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猫窟島のケット・シー  作者: 手這坂猫子
第六章 ジョバンニとカムパネルラ
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二十三、年上の話

「こんにちは。金貨さん」

 まるでそこが自分のためだけに用意された特等席だと言うかのように、金貨は最初に会ったときと同じテラス席にいた。カミルが言っていた通り杏子、カノン、リサ、胡桃の四人を連れてあんみつを食べている。

「雪織か。久しぶりだな」

 スプーンを口から抜き取り、金貨は片手を上げた。

「はい。杏子さん、カノンさん、リサさん、胡桃さんもお久しぶりです」

 初めて名前を呼ばれた彼女達は少し驚いた表情で雪織を見た。そして軽く頭を下げて会釈すると、また金貨にうっとりとした熱い視線を向ける。どうやらこの四人の中で誰が金貨の婚約者となるのかは、まだ決まっていないようだ。

「おい。あんた、大丈夫か?」

「え、何がですか」

 不意に眉を寄せた金貨の質問に、雪織は面喰う。すると彼は肩を竦め、右隣にいたカノンの髪を梳きながら口元を歪めた。

「自覚がないってのは大変だな。ああ、あれか。悲壮感は第三者の目に映り、苦しむ者の心にはない。エマーソンの言った言葉は正しい」

「…………わたし、そんなに悲壮感漂わせてますか?」

 雪織がそう訊ねると、金貨は「はっ」と笑った。嘲笑されたような気がしたが、どちらかというと無知な子供の言動に苦笑するような笑い方だった。しかし彼はそれ以上何かを言うことはなく、再びあんみつを口に運び始める。

「あの、皆さんが折った鶴ってありますか?」

 すでに結構な数の折り鶴が入った紙袋を前に出すと、おもむろに金貨は立ち上がり、店内へと消えていった。四人の女性と取り残され、雪織は手持ち無沙汰のまま立っていることが居た堪れなくなる。目の前に座っている彼女達は金貨一人にしか興味がないため、間を持たすための会話もしてくれないだろう。そう思い、雪織が特に意味もなくきょろきょろと周りに目を向け始めたときだった。

「川に落ちた女の子を助けるため、あの男の子は自ら川に落ちたんだってね」

 突然、杏子が口を開いた。

「まったく彼らしいわ」

「もう夏だけど、川の中は冷たかったでしょうね」

「やっぱり水は、怖いわ」

 続けてカノン、リサ、胡桃が順繰りに言う。四人が喋るところを初めて見た雪織は、珍しいと感じるよりもその内容にぐっと喉を鳴らす。

「でもね、川に落ちなかった女の子。あなたがそんな顔をしなくてもいいと思うの」

「彼は死んではいないんでしょう」

「何故もうお通夜に来たような顔をしているの」

「その川に落ちた男の子は、あなたに心配されたくて川に落ちたのではないはずよ」

 彼女達は四人とも純朴な子供のように、不思議そうな表情を浮かべていた。

「そんなの、わかってます。でもわたしは自分が今どんな顔をしているかなんてわからないんです。だから、今の顔を変えることはできません。五番目が生きていて、ただ目覚めていないんだってこともこの目で確認してきました。だけど話すこともできないし、一緒にここへ来ることもできないなんて……嫌なんですよ」

 雪織は声が震えそうになるのを堪えて言った。だが四人はまた彼女への興味をなくしたのか無言になってしまった。それと同時に《飴色屋》から金貨が出てくる。

「ほら」

 がさっ、と突き出されたのは大量の折り鶴が入った袋だった。色とりどりの折り紙だけでなく、千代紙や新聞紙を切ったものでも作られている。

「俺とそこの四人だけじゃない。今店内にいた客、ここの店員が折ったものも全部入ってる」

「ありがとうございます」

 雪織が受け取った袋の中身を紙袋に移していると、金貨が意外そうな声を上げた。

「お前がここに来るなんて珍しいじゃないか」

「そう言う金貨は相変わらずみたいだな」

 聞き覚えのある声に雪織が振り返ると、そこにはキリクが立っていた。

「キリクさん。こんにちは」

「ああ。……ひどい顔だ」

「なんだか今日はよく言われます」

 雪織が溜め息をつくと、キリクは彼女が持つ袋を見て納得したように頷いた。

「折り鶴を回収してるってことは、雪織もあいつの企画に付き合ってくれてるのか」

「五番目の千羽鶴ってカミルが企画したんですか?」

「三日前からな」

「おい、キリク。まだあのチビに言ってないのかよ」

 口を挟んだ金貨の言葉にキリクは一瞬目を見開き、そしてじっと金貨を見つめる。

「お前達三人は今のパトロンについていくんだろ。確か暦が変わる前にと聞いたな。せっかく仲良くなれた弟と離れるのか」

「パトロンが決めたことだ。それに、カミルなら新しい家でも問題ないだろう」

「随分と冷めてるな」

「どうせなら信頼してると言ってもらいたいんだが」

「あ、あのっ」

 思わず雪織が声をかけると二人の視線が彼女に向かった。

「キリクさん達……どこかに行ってしまうん、ですか?」

「パトロンの夫が赴任してる先に俺達もついていく。カミルはこの島に残す予定だ」

「どうしてカミルだけ一緒じゃないんですか」

 やや感情的になった雪織の声に、キリクはゆっくりと瞬きをしてから答えた。

「俺は雪織にも五鈴にも感謝してる。ケイラも、コリンもだ。あの夏至祭の夜、二人が来ていなかったら俺達兄弟は何も変わらないままだったかもしれない。……だが、勘違いしないでくれ。カミルを残すのは、あいつの事情をよく考えたうえで決定されたことだ。今さら疎外して、孤立させるつもりは微塵もない。それに雪織と五鈴が親友として傍にいてくれるなら、カミルが独りぼっちになるわけがないだろう」

 それを聞いた雪織はキリクに信頼してもらえていることを嬉しく思う反面、せっかくカミルと和解した三人がケット・シーからいなくなるということを残念に思った。

「でも……キリクさんもケイラさんもコリンさんもいなくなるのは、寂しいです」

 雪織の言葉にキリクは優しい微笑を浮かべ、彼女の頭を撫で回した。

「愛らしいことを言ってくれるな。……もちろん俺達だってここを離れたいとは思っていないさ。それでも、パトロンが今まで離れていた旦那さんと一緒に暮らしたいと願ってるんだ。世話になってる身である以上、俺達は我が儘を言えないだろ」



 カミルは《仕立屋ゴクサヰシキ》の店先にある段差に座り、手持ち無沙汰に花煙草の《春季》をくゆらせていた。雪織が急いで駆け寄ると、ぱっと笑顔になる。

「ごめん。待たせた」

「ううん、いいよ」

 見るとカミルの傍らには山ほどの折り鶴だけでなく、小さな裁縫箱があった。

「どれくらい集まった?」

「この通り」

 雪織が差し出した紙袋の中身を見て、カミルは嬉しそうに頷いた。

「きっとこれなら千羽集まってるはずだ。綴じ方を教えるから、そこの針に糸を通して」

「うん」

 雪織はカミルが教える通りに糸と針で折り鶴を綴じていった。その間、気まぐれに吹いてくる風がちょうど建物の影に座る二人の髪を揺らし、頬を撫でた。

「…………よし、完成だ」

 カミルは立ち上がり、束ねた千羽鶴を持ち上げてみせた。

「わたし、千羽鶴をこうしてすぐ近くで見たのは初めてかもしれない」

「そうなのかい? これならきっと五鈴もすぐに目を覚ましてくれるよ」

「どうせなら、今からでもお見舞いに持っていこうか」

「うん。行ってらっしゃい」

「え?」

 きょとんとした顔で聞き返す雪織の手に、カミルが千羽鶴を握らせた。

「ぼくは行けないから」

 きっぱりと言われたその言葉に、雪織は戸惑いつつも訊ねる。

「何か他に用事でもあるの? だったら他の休日でもいいと思うけど」

「そういうわけじゃないよ」

「…………そっ、か」

 何故と訊ねたい気持ちを堪えて、雪織は頷いた。

「わかった。それじゃあ、行ってきます」

「うん」

 にっこりと笑みを浮かべたカミルは、踵を返した雪織に小さく手を振った。

 

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