を見ていた。
左翼と左半身が焦げて黒くなっていた。
左翼が上手く動かない。というか感覚がほとんどない。体がチリチリと痛む。頭がぼんやりする。翼は動かすたびに激痛が走り、意識を失いそうだった。もう長時間飛行するのは難しそうだ。
「まさか貴方が出てくるとは思いませんでしたよ。」
マスターは、どうやら黒竜に騎乗する人間に向けて話しかけたようだった。
マスターの声に初めて焦りが滲んでいた。
他の竜も追いついてきて、私たちを取り囲む。
対峙していた黒竜に騎乗する、黒髪で長髪の男がにやりと笑った。
「竜使いであれば、誰もが一度は夢見る伝説だ。私が夢を見ては、おかしいか。」
「夢は寝てるときだけにしてもらえると、ありがたいですね。」
そしてマスターは小声で私に話しかけた。
「海中に飛び込んで、潜るんだ。」
私は驚いてマスターを見た。竜とはいえ水中では息ができない。人間は言わずもがな、だ。しかしマスターは、いつもの優しい表情で私を見ていた。
大丈夫だ。
根拠もなくそう思った。
羽を折りたたみ、落下する格好で海中に飛び込んだ。
上から男たちの怒鳴り声や、ブレスなどが追ってくるが、水中にまでは届かない。
海水が傷に染みるが、文句を言っていられない。
飛び込んだ勢いで深い所まで潜って、そして目を開けた。
マスターは水中で停止した私の前に、布を広げていた。
先ほどの攻防でマスターも無事という訳にはいかなかったようで、服は焦げ、手足に傷を負っていた。
大きな布には魔法陣のようなものが描かれていた。マスターが布をトントン叩けば、魔法陣が光りだした。
マスターが私の首に掴まり、魔法陣を指差す。
ここまできて、迷う余地はない。
私は魔法陣に向かって勢いよく飛び込んだ。
白い光が視界を覆い、あまりの眩しさに意識が遠くなっていった。
マスター。
貴方を信じています。
貴方がとても大切です。
マスターのためならどんなことでも頑張れる。
どんな痛みにでも耐えられる。
だから、マスター。
私をずっと側に置いてください。
どうか、私とずっと一緒に、生きてください。