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私は油断していた。
かみさまに言葉を貰ってから、全てが上手くいっていた。
マスターとたくさん話ができた。
マスターの笑顔を取り戻せた。
マスターの好きなものをたくさん増やせた。
マスターに告白できた。
マスターにも好きだと言ってもらえた。
だから、きっとこの先もずっと、マスターと私と笑って過ごせるのだと、疑うこともなく信じきっていた。
油断、していたのだ。
この世界はそんなに易しいものじゃない。
そんなこと、知っていたはずなのに。
私はすっかり忘れて、浮かれていた。
◆
任務の内容によっては、時にはマスターと別々に行動しなければならないこともあった。
マスターは単独でも優れた戦士であり、魔導士であった。
今回の任務はとある王宮に囚われた人間に接触すること、らしい。
私が囮として兵を引きつけてる間に、マスターが単身で王宮に潜入して任務を遂行することになった。
いくら私が暴れても、マスター1人で潜入するなんて危険すぎる。
だが、竜にとって竜使いの命令は絶対である。
私は言葉を飲み込んで作戦どおりに暴れた。
王宮は混乱した。
私は野良竜を装い、建物の端っこを壊したり、空に向かってブレスを吐いたりした。
単独行動しているマスターが城のどこにいるかわからない。
直接的な被害があまり出ないように、でも城の兵たちを引きつけられるくらいに、飛び回った。
そのうち城の兵たちがわらわらでてきて攻撃を始める。
矢が射られ、砲弾を打ち込まれた。
反射能力・身体能力共に優れている白竜の私でも、雨が降るように飛んでくるそれらを全て避けることはできない。矢がパチパチと、砲弾がズシンと体に当たる音がした。
矢は硬い鱗が弾いてくれるが、砲弾は当たると少し痛い。
それでもマスターのために1人でも多くの兵を引きつけたかった私には、少々の痛みなどなんでもないことだった。
その時。
ドオォォ。
城の一角、私がいる位置から少し離れた場所で、爆発音がした。
音がした方を見ると粉塵が舞い、煙が上がっている。
爆発が起こるなんて、マスターの計画の中になかった。
不測の事態が起こったのか、マスターの身に何かあったのか。
悪い方へばかり思考がまわり、すぐにでもマスターの側にかけつけたい衝動に駆られる。
でも、ダメだ。マスターの指示は絶対だ。
私はマスターに指示された時間いっぱい暴れ回り、予定どおりの方角へと飛び去った。
「ハアッ、ハアッ、ハアッ……。」
「マスター!」
数刻後、マスターと決めていた集合場所に急いで飛んだ。
マスターは大木の幹に寄りかかり、荒く浅い呼吸を繰り返していた。
臙脂色の服や手には血がべったりと付き、乾き始めていた。
虚ろな眼をしてうつむいてたマスターは、私に気付くと顔を上げ、弱々しく無理矢理微笑んだ。
「やあ、怪我はないかい。」
「私は大丈夫です。マスター、すぐに治療を。」
「問題ないよ。ほとんどが返り血さ。」
「でも、腕に矢傷が……。手当てをさせてください。」
「……わかったよ。」
治療が終わっても、マスターはしばらくそこから動かなかった。
私も急かすことはせず、マスターの側に腰を下ろし、黙っていた。
マスターは長い時間じっと自分の掌を見ていた。
思いつめたような、呆然としたような、そんな表情だった。
どれくらいの時間をそうしていただろうか。
マスターがポツリとつぶやいた。
「今日もまた、生き残ってしまったな。」
それは、悲しい言葉だった。
「たくさんの罪もない人を殺し、生き残ってしまった。」
「……マスター、大丈夫ですか。」
「傷は浅かっただろう。もう血も止まっている。」
「腕の傷のことじゃありません。あなたが、心配なんです。」
「フフ……。」
マスターは泣きそうな顔で笑った。
「マスター?」
「初めて君が喋った時も、そうだった。
君はいつも僕の心配ばかりしているね。」
「私はずっと、苦しんでいるマスターの力になりたかった。
だからずっとかみさまにお願いをして、ようやく言葉をもらったんです。
でも、なのに、結局マスターの苦しみを拭えない。変わってあげられない。」
「いいんだよ。そんなことで君が悩むことはない。僕には救われる権利なんてない。」
「そんなことありませんっ。」
「……。」
「そんなこと、あるはずがない。マスターはたくさんの権利を持っています。
苦しみから救われる権利、笑う権利、そして幸せになる権利。」
「……君は本当にいい子だね。」
「茶化さないでくださいよ。」
「茶化してなんかいないよ。
ありがとう。君がいてくれて本当に良かった。」
マスター。
どうか、いなくならないで。
私はマスターがこの世界にただ居てくれるだけでいいんです。
◆
その日の夜、私は夢を見た。
マスターとの待ち合わせ場所に急いで飛んで行ったが、そこにマスターの姿はなかった。
私はマスターを待った。
やがて夜になり、朝になったが、マスターは来なかった。
さらに何回か夜と昼を繰り返したが、マスターが来る気配はなかった。
夢だからか、都合よく任務の日当日に時間が巻き戻る。
あのとき、爆発が起きたとき、マスターは爆発に巻き込まれて傷を負い、動けなくなっていた。
床に倒れこんだマスターを城の兵士が囲み、剣の刃先を向ける。
マスターは絶望に顔を歪めて、何かをつぶやいた。
何をつぶやいたのだろう。聞こえない。
私は注意深く耳を澄ませ、マスターの口元を見た。
マスターはつぶやいた。
それは、私の名前だった。
マスターは、絶体絶命の状況で、私を呼んだのだった。
城の兵士が剣を振りかぶる。
やめてっ。マスターを殺さないでっ。
言葉にならない悲鳴を上げて、私は飛び起きた。
周りを見渡せば、隣に寝袋にくるまって眠るマスターがいた。
「夢か……。」
そう、ただの夢だ。マスターはちゃんと待ち合わせ場所に来てくれた。
マスターが死ぬわけない。
なのに、なぜこんなにも不安なのだろう。
呼吸が安定せず、心がぎゅっと押しつぶされそうになる。
あのとき、爆発が起きたとき、私はマスターの計画どおりに敵をひきつけ、待ち合わせ場所に向かった。
今回は、確かにそれでよかった。それで上手くいったのだ。
しかし、もし爆発が起きたときにマスターが重傷を負っていたら、どうだったろう。
マスターは兵士に囲まれ、殺されていた。
私が駆けつければ、助けられたかもしれなかった。
私の行動は、本当に正しかったのだろうか。
マスターの身ににもし何かがあれば、マスターの指示通り動いても意味がない。
マスターがいなければ、この世界など何も意味がないのだ。
◆
次の任務は戦争の仕事だった。
強力な魔導士をたくさん抱えた国と、産業が発展した国との戦争だった。
産業が発展した国は、その豊かな財力で竜使いを雇い、隣国と戦争することにしたのだ。
私とマスターは、戦場の最前列に派遣された。
「ほら、草原の向こうに見えるのが向こうの軍隊だよ。」
「はい……。」
「魔術を多用してくるから、気を付けて。君なら多少当たっても大丈夫だと思うけど、なるべく避けてね。」
「はい……。」
「あと今回は僕たち以外の竜使いも参加するから、合流したらおしゃべりは禁止だよ。」
「はい……。」
「……。この任務が終わったら、はちみつプリンを食べに行こうか。」
「はい……。」
「……。」
私はあれからずっと不安を抱えていた。
どうすればマスターを護れるか、そればかりを考えていた。
ポンポン。
急に首のあたりを優しく叩かれる感触があり見下ろすと、マスターが困ったような笑顔で私を見上げていた。
「どうしたの。珍しいね、君に元気がないだなんて。」
「マスター。」
優しいマスターの顔を見て、私は泣きたくなった。
「マスター、私がもし、マスターの指示に背いたら、どうしますか。」
「そんなことはありえないと思うけど。」
マスターはそれでも私の顔を見て、続けた。
「そうだね。もしそんなことが起こったら、はちみつプリン1回おあずけ、かな。」
そう言ってマスターは笑った。
この人はそうだった。私が指示に従っても背いても、きっとなんでも許してくれるのだ。
「マスター、私がマスターを護りますからっ。」
「急にどうしたの。」
それでもマスターは、少し前の任務を思い出したのか、それ以上追及せずに首を撫でてくれた。
「さあ、他の竜使いが来たようだ。おしゃべりは一時中断だよ。」
「は…(あ、しゃべったらダメだった。)。」
「はい、よくできました。」
任務は予想よりずっと困難を極めた。
もちろん竜の圧倒的な力は魔導士にも有効で、戦況は自分たちの陣営が有利な状況ではあった。
しかし、魔導士の魔術と洗練された連携戦術を前に、攻めきれずにいた。
私はマスターを乗せたまま他の竜と一緒に空を舞う。
炎のブレスを吐きかけるも、向こうの魔導士が対炎バリアを展開し、あまり効果がない。
「竜を狙うな。竜使いを狙え。」
かすかに向こうの魔導士たちの指揮官が叫ぶ声を聞いた。
私は嫌な予感がしてすぐさま上空に旋回した。
その直後、先程まで隣にいた緑色の竜と竜使いが巨大な炎に包まれた。
「うわああああああっっ…。」
緑竜は少しダメージはあるが、大丈夫だろう。しかし、巨大な炎に竜と一緒に包まれた竜使いは瞬時に消し炭になる。
マスターと同じ臙脂色の制服に身を包んだ人間が、炎の中でもだえ苦しむ様子を見て、ぞっとした。
巨大な炎の魔術は次々と飛んでくる。
さらに別の赤竜と竜使いが炎に包まれた。
私はとっさにマスターを振り落とそうとした。炎を避けきれなかったら、マスターが死んでしまう。
しかしマスターは手綱をぐっと握りしめて引っ張った。
「ダメだよ。」
それでも次々炎が飛来する。このままでは全てを避けきれない。
「僕の言う通りにして。まず2時の方角に高度を下げて飛ぶんだ。君の最高速度でね。」
マスターの落ち着いた声により少し冷静さを取り戻した私は、マスターの指示通りに地面すれすれに飛んだ。
私を追いかけるように炎が飛んできて、草原を燃やす。
雨が少ない乾燥した地域であったため、草原はたちまち燃え上がった。
魔導士軍隊と私たちの間に炎と煙の壁ができ、相手が見えなくなる。つまりそれは、相手からもこちらが見えていないということだ。
「敵の背後に回り込むよ。戦争というのはね、頭を取った方が勝ちなんだ。」
炎の攻撃が弱まった隙に私たちは敵の陣営になだれ込んだ。
他の竜使いも私たちに追随し、敵を引き付けてくれている。
「あの陣営に指揮官がいるな。あの陣営に高度すれすれで飛んでくれるかい。」
マスターが指した少し小高い丘にある陣営に向かって飛んだ。陣営の上空までくるとマスターは急に私から飛び降り、剣を抜いた。
魔導士たちは突如飛来した戦士に対応できず、右往左往している。マスターは魔導士たちが呪文の詠唱を行う暇を与えず、尋常じゃない速さでなぎ倒して行った。
ほんの数分で指揮官とおぼしき人物を打ち倒し、陣営を破壊した。
マスターは強い。
私の心配は杞憂だった。
マスターの指示に従っていれば、なんの心配もいらないのだ。
私はぐるっと旋回して、マスターを迎えに行くために破壊された陣営がある丘へと向かった。
丘の上でマスターが私に手を振っている。
よかった。無事だ。
そのときだった。
マスターの背後で何かが光った。
頭から血を流している魔導士が、マスターを睨みつけて魔法を打ち出すところだった。
魔導士の掌が光っている。呪文の詠唱もすでに終わっている。
私が今からブレスを吹いても間に合わない。
マスターはまだ気付いていない。
魔導士は指揮官の陣営に配備されるくらいの使い手。強力な魔法を放つのだろう。
先ほど炎に包まれた竜使いの姿が脳裏に蘇る。
私は、叫んだ。
「マスター、後ろっ。危ないっ―――――」
『決して他の人間の前で、話さないこと』
この日、私は生まれて初めてマスターの言いつけを破った。
それが、どのような災いを呼び寄せるか、何も知りもせずに。
終わりのときは、もうすぐそこまで近づいていた。