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大福

作者: 光 血縁

                        大福

男は天を仰いだ。そうしても住宅街という事で夜空に星は見えずひんやりとした空気が張り詰めていることに気がついた。男は考える。一体、大福とは何なんだ。

大福だいふくは、小豆でできた餡を餅で包んだ和菓子の一種。

何故、このような一文が男の脳内を駆け巡るのか。これは男にとって二番目に重大な問題である。しかし、これは男にとっては興味深い一文であることに相違ないものであった。

この大福という定義は普通のものだと掌に収まるような大きさで出来ているものである。ではこういう大福もあって然りではないか?例えば、近眼の人は目を細めても何もないように錯覚させる程小さい大福や反対として自分の体を遥かに超えて高層ビルを見上げるかのようにしても頂点を捉えることが出来ないほど大きな大福。

さて、これは言いすぎかも知れないと男は思った。高層ビルとは言いすぎた、どうやら一戸建ての家程しか無いな。しかも大きめの一戸建て。そのような大福がさも当然かのように世界中に存在している大福は総て俺と同じと言わんばかりに我が物顔で俺の前に鎮座していた。そういえば俺の家もこの大福と同じくらいの大きさだったなと男が思った頃にふと気がついた。この大福は俺の家と同じ場所にあるんじゃないのかと。

男は周りを見渡してみた。大福の左側には赤い屋根が特徴的な家があり、右側には茶色の屋根で特徴のない肌色の壁をもつ家があった。なんという奇遇だろうか、この二つの家に挟まれて俺の愛しき帰る場所があった筈なのだ。これは夢か、俺の家が大福に変わっているのだ。

これは夢ではないのかという疑問が男の中で巻き起こるのはさして不自然ではなかった。

ある日突然、家が大福に変わっていました。こんなことは今時、小学生でも信じないし昔でも信じないだろうし、むしろ嘘つき呼ばわりで村八分だ。そのような嘘は吐きたくないものだし、人は正直に生きるべきだと思う。男はそのように別のことを頭に張り巡らせながら大福を触ってみた。男の考えに依るところではこの大福は錯覚であり、家として実体は損なわれていないというものだった。詰まる所はこれが家ならば触った感触は大福のようにもちもちとしたものではなく家の壁特有のざらっとしたものだと考えたのだ。

ひたっ、もちっ、もちっ、つぅぅぅ。

非常に上品な手触りである。なんと表現したらよいものか、ひんやりと気持ちいい感触が手を置いた瞬間に訪れる。しかし、触ってみるとその実はとても優しいものだと分かるのだ。心ゆくまでに大福のもちっという感触を味わうと当然つねりたくなるというのも人情であろう、当然だがそうした。そうしたら、予想以上の弾力が襲いかかってきたのだ。この時の高揚感はなんと表せばいいのかと思案するところだが個人的な感傷としては初恋が実った時に似ていた。告白には成功したものも沈黙になってしまい次の展開を待っているときの高揚感に似ている。この弾力はそういう気恥ずかしい焦燥に駆られている気がするのだ。まだ伸びるのか、なんという弾力だ、なんてこの大福は上品なものなんだ。そう思わずにはいられないのである。

この大福は物凄いものであるという事実に男は打ちのめされた。男の貧相な思考ではこの大福の素晴らしさを伝えることは難しいのではないか。こういう場面が人生に用意されていると事前に知っていたならば退屈な学校な授業も一層身が入ったものだったのにと男は後悔した。ここで男は重要なことに気が付くことに成った。男の目の前にあるのは家ではなく大福であるということだ。完全に証明されたわけではない、大福の弾力且つ大福のようにつねって伸ばすことが出来る壁を兼ね備えた家がある可能性がまだ残されている。

そんなものを証明したってどうすんだ。もし、そんな家があってでもだな・・・少なくともそれは俺の家ではないのだ。男は自嘲気味にそのような下らない事を夢想した。

これは大福なのかというものが男にとって二番目に大きな問題だったが、一番の問題といえば家と同じくらいの大福が自分の家の代わりにそこにあるということだ。

男は仕事に出るために早朝には家を出ていたし、それまでは大福はなかったのだ。

家へと疲れた体で帰ってきたらこの様に成っていて男は驚愕のあまりに卒倒しそうになったのだ。残業のしすぎで俺の脳内は悲鳴をあげて混乱しているのかと思ったがこの大福は現実味が有りすぎる存在感を醸し出している。

家がなくなった今、男の財産というものは意味をあまり成さない程軽くなった財布と仕事をする為に必要な一張羅、そして大福だった。大福を財産と呼ぶには可笑しいかもしれないが一戸建ての家と同等の大きさを有している大福は財産と呼ぶに相応しいだろう。友人と話すときの小噺にもなるだろう。新しい財産として俺は大福を持っているぜ。この話を真面目にするだけで議論の物種になるというものだ。

さて、この夢はいつ醒める?男は目の前の大福を受け入れる事が出来ず、思いを巡らせる事しか出来なくなっていた。


哲学者のI氏にお越し頂きました。男は大福を目の前にしてから十年の月日を経て哲学者になっていた。男はTVのアナウンサーに笑みを返して答える。

「哲学者のIです。今日はよろしくお願いします」

アナウンサーは質問を重ねる。何故、サラリーマンの道を捨てて急にホームレスになられたのですか。何故、哲学者になる道を選ばれたのですか。等である。

「こうなったのは特に理由はありません。強いて挙げるなら・・・大福でしょうね」

アナウンサーは目を丸くしていた。この若輩者の気持ちも分からない訳ではない、ソクラテスやアリストテレスの示した道を踏襲したのだろうか、最近ではニーチェも流行っているし影響を受けて世捨て人になり哲学に目覚めたのだろうかとでも考えるのが一般論とは言えずとも近い所はあるだろう。

大福ですとそう続けて答えた。私は大福により、辛かった仕事や生活を捨てて無一文で哲学者に至る事と成ったのです。

「人間、一つの事柄を追求するという事は中々しないですよね。例えば、『あ』という一文字の成り立ちから発音から諸々全てを追求するとか。『あ』という言葉も面白いと思うんですね。何故、『あ』は『あ』なのかとか。なんでその発音が『あ』と成ったのかとかね。まぁ、詰まる所ですが私が追求するものが大福だったんですね」

アナウンサーはほとほと困った顔をしていた。なんで、こんな狂人を堅苦しい報道番組に呼んだのだとでも言いたくなるだろうなと男は思った。

追求するものが偶々、大福だった。これだけである。男は確かに大福を見た。

男が最終的に終着したのは、男の家が大福にならなければ大福の事をここまで考えることがあったのかという事だった。男はこの時は世界中の誰よりも大福について危惧しており、大福の事を考えていたという自負を持っていた。そして、これは全ての物事に言えることではないかと考えたのだ。我々は受け入れるままに生きすぎている。物事は必ずしも見えるものを受け入れる事が全てではないのか。急に自分の家が大福に変わるように世界とは自分が見えているものと真実が違うかも知れないと考えだしたのである。そうしたら止まらなくなってしまって何時の間にか哲学者と呼ばれるようになったという顛末だ。

男は大福の事を考えながら心が休まるのを感じた。何時の間にか目の前のアナウンサーが大福に変わっていることに気がついた。さて、今度はどうしようかと男は天を仰いだ。照明器具も大福に変わっていた。一体、大福とは何なんだ。

                                   完


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