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猫窟島のケット・シー  作者: 手這坂猫子
第一章 猫窟島
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四、海遊び

 四月が終わるまでに、雪織はクラスメイト全員の名前と顔を記憶することができた。ほとんどは五番目のおかげだろう。今までの学校生活でクラスメイトの名前を半分も覚えられなかったことを考えると、大きな進歩に思えて雪織は嬉しかった。五番目があのとき話しかけてくれるまでは、都会から来た余所者のレッテルを貼られて爪弾きされる可能性も考えていた。だが、二年一組のクラスメイトは雪織を穏やかに歓迎してくれた。今までの転校先では大きく分けて、クラスメイトは彼女を妙に構い倒すか無関心な態度を見せるかの二択だったが、そのどちらでもない対応のおかげで雪織はすぐに打ち解けた。

 五月に入って連休を迎えると、彼らは雪織を様々な遊びに誘った。都会と違って学生が入り浸る娯楽施設のない猫窟島だが、誰もそのことを悲観していなかった。

「連休中に島から出ていくのは毎年ほんの数世帯だ。それ以外は皆、海か山で遊ぶぜ」

 そう五番目に教えられとき雪織は信じられないと思ったが、連休一日目を彼らと海岸で過ごしているとその楽しさに納得できた。潮溜まりを棲み処にする生物の観察をするだけでも夢中になっていた自分自身に驚かされる。蟹や海星を一頻り観察した後は、クラスメイトの大半が海釣りを始めた。しかし持ち帰るつもりはないらしく、釣った魚はその場で逃がしていた。疲弊した魚を両手で優しく包むようにして、無事に泳げるかどうか確認しながらそっと放流する。雪織がその光景を眺めていると、不意に五番目が声をかけてきた。

「雪織もよかったら釣ってみろよ」

「えっ、でも……。わたし、釣りって一度もしたことないよ」

「興味は?」

「…………ちょっとなら、ある」

「だったら俺の道具貸すよ。ほら」

 遠慮しようと思ったものの、すでに五番目は自分が使っていた釣竿を雪織に差し出していた。恐る恐る釣竿を受け取った雪織を自分が座っていた場所に座らせると、彼はその使い方を説明し始める。ぎこちない手つきの雪織を静かに見守っていたクラスメイトだったが、彼女がスズキを釣り上げた瞬間小さな歓声を上げた。それからアイナメを立て続けに二匹釣り上げた雪織に歓声を大きくし、傍らに集まってきた。

「これで本当に初めてなのか」

「運がいいって言うより、筋がいいんだろうな」

「雪織ってすごいのね」

「おい。そろそろ魚を返した方がいいぞ」

 五番目の言葉にはっとして、雪織はバケツに入れた海水の中で窮屈そうに泳ぐ魚を見る。次々と釣れる感覚が楽しくなり、逃がすことを忘れていた。

「優しくそっと両手で持って、泳げる元気があるかどうか確かめてから放流するんだ」

「うん」

 言われた通りにスズキを持つと、銀色に光る冷たい鱗の感触が掌に広がった。生きている魚を両手で持ったその初めての感触に、思わず息を呑んだ。スズキは突然水のない空中に持ち上げられ、驚いたように動いている。そっと海に返すとすぐに見えなくなった。二匹のアイナメも同様に放流し終え、雪織の口は自然と綻んでいた。

「釣りって、楽しいね」

「そう言ってもらえて嬉しいな。余所の人からは何もなくて不便な島って思われてるみたいだけど、俺達は俺達なりにここでの生活を十分楽しんでる。それを都会から来た雪織に理解してもらえるのは、なんだか特別なことみたいだ」

「わたしからすれば、今までに見たどこの中学生よりもきみ達が一番生き生きしてるよ」

 雪織が言うと五番目は嬉しそうに微笑んだ。周囲で聞いていたクラスメイトも、どこか照れ臭そうな表情で意味もなく釣竿を持ち直したり靴底を地面に擦りつけたりしている。

「明日は昼過ぎから山の中で手製のモデルロケットを打ち上げるんだ」

「ロケットなんて作れるのか」

「ここでは学生の間で人気なんだよ。皆、色を塗装するときに一番気合を入れる。何しろ山の中で打ち上げた後、どこに落下したか探しやすいようにしないといけないからな」

「五番目はどんな色を?」

「全体的にラピスラズリを塗って、ラメ塗料のレモンイエローで何本か線を引いた」

「確かにそれなら目立ちそうだね。明日、わたしも見に行っていい?」

「そのつもりで話してたんだぜ。一時に駅舎の前で集合するから忘れるなよ」

 その後雪織は釣竿を五番目に返すと、先ほどから釣りに参加することなく砂浜で集まっている少女達の中に入っていった。どうやら熱心に貝殻を拾っているらしい。

「あ、雪ちゃん。もう釣りはいいの?」

 真っ先に浅倉が雪織に気づいて顔を上げた。両手には大小様々な貝殻が握られている。

「さっき、初めてなのに三匹も連続で釣り上げてたでしょ」

「うん。でも釣竿は五番目から借りていた物だったし、十分楽しんだから」

 そう言って雪織は彼女の傍にしゃがみ込んだ。しゃがんだ拍子にすぐ近くの岩陰に隠れていた桜貝を見つけ、手に取る。

「桜の花弁みたいだ」

「あ、可愛いよね桜貝。しかもそれ、すごく綺麗な色してる」

「山中の桜は花で、海辺の桜は貝……みたいな感じかな」

「へえ。雪ちゃんって詩人なんだね」

 詩人という言葉で雪織の頭にすぐ浮かんでくるのは宮沢賢治と自分の母だった。そのことに苦笑しつつも雪織は浅倉に訊ねた。

「皆は集めた貝殻をどうするつもりなんだ」

「たくさん種類を集めて標本にする子もいればアクセサリーにする子もいるよ。単純に蒐集するだけの子もいるけど、私は写真立てを飾ろうと思って」

「だったら、これも使って」

 雪織が差し出した桜貝に浅倉は目を瞬いた。

「いいの?」

「わたしが持ち帰っても、きっと荷物になって結局捨てないといけなくなるから。それよりも浅倉が写真立てを飾るために使った方がいいよ」

「ありがとう」

「あっ。いいな、初音」

「その桜貝、すごくいい色じゃない。羨ましい」

 周囲の少女が口々に言い出すと、浅倉は得意げに笑った。やや強めの潮風が髪やスカートを揺さ振っても、気にせず彼女達は貝殻を拾い集める。雪織も桜貝以外に小さな巻貝をいくつか見つけては、そのたび近くにいたクラスメイトに渡していった。やがて眩しい夕日が海に向かって落ち始めると、全員が海岸を離れてそれぞれの帰路に着いた。

「…………珍しい」

 同じ住宅街に住むクラスメイト数人と別れて家の前で立ち止まったとき、雪織は思わず呟いた。鍵を取り出そうと黒いキュロットスカートのポケットに入れかけた手を戻し、目の前にあるドアポストから銀色の封筒を抜き取った。今まで漂泊生活をしている間、誰かからの手紙や葉書が来るなど滅多になかった。ダイレクトメールだろうかと思った雪織だったが、封筒には彼女の名前が記されている。差出人の名前はない。見たことのない青い切手が貼られ、消印にはCait(ケット) Sith(シー)とある。今すぐその場で封筒を破って中身を確認してしまいたい衝動を堪えて家の中に入り、自室で丁寧に開封した。中から出てきたのは折り畳まれた黒い紙と名刺サイズの白いカードが一枚。黒い紙を開いてみると、手書きなのか印刷なのかはっきり見極められない白い文字が並んでいる。


 釵雪織様

 五月六日の夜、三日月が青くなる頃にお迎えが参ります。

 家の窓から青くなった三日月が見えましたら、最寄りのバス停にてお待ちください。

 同封してある乗車券に必要事項を書き込み、大切に持っていてください。それさえあれば今後はいつでも最寄りのバス停から使用が可能です。

 乗車券を他人に貸与または譲渡することはできません。


「なんだろう、これ。悪戯かな」

 言いながらも雪織は、手紙の内容で言うならば乗車券らしいカードを手に取ってみた。右下の隅に可愛らしい猫の肉球が描かれている。


 カンザシ・ユキオリ様

《      》⇔《ケット・シー》

 ノンストップ急行 途中下車不可


 雪織はペンを取り出し、空欄に最寄りのバス停を書いた。印刷された文字や記号の中で唯一の手書きは妙に目立つ。悪戯ならば、それなりに手の込んだ悪戯だ。それでも雪織はこの乗車券を使ってみたいと思い、パスケースの中に乗車券を入れておいた。ケット・シーという地名は地図に載っていなかったはずだ。生徒達が口にしているのを聞いたこともなかった。もしかしたら店や施設の名前なのかもしれない。

「……まるで『どんぐりと山猫』の一郎にでもなったみたい」

 そう口に出してみると指先の血管から、ぞくぞくと心地よい緊張感が心臓に集まってくるような気分だった。さすがに部屋の中を飛び回る気は起きないが、自然と頭が色々な想像を巡らせる。雪織にとっては差出人不明の怪しい手紙を開封した挙句、誘いに乗って出かけるということは初めてだった。彼女は手紙を再び折り畳んで封筒にしまい、まるで壊れ物でも扱うようにそっと机の抽斗に入れておいた。


 

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