常山の蛇
第二次スゥド軍北伐戦において大勢を決めることになるニード山脈北部地域の戦い。
数や練度で勝るクリーク軍が取ったのは見事な鶴翼の陣。対するスゥド軍が取ったのはオヴァを中軍に据え、大将として動かす偃月の陣。
勝敗を分かつのは互いの陣形の持つ意味を活かすことが出来るかどうか。包囲殲滅を目的とするクリーク軍の鶴翼の陣。そして、一点突破を目的とする偃月の陣。
包囲を突破すれば偃月刀は返す刀で片翼となった鶴の首を刎ねることが出来る。出来なければ鶴は空を舞い、刀が届かない場所から攻撃する一方的な展開が待受けている。
そんな運命の戦い。最初に動いたのはスゥド軍の方だった。
「っ! 動いた。どっちだ……?」
スゥド軍が動いたのを見て左翼にいた松田が声を上げる。魔力によって強化された彼の視力で見た限りではまだ中央。どちらにズレるかは不明だ。
(予定通りって連絡は来てない……つまり、博打ってことだな……)
平塚からの連絡はない。彼らの作戦では敵斥候を惑わせて松田がいる左翼か平塚のいる右翼へと向かわせる手筈になっていた。だが、合図がないことはつまり失敗を意味している。
「さて……どう、っ! 右か!」
(想定通り!)
それでも、次善策にはかかってくれたようだ。松田は細心の注意を払いながら敵の動向を確認する。気がかりなのはこの次善策に相手が掛かった場合、相手の察知レベルはこちらの予想している水準を超えているということだ。
(平塚にここまで体張らせてんだ。絶対に失敗できねぇぞ……)
主だった護衛を中軍にいる臨時大将に預け、ほぼ単身で右翼の指揮を執る平塚の身を案じる松田。同時に、彼がそうまでして生み出した好機を逃すわけにはいかないため、軽率には動けない。
(まだ、まだだ……今動いてタイミングをズラされたら俺らの後方に回られる可能性がある……機動力のある相手だけでも厄介なんだ。逃げられないタイミングで……)
一般的に偃月の陣は大将が指揮をするのに難しい陣形だと言われる。指揮官が最前線にいるのだからそれも当然の話だ。最前線で戦いながら後方まで意識を向けるのは困難を極める。
だが、戦闘用奴隷を率いて練度もそれほど高くないスゥド軍にとってはこの局面においてこの陣形しか取ることが出来なかった。
理由として、指揮官が進む方向に進めばいいという単純明快な運用方法。敵地にて目立った功績が立てられずに下がりつつあった士気を上げるには大将が先頭となって敵に切り込むことが手っ取り早いこと。また、オヴァ率いる精鋭が開幕から主となって戦うことによって生まれる高い攻撃力。自軍を上回る数の敵の包囲網を突破するには精鋭で突破し戦列を分断するしか考えられなかった。
どれも指揮官……つまりオヴァ次第の運用方法になるが、彼女の卓越した武芸はこれらの諸問題をクリアする。
それを見越した上での今回のこの博打だった。機動を前提とした偃月の陣を止めるにはクリーク軍で最も堅い陣を操る平塚しかいない。しかし、彼女の勢いは最終的には止められないだろう。その前に松田軍が動かなければならない。
(常山の蛇の如く心手期せず反応せよだったか……)
包囲網を敷く前に平塚が言った言葉が松田の脳裏を過る。これは相互支援について孫氏が言った言葉を引用したものだ。毒牙を秘めた頭と毒針を忍ばせた尾を持つとされる常山の蛇。頭を攻撃されれば尾が反撃に転じ、尾を攻撃された場合には頭が。胴体に攻撃が来た場合には頭と尾で攻撃するという話。
(用兵的にはそれでいいかもしれない。でもな平塚、お前は分かってるよな……?)
頭を潰された場合、例え尾が反撃に転じたとしても蛇は死ぬ。そんな当たり前の話を飲み込んで松田は声を張り上げた。
「全軍、突撃!」
尾は、頭に迫りくる敵が最早軌道を変えないと判断し……動いた。
「想定通りだが予想以上だな……」
クリーク軍鶴翼の陣、その右翼。平塚は迫りくる敵を見て苦笑していた。勇将の下に弱卒無しとはよく言ったものだ。最前線の敵は烈火の如き勢いでクリーク軍の右翼を焼き尽くしていく。
「……今回、カシザワはいいとこなしだな……いやまぁ相手が悪いとしか言いようがないが……」
羽の根本を断ちに来た偃月刀を阻むべく右翼最前線にあたるカシザワ率いる部隊がブラインドに来ていた。だが、スゥド軍はオヴァだけではないと言わんばかりに偃月の一隊が分離して羽を押しのけ、逆にその筋を断たんと奮戦している。
フリーのオヴァはこちらに一直線だ。矢の雨も魔術の風も薙ぎ払い、その身を削り鋭利にしながら偃月刀は鶴の骨を断たんと迫り来る。
「受けるにしても下がるにしてもここらが限界だな……ディア!」
「まっつんは動いてるよ。それにジャックさんも」
呼んだだけで平塚の意思を把握したように報告するディア。その報告を受けた平塚は鷹揚に頷いた。
「ここが分水嶺みたいだな……受けるぞ。弓兵下がれ! 魔術兵! ファランクスだ!」
「「「「「オォォオオォォォォオッッッ!!!!」」」」」
弓兵が転進し、下がる。それに対して魔術兵は敵に浴びせていた魔術を自身の身体に纏い重装と長槍を軽々と操り始めた。
平塚達がいた世界の古代ヨーロッパで猛威を振るったファランクスがそこにあった。重装歩兵が左手に大盾を、右手に槍を装備し、槍を持つことで敵に晒される右半身を右隣の兵士の盾に隠して盾の上から槍を突き出して攻撃しながら防御する密集陣形だ。
前の者が倒れたとしても後方の者が進み出て交代し、陣形は再構築される。また、必要に応じて後方の者が槍の角度を変更することで敵の矢を払い、盾に魔力を纏わせて頭上に掲げることで魔術を払い除けることも可能で、戦闘状況に柔軟に対応できる隊形でもある。唯一の弱点は重装であるが故に機動力に劣ること。だが、魔術によって強化された彼らにとって重装は問題にならない。
「ほう、流石はオヴァ。松田を負かしただけのことはあるな……すぐに気付いたか」
その脅威はオヴァに即座に気付かれたようだ。そして、その攻略方法についても。
スゥド軍はそのまま平塚達から見て右方向へと突撃していく。そこにはファランクスの切れ目があり、右隣がいないことから右半身を盾で隠していない魔術兵たちの姿がある。偃月刀はその刀身を更に削り、片刃になりながら勢いを止めない。
「ディア、ファランクスの運用は任せた。俺はオヴァを止めてくる」
「……ご武運を」
「任せろ」
様々な感情、色々とある言いたいことを飲み込んでディアは平塚の指令に従い、ファランクスの運用に徹する。同じく、平塚も言いたいことはたくさんあったが時とオヴァがそれを許してくれない。
結果、何も言わずにファランクスの最右列でディアと別れ、平塚は本命である常備軍近衛兵たちが集うファランクスの右陣へと急いだ。




