ロイス・オズフェル
ルビーさんと夜会へいく約束をしたが、重大なことを思い出してしまった。
夫、ロイスに夜会へ行っていいか許可をとってない!
ロイスは、あの女については私に任せると言っていた。しかし、夜会となると話は別だ。
しかも、私は愛人を伴い参加しようとしている。愛人の連れ回しは顔を顰められても仕方がない。同性同士だから、貴族たちは、またお遊びをやっていると思うだろうがロイスはどう思うだろう。変な気高さを持つ、愛しい夫。ロイスに嫌われたら、すごく嫌だ。
どうか、ロイスが快諾してくれますように。身勝手とわかっていながら祈らずにはいられない。
晩餐は、家で一番広い応接間で行われる。
豪気なシャンデリア。騎士物語を題材にした荘厳な天井画。純金の燭台に、質の高い革を使った椅子。樫の木を使った滑らかな机。
その机にのっている皿は一級品で、ナイフやフォークまで特注されたもの。料理は、いっぺんに出されるので、人が二人で寝転んでも余裕がある机には沢山の皿がのっていた。
「だめ」
夜の晩餐は、二人でとるというのが我が家の掟だ。だから、使用人達は、部屋の外へ追い出されている。この家に嫁いできてからはや五年。毎晩、夫であるロイスと二人っきり。しかも、どこの恋愛脳夫婦かなと首を傾げたくなるほど、近い距離。というか、密着している。彼が椅子に座り、私がロイスを椅子代わりにしている。頭を顎置きにされ、後ろから手をまわされ、一緒に食事させられるという不自由極まりない格好だ。
凄まじい体位だが、三年を過ぎた頃から、当たり前になりすぎてたまに恥ずかしがるぐらいになった。成長したといっていいのか、すごく悩む。
そんな、新婚さんみたいな格好を、恥もなく続けられる夫は、私の言葉をすぱっときった。考える暇がなかった。即答だった。
「誰が認めるものか、そんなの」
グラスを私の唇に近付けながら、意地悪なことを言い始めた。手が少し、震えている。
や、やっぱり。
「ロイス?」
「僕のお嫁さんなのに、誘おうとしないばかりか他の人と行くと?」
う、うわあ、怒ってる! 怒気が空気を伝わり、肌を震わせる。
「それにね、イライザ。僕よりもあの女を贔屓にするとは何事なの? このあいだの衣装合わせのときだって、僕を最初に褒め称えるべきだったのでは?」
「それは、本当にルビーさんが一番似合っていて」
「なあに」
ひいとつい、悲鳴が上がった。ロイス、あのとき落ち込んでいたの根に持っていたんだ。怒気が声にまで侵食していた。
ロイスは、怒ると怖い。それは顔面がということではなく、発せられる雰囲気がということだ。嬲られている気さえおこる。
「いえ、旦那様が一番似合っておいででした」
つい、怒りに負けてしまった。
夫はふふんと満足げに鼻を鳴らすと、私が飲んだグラスを自分の口にまで持ってこさせ、ピンクのルージュのついた場所に唇を重ねた。
ぶわっと、全身を強打されたような熱が体じゅうに広がる。
ロイスはすごくすごく、意地悪だ!
悪戯げに片目を閉じて、頭を撫でられる。
ちょっと、ロイス、私の頭は子犬の毛じゃないんだけども。乱暴にかき回さないでほしい。
「移り気なお嫁さんを持ったあわれな僕のために、明日は家に一日中いてくれるだろうね」
明日、男爵令嬢が訪れる夜会があるのだ。ロイスはぎゅっと私の体を抱き締めて、身動きできなくする。
「ロイス、お願い」
「僕も家にいてあげるから付き合いなさい」
「え、お仕事があるでしょう?」
「なぜ? 僕は眠い」
「だめだよ、さぼっちゃ」
唇に再び、グラスをくっつけられる。さっきまでロイスが口をつけていたところだ。おさまっていたはずの熱がぶり返す。
「黙って。それとも、なに。あの女と予定があるとでも? お言い、僕を妬かせたいのならば」
「それは、その。でも、ロイス」
グラスを机の上に置いて、顔を見上げる。月のようなのに、星のようにもみえる不思議な瞳と目が合う。夜に燦然と瞬く光。ロイスの瞳はいつも夜空の宝石たちのように綺麗だ。
確かにルビーさんと約束してしまった。でもそれをロイスに直接告げるのは気が咎める。
「でも、ではないよ」
「ロイス」
「どうして、 夜会に出たいと言うの? 男爵令嬢には関わらないのではなかったの」
少し悩んだが、伯爵家の次女の話をした。婚約者がかえりみないのはどうにもかわいそうな話だよねと同情を誘う。
全てを聴き終えたロイスは、ふうんと興味なさげに私を睥睨した。まったく、同情している様子はない。
「なぜ、同伴は僕ではいけないの」
「だって、ロイス、いつも忙しいし」
「明日は休み」
ロイスは、王宮で王子達の家庭教師もやっている。王子達が学ぶべきものは多岐に渡るが、そのなかでも、ロイスが教えるものは異彩を放っている。
なにせ、ロイスが教えるのは魔法だ。彼は魔法使いを統べる王なのだ。今は、王族に従属している隠士の長をしている。隠士はつまり、魔法使いの異称だ。
ロイスは魔法について王子達に教授している。
王子は九人いて、そのうちで覚えの悪い二人の王子に相当、苛立っている。
ロイスはもともと誰かに教えることが苦手だ。愛想ないし、意地悪だし、悪い魔法使いの典型みたいな人。そんな彼に反発して小さなボイコットが起こったのだ。それにロイスが怒り狂い、小さな戦争状態に。
王様からきちんも教えるように! と指示されているはずなのに。
「なぜ僕が猿の世話をせねばならない。遅々として理解せぬ、母語すらまともに使えぬ馬鹿どもを。僕が休みだと思った日が休みに決まっている」
相当参っている。語尾が荒れていた。そういえばこのところ、肌艶がよくないような気がする。
「イライザ、愚王がいうのだ。猿どもが反抗するのは僕が悪いとね。ならば、僕以外の下位の魔法使いに教えさせるとよいよと言ったら、あいつなんと言ったと思う? お前の仕事だと! 僕の仕事は猿の調教ではないよ。真理の探究、世界の数式化だ」
王様を愚王と言ったり直接陳情が言えたりする、不遜な人は実はロイスだけなのでは。しかし、ロイス、王子を猿扱いって。
「絶対に、明日は休みにする。なにがあろうとね! 登城してやるものか」
「ロイス、仕事を休むのはいいけど、やっぱりルビーさんと行くよ。ロイスはゆっくり、休んでいていい」
「なぜ」
怒りを孕んだ瞳が怪しく光った。怯えつつ、きちんと伝えなければならないことだと思い、彼の腕を離して、跪く。
驚いた彼の唇を指で押さえて、口を開く。
「ロイスは、いつも仕事ばかりでしょう? 家で待ってる私の気持ちをわかってない。だから意地悪したいっていうのが、ひとつ。もうひとつは、ロイスが夜会に行くと、女の人たちに優しくするから」
「へえ?」
怒りを湛えていた瞳が、違う色を注がれたみたいに優しく、そして意地悪になる。
「僕のお嫁さんは、僕を他の女にみせたくないって?」
「そ、それは、その」
なんか、凄く上機嫌だ。どぎまぎしてしまう。
「それに、家で一人は嫌だ、なんて。なにか欲しいものでもあるのかい。いまなら、存分に贅沢させてやりたい気分なのだが」
でた、ロイスの浪費癖が。
この人、機嫌がいいとすぐものを寄越そうとする。言葉は、なにかを強請るためにあるのではないのに。それに、贅沢させておけば、満足すると思っているところが、気に入らない。
「ロイスは意地悪」
いや、気に入らないんじゃない。怖い。贅沢だけでは嫌だ。与えるだけで、構われなくなるのは、とても嫌だ。
人は簡単に心変わりをする。石のような思いを抱えていても、少しずつ削れ、尖っていく。元の気持ちのまま残らない。ものだけが残り、絶望に震えたくない。
「僕が、なに?」
「ロイスは、ものはくれるけど、心はくれない。それってなにもくれないのと一緒だ」
「なんだって?」
「ものだけじゃ満足できないよ。ロイスの心が欲しい」
唖然としたロイスは、ふっと微笑んだ。
「心臓が欲しいって? 抜き取ってあげようか。禁書のなかに、心臓を箱につめて、持ち運びできるようにする術があったから」
きらきらしている。禁書の術を試せるとうきうきしている瞳だ。これは。
「箱のなかに入っていれば、僕の心臓は動き続ける。心臓の位置が、体から箱のなかになるだけ。僕の心臓を受け取ってくれる?」
究極の二択を迫られているような気がする。いるって言えば、箱詰めのロイスの心臓が。いらないって言えばロイスのなかで、私はいらない存在になるかも。自分の心臓を捧げるというのは狂気の沙汰ではないのだろうか。それとも、ロイスにとって、心臓すら退屈しのぎの道具なのだろうか。
退屈しのぎで心臓を捧げるというのは言われている?
だって、私との結婚も退屈しのぎのためのものだった。
どきんと胸が痛くなる。ロイスの心臓を貰っても、私が欲しいものは手に入らないような気がする。
だけど、その一方で箱に詰めた心臓は不変ではないかとも思う。永遠を、箱が与えてくれるかもしれない。そう思うと無性に欲しくなる。
欲望を押さえ込んで、ばれないように冷静を装う。
「箱を誰かにあげれば、所有者が変わるものなんか、いらない」
「誰にも渡さないようにするとは言わないの? なんか、生意気だ」
「だ、だって、ロイスはこんなに素敵で、意地悪な魔法使いなんだもの。きっと私が渡さないと言ってもみんな奪っていくに決まってる」
五年経っても、全く衰えない美貌は、誰にもみせたくないぐらい。やっぱり、箱を欲したほうがいいかもしれない。際限のない不安と欲求が高まっていく。
ロイスは、現在は登城してばかりなので社交界に顔を出す暇がないが、出たら紳士的な優しさが令嬢たちを虜にするに違いない。社交界嫌いでよかったと、心底思う。
ロイスは、呆れるような喜ぶような奇妙な表情をした。
その表情に、悩みがすっ飛んでいく。
「自信がない僕のお嫁さんは、誰かにとられたくないから同伴を拒否すると言うの? それってずるくて、ひどい回答だ」
核心を突かれて、どきりとする。その通りだった。自信がないのだ。ロイスにずっと好かれ続けるわけがないと無意識に思ってしまう。素敵な女性がいたら、きっとロイスの両目を塞いで見ないでと叫んでしまう。
「おみあげ買ってくる」
「いらないよ」
腕を掴んで、ロイスが引っ張りあげる。向かい合うように膝に座らせて、手と手を絡ませる。手と手の間にロイスの長い茶髪が少し絡まっていた。それをあいている手で引っ張り上げながら顔を寄せる。ロイスの香水のにおいがとても好きだ。柑橘系の爽やかなにおい。私、変においをさせていないだろうか。魅力的なロイスの近くにいる、素敵な淑女になれている?
「イライザがはやく帰ってきてくれるなら。用事がすんだら、一目散に僕のもとにおいで。ではないと、他の女のもとに遊びに行ってしまうかも」
顔が強張る。他の女のもとにいくロイスを考えると頭がぐるぐるまわって、舞踏会で踊り過ぎたみたいに気持ちが悪い。やっぱり、行かないと言えば、ロイスはそんなひどいことを実行しないだろうか。それとも、なんてわがままなんだと怒られてしまうのだろうか。
戸惑う心が、髪を引っ張る手にも現れてしまう。ロイスが不機嫌そうに、私を睨んだ。
機嫌をとりたくて、髪の毛に口付けを落とす。ちらりとロイスを見上げると、よくできましたとばかりに頭を撫でられた。
「それと帰ってきたら、罰として僕に口付けをすること。よいね?」
気恥ずかしくて、俯きながら頷く。
ロイスは、お返しとばかりに私の髪をとって口付けをした。