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ルビー・クルビン

「イライザ様、あの女がわたくしの婚約者を取ったのです!」


「公爵夫人、どうかお助けを。私の夫があの毒婦の手にかかってしまいましたの!」


「奥様、第三王子が、男爵家の女と密会なさっていたと情報が」


「きいてくださいよ、お嬢さん。たたが男爵家の令嬢が、俺に言い寄ったんですよ? 許せませんよね」


「表立って騒ぎが起きれば、後ろで悪事をしやすい。僕は、お前が見過ごすというのならば、あの女の好きにすればよいと思うが?」



 上から、伯爵家の次女、子爵家の奥方、私の家の侍女、くるくる表情を変える愛人その三、愛おしい夫の言である。

 全てに関連する、女。ーーアリギス・モギュレット嬢。彼女はなぜか、市井で育った娘らしい。男爵が妾に産ませた子なんだとか。生まれが気品とは正反対の卑しい平民ということで貴族達の反発も強く、一部では排斥しようとする動きがある。

 彼女の社交界デビューからはや一年。彼女は未だに貴族の生活に馴染めていない。

 ただ、彼女の周りは、人柄に惹かれ、集まる男達がいる。彼女は鳥籠のなかにいれられた鳥のように愛玩され、今では彼女を守る騎士までいるとか。まるでお姫様みたいな扱いだ。

 確かに、無鉄砲な男爵令嬢を守りたいと思うと、そのくらいの警護は必要なのかもしれないけれど。

 ともかく、私に、男爵令嬢をどうにかしろという陳情が後を絶たない。

 にこやかにどうにかしろよとみんな言うので、怯えながら、も、もちろんですと応えるしかない。はやく対応しやがれよ? とドスをきかせて帰っていくのだから、怖い。

 これでも、公爵夫人なんだけどなと切なくなる。

 私に陳情するより、絶対に本人に言ったほうがはやい。なのに、わざわざ私に告げ口してくるのだ。

 社交界は女の戦場。軍のように、階級が存在する。だからある意味、私は婦人たちの上官だ。だけど、なんでもかんでも解決できるとは思わないで欲しかった。


 この頃、特に男爵令嬢への悪口が多い。一年経つのに、おさまるどころか酷くなっていっている。男爵令嬢は一年間でまったくマナーを学べていないらしい。

 花咲き誇る、春の午後。微睡むような、心地よい日の光が注ぐなか、今日も、開いたお茶会は泥より臭い悪口大会に。庭をごみでいっぱいにされた気分だ。折角、庭師が整えた美しい庭園が、泥まみれになった気分。


「イライザ」


 ご婦人方の陳情を聞き終え、お帰りいただいたあと、先ほどまで彼女らがいた椅子に、愛人その一、ルビーさんが座った。

 今日は、茶色のフロック・コートを羽織り、黒の長ズボンにブーツ。トップハットという、これぞ紳士という格好をしている。飾りボタンが金色で、貴族然としている仕草が似合っている。

 手袋をとりながら、私をじっと見つめてくる。少し、赤くなる頬を、必死に誤魔化そうと扇を広げた。

 細くてスラリとした足を組む姿は男より男らしい。ゆったりと、腕を組む姿に、ときめきを感じずにはいられない。

 この人は元劣女ーーつまり元娼婦だ。つんつんして、猫みたいに気まぐれな人だが、とろりと甘やかしてくれる。飴と鞭の使い方が上手だ。

 愛人、なんて言ってるけど、助けてもらう回数の方が圧倒的に多い。私が愛人と言ってもいいぐらい。


 この間、衣装合わせのとき、舞踏会に行く真っ白な礼服が一番似合っていたのも彼女だった。

 ルビーさんを褒めそやし過ぎて、夫が「お前の夫は誰?」と落ち込んでしまうほど。

 ぼーとしていた私に、ルビーさんがつんと額を突いた。


「返事は? 人の話をきかぬと、お仕置きしてしまうよ」


 扇を閉じさせながら、ルビーさんが微妙に険しい表情で言った。

 ルビーさんからのお仕置き!

 ついつい、頬が緩む。ルビーさんの険しさが増した。


「こら、なぜそこで瞳を輝かせる? 相変わらず、困った娘だ」

「いや、その、ルビーさんは私の嫌がることしないし、だから、してくれることがいつも嬉しいことというか」


 この間なんか、「わたしの作った食事を食するなんて、さぞ不愉快だろう?」といいながら手作り料理を!

  すっごく美味しかったし、あとから家の料理人さんに手にいっぱい傷つくってつくってたんですよと聞いた時には思わず抱いて! と突進しちゃったぐらい嬉しかった。


 食事のバランスとかもちゃんととれていて、食べるだけで、愛されてると思いましたもの。にやにやしていた私の頬っぺたを抓ったのだって、照れ隠しだって気がついてるんですからね。

 耳が真っ赤だったもの。

 思い出して、悦に浸っていると、長いため息をつかれる。


「まったく、お前は。一つも話をきいちゃいない」

「きいてますよ! ルビーさんの言葉は、もう、しっかりと」

「ほう?」


 あれれ、なんでルビーさん、そんな壮絶色気たっぷりな目で私を? ルビーさんの顔って繊細な雪に精緻な美貌を描いたように美しいから、そんな顔がとてもよく似合う。美形の光が眩しいぐらいなんですが。


「お前、では、わたしが囁く愛の言葉を受け止める気になった? それは重畳。いまから、寝台へ移動して、愛欲の一夜を明かすか?」

「ルビーさん!?」


 そんなご冗談をと腑抜けた顔をしたら、脱力したように、ルビーさんは肩をすぼめた。


「冗談。それで、なにがお前の顔を曇らせた? 男ならば、斬ってすててやるが。やはり、先ほどの口喧しい女どものせいか」


 男だったら殺すという過激発言のようにとれるんですが……。

 私の愛人たちはその、なんというか過激というか、個性的というか、他人にまかせておけない人ばかりだ。


「令嬢たちのせいというか、アリギ……男爵令嬢のせいというか」


 なんでかわからないけど、男爵令嬢の名前を呼ぼうとしたとき、ルビーさんの瞳がきつくなった。あんまり、私に名前を呼んでほしくないみたい?

 そういえば、夫も、煩わしいから呼ぶなと言っていた。ちょっと嫉妬してくれたのかも。どこらへんに嫉妬される要素があるのかわからないけど、愛されているって感じがして、花壇を飛び回る蝶のように浮かれてしまう。


「あの女たち、昔はお前を虐めておきながら、よくもまあ、縋れるものだ。厚顔無恥にもほどがあるだろうよ」


 確かに昔はみんな、舞踏会とかいっても無視だった。いま思えば苦い思い出だ。私にも、男爵令嬢のように無謀な日々が。

 うう、胃が痛い。夫の怖い顔を思い出した。


「イライザ? お前、どこか具合が? いけない。こんなところで、傘もささずにいるからだよ。侍女に水を持ってこさせる。寝室に運んだほうがよい?」


 椅子から立ち上がり、抱えようとするルビーさんを慌てて止める。夫の悪人顏を思い出して怯えていただなんて言えない。侍女にありがとうとお礼を言って水を受け取る。ルビーさんは、水を飲むまでじぃっと私だけを見つめていた。

 さっきの反応もだけど、ルビーさんは過保護だ。ツンツンしながら蕩けるほど甘やかしてくるから、胸がきゅんきゅんする。


「傘をさしてあげる」


 そういって、侍女から傘を貰うと、ぽんと音をたてて赤い花が咲いた。日射病になったと思ったらしい。

 傘に潜り込むように、ルビーさんが影のなかに入ってくる。傘にあたるからだろう、トップハットをとって、私の膝に置く。シルクハットから薔薇の香りが。光の反射で、帽子に隠れていた白髪が赤く燃える。名前と同じ、ルビー色の瞳が、きらきらしている。

 私の愛人はなんて綺麗なんだろうと見惚れていると、ルビーさんが訝しげな顔をして、髪をすくった。長くなったなあと思う。肩口ほどの長さしかなかったのに、結べるほどの長さになっている。


「ああ、お前が髪の長い男のほうがいいというから」


 髪が長いと女に見えるだろうと、苦しそうに呟いていた、ルビーさんの顔が、苦痛の日々から戻ってくる。

 雪のように儚くて、冷たい記憶だ。

 そんな彼女に、無神経にもそんなことを言ったのか?

 眼球がかわく。自分を罰してやりたくて、しかたなくなる。

 鞭があれば、罰が与えられるのに。どうして、ないのだろう。手の周りにないかと視線を泳がせる。


「イライザ?」


 名前を呼ばれて、はっとする。

 ご主人様と、唇が形をつくろうとしていたことに慄いて、ぎゅっと唇を噛み締めた。


「似合うか?」


 どう答えればいいかわからなかった。似合うと言えばいい? 似合わないと言えばいい? でも、似合わないと言えば、ルビーさんはばっさりと髪をきってしまうに違いない。

 ひくつく顔をどうにかなだめて、頷いた。


「そうか」


 泣き出しそうなほど、柔らかく微笑まれた。

 頬に触れる手が宝物に触れるように慎重だ。この人に大切にされているのだと、胸が高鳴る。


「お前が解決する必要などないよ。男爵令嬢など、捨て置け。わたしと遊ぼう。髪を美しく結って、お前のものにしてくれる?」


 白い肌が、私の目の前にあった。静脈がひっそり浮いている。同じ人間なのだなとのんきに思った。


「ルビーさん、私のものになったら、一緒に夜会に行ってくれる?」

「夜会に? それは、先ほどの女のせい?」


 先ほど、茶会に訪れた伯爵家の次女は、婚約者をとられたと助けを求めてきた。今度、男爵令嬢が訪れる夜会は、彼女の婚約者がエスコート役を務めるのだと言っていた。ルビーさん、どこかに潜んできいていたらしい。

 貴族の婚約は、規則で縛られている。貴族間では、政略結婚が多いので愛人を持つことは許されるが、結婚を控える婚約者同士は関係を精査される。間違っても二人の血が繋がっていない子を産まないようにするためだ。

 伯爵とその婚約者は、再来月に結婚式をあげる。

 だが、いまだ彼女の婚約者は、男爵令嬢にべったりらしい。婚約者以外の女をエスコートすることは、無作法で、許されない行為だ。

 公の場で愛人を連れ回す行為は規則違反で、誰かが正さねば、規範がなくなる。

 ただ、私は愛人を連れ回している規則違反者なので、正すと自分にも責がおよぶ、

 正論を言える立場ではないが、伯爵家の次女である彼女の応援はしたい。

 それに、伯爵家に恩を売ることは、夫のためにもなるはず。彼女の家は軍事部の中核を担う、名門。仲を取り持ったとなれば、恩義を感じ有事の際に利用できるだろう。


「すれ違ったまま結婚式をあげて欲しくないんです。少し、手伝いたいなって思って」

「お人好しめ。しかたのない子だ」


 ぎゃっと悲鳴を上げたくなる色気のある視線を貰う。顔を隠したくて、扇を広げようとして、手で遮られる。

 打算だらけなのに、お人好しだなんて。騙している気になる。

 ルビーさんは、破壊力のある微笑を向けた。


「では、誰よりもお前を魅了する服を仕立てないとね?」


 崩れ落ちそうになる体を叱りつけて、ルビーさんに近付く。

 首筋にキスをしたら、純情な照れをみせられて、こっちまで顔が熱くなった。



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