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白竜の恋心  作者: ロビン
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 『私』としての自我が芽生えたとき、私は深い暗闇の中にいた。

 手を伸ばしてもすぐに硬い壁にぶつかる。気付けば壁に囲まれた狭い場所にぎゅうぎゅうに押し込まれていて、身じろぎひとつできなかった。

 何も視えず、何も聞こえない。

 私はどうすることもできず、闇に怯えながらじっとしているしかなかった。

 どれほどの時間そうしていただろう。


 ふと、何かが聞こえた気がした。


 目の前の壁に触れると、あれほど頑丈に思えた壁が、なぜだか今なら壊せるような気がした。 

 暗闇の中手探りで、体の周りに張り巡らされた硬い壁を力任せに打ち破る。


 途端に、眩しい光が目を焼いた。


 あんまり眩しかったものだから、とても恐ろしくなり、ぎゅっと目を瞑って身を竦ませる。

 そうすると、そんなふうに縮こまった私を労わるように、とても暖かいものが体に触れた。

 冷たい皮膚がゆっくりと暖められ、それがなんだかとても気持ち良かったから、本当に恐る恐る目を開けた。

 目の前には嬉しそうに私を見つめる鳶色の瞳の少年がいた。


「初めまして、僕の愛し仔。生まれてきてくれて、ありがとう。」


 少年はそう言って、それはそれは幸せそうに笑うものだから。

 私はこの世界に産まれたばかりだったのだけれど、なぜだかとても安心したのだった。



 私の中の一番古い、優しい記憶。

 それは、恐らく一目惚れだったのだと思う。


 あなたと初めて会ったこの瞬間、私はあなたに恋をした。



 ◆



 竜と竜使い。

 その歴史は古く、歴史の要にはいつも必ずと言っていいほど竜使いの存在がある。

 私と少年はあの日、竜と竜使いとして出会った。

 出会った時、私はまだ竜の赤ちゃんで、少年は竜使いを目指す一番年若い候補生だった。

 竜と竜使いは共に育ち絆を結ぶ。

 そういう習わしであったため、私と少年はいつも一緒だった。

 私は少年のことが大好きで、少年はいつも私に優しかった。

 私と少年を取り巻く環境は易しいものではなかったが、竜の中でも珍しい白竜であった私と何をやっても人並み以上に優秀だった少年にとっては取り立てて問題とはならなかった。

 私が初めてブレスを吹いた日、少年が初めて武術の教官を負かした日、私が初めて少年を乗せて空を飛んだ日、少年と初めて演習に臨んだ日。

 私と少年はいつも共にあった。



 ただ一つ問題があった。

 私は少年が大好きであったのに、それを直接少年に伝えることができなかったのだ。


 竜は人語を話せない。


 人語を解するし、心の中では多弁であるのに、どうしても人語を発声することはできなかった。

 私はこんなにも少年が好きなのに、少年には伝わらない。

 少年が苦しい時に励ましの言葉をかけることも、嬉しい時に喜びの言葉をかけることも、できなかった。



 ◆



 やがて月日は経ち。

 少年が青年になり、私は赤ん坊から成竜になった頃、少年は正式に竜使いとして認められた。


「今日から正式に君のマスターになった。これからもよろしくね。」


 竜使いの真新しい制服に身を包んだ少年にそう言われ、私は少年のことをマスターと呼ぶことに決めた。

 マスター。私のマスター。

 うん。いい感じだ。


 それから私とマスターは、竜使いとしての任務に励んだ。

 任務のほとんどが街を壊したり、軍隊を壊滅させたりするものだった。

 戦場は危ないところで、弓矢や砲弾が私とマスターに向かって容赦なく飛んできた。

 マスターを守るんだ。

 私はその全部を避け、時には叩き落し、迫り来る火の粉を全て振り払った。

 マスターの指示は全て的確で、私はマスターの言う通りに動いていれば、全て上手くいった。



 ◆



 あるとき長時間飛行し疲れていた私を休ませるため、マスターは僻地にある教会に立ち寄った。

 教会の中を覗き込むと、年老いた牧師が壇上で静かに教えを説いていた。

「神様に祈りなさい。そうすればきっと願いは叶うでしょう。」


 かみさま。

 私もその存在は知っていた。見たことはないけれど、人間が信仰している万能の力を持つとてもすごい何か。

 なるほど。良いことを知った。

 私はそれから朝昼晩と日に最低3回は『かみさま』に祈るようになった。

 内容はもちろん、『マスターと話せるようになりますように』。


 しかし願いはすぐに叶わなかった。

 私は毎朝起きてすぐに発声し、「グルルル……」という竜特有の唸り声しかあげられないことを確認して、その度にがっかりするのだ。



 ◆



 私の願いは順調ではなかったが、マスターは任務を順調にこなしていった。

 最初は他の竜使いと一緒に任務についていたが、そのうち単独で仕事を任されるようになった。

 優秀なマスターと力に恵まれた白竜である私は、その任務を的確に遂行していった。

 そのときの私はマスターの指示どおりに任務をこなすことが、マスターのためになるのだと思っていた。

 そうすることで、マスターはどんどん幸せになるんだと思っていた。

 私の思惑どおり、マスターの竜使いとしての評価は上がっていった。


 だがしかし。

 竜使いとしての評価が上がれば上がるほど。

 私の大切なマスターから、笑顔がなくなっていった。



 ◆



 マスターは少年だった頃からよく笑う人だった。

 声をあげて笑うことこそあまりなかったが、いつも私を見て穏やかに微笑んでいた。

 竜使いの実習やテストは恐らくとても辛いものだったろうが、私と一緒に部屋で過ごすときはいつも私の頭を撫でながら嬉しそうに笑っていた。

 マスターが笑っていれば、私はとても幸せな気持ちになった。

 マスターの笑顔を守りたい、そのためにはどんなことでもしようと思っていた。


 それなのにマスターは任務を終えるごとに、笑わなくなっていった。

 どこか遠くを見て、じっと何かを考えている時間が増えた。

 私がマスターに甘えるように顔を擦り寄せても、苦しみを押し込めるように弱々しく顔を歪めるだけだった。


 マスターは恐らく苦しんでいた。

 それがわかっても私には何もできなかった。

 任務をこなすだけではダメなのだ。

 むしろそれがマスターを苦しめているようだった。

 白竜は竜の中でも希少で魔力も力も強い。

 だからなんだというのだ。

 マスターの悩みを聞くことも、マスターを励ますことも、マスターを守ることも、何ひとつできやしない。


 私はなんて無力なんだろう。



 ◆



「ごめんね。」


 あるとき任務で街を壊滅させた後、がれきの中でマスターと私は立ちつくしていた。

 マスターは私の首を撫でながら、最近よく見る苦しそうな顔でそう言った。

 何かが焼ける嫌な臭いが辺りに立ち込め、遠くで誰かが泣き叫ぶ声が微かに聞こえる。

 こんなところから一刻も早くマスターを遠ざけたかったのだが、マスターは動こうとしなかった。


「僕は、どうしたらいいのだろう。君を守りたいのに、こんな……。」


 そう言うとマスターはうつむいて動かなかくなった。

 肩が震えていた。

 泣いているのかもしれなかった。

 やめてください、マスター。

 私がマスターを守りたいと思っているのに、それができないんです。


「グルルル……」


 マスター、と言ったつもりが、口から出てきたのはいつもの唸り声だった。

 そうじゃない。

 そうじゃなくて。

『マスター元気を出して。私が側にいるから。私がマスターを守るから。』

 言いたいことはたくさんあるのに、唸り声しか出てこない。

 あまりにもどかしくて、胸を掻きむしりたい衝動に駆られる。


 かみさま。

 どうかお願いします。

 私の願いを叶えてください。

 声を、言葉を、私にください。

 マスターを元気にしたい。

 マスターに笑ってほしい。

 そのためには言葉が必要なんです。

 この想いを伝える言葉が必要なんです。


 私は必死で祈った。自分の中の力をありったけ祈りに込めた。

『かみさま』がこの世界に存在するのか、そんなこと知らない。

 あの年老いた牧師だって、実際に目にしたことなどないのだろう。



 だが、この瞬間、確かに『何か』が起きた。



 目の前で火花が散り、喉が捻られたように痛んだ。

 堪らず咳き込もうとして、唸り声が出ないことに気付く。

 まさか…。


「マスター。」


 マスターが驚いて顔を上げる。

 マスターの頬には涙の跡があった。やっぱり泣いていたんだ。

 マスターは私を見つめた後、辺りを見回した。


「泣かないで、マスター。」


 マスターは今度こそ私を凝視し、目を見開いた。


「まさか、君か……。」


「そうです、マスター。マスターが泣き止まないから、かみさまが私に声をくれたんです。」


「これは……驚いた。こんなことが……。」


 驚いたのは私も同じだった。

 あの老牧師が言ったことは本当だったのだ。



 かみさま、かみさま、心より感謝します。

 マスターの涙を止めることができました。


 これからは、私がマスターの笑顔を守ります。




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