Vと∧
松田の敗戦後、小規模な小競り合いこそあったものの大きな戦局の展開がないまま時間が流れていた。
この状況はクリーク軍にとって悪い物ではない。出陣のために兵站は減り、男手を集めているので税収も減るが、それはスゥド軍も同条件。加えてスゥド軍は大陸北部で最も険しいニード山脈を遥々超えての遠征だ。補給路は遠く、狭い。
平塚に言わせてもらえばまるでどこかの世界でいつか行われたインパール作戦のようだ。武器だけ持たせ、補給は最低限のみ持って行かせ、後は現地で補えと。それでは相手が守りを固めただけで多くの将兵が死に絶え自滅を待つだけの集団が出来るだけだ。
(……目的は戦うことではなく、勝つこと。だからこのまま状態が続けば別に問題はないんだが……)
状況はクリーク軍優位。既に国の首脳部にあり、派手な戦功など必要ない平塚はこのまま待機するだけで得られる勝利でも問題ないためこのまま行きたい。だが、平塚には気がかりなことがあった。
(オヴァは何を考えている? あの一戦以降、出て来ないんだが……)
それがオヴァの存在。マリーの敵本陣への単騎突入による情報収集の結果、敵総大将のサミュエルはすぐにでもクリーク領に攻め入り、豊富な資源を奪いたいと考えていた。それ以外に彼の軍を支える補給が満足に行えるとは思えないからだ。
また、オヴァもそのことを理解している上、彼女の性格からしてそれを成し遂げるにあたって本陣で座して待つとは思えない。
(警戒すべきはオヴァ。だが、あいつの勘は……まぁ、色事の時は多少緩むらしいが獣より鋭いらしい。変なものを見せ続けられた挙句有用な情報を掴む前にバレて撤退させられたらしい)
諜報部より入れられた苦情を思い出しながら平塚は真面目な顔で考える。念入りに諜報しておきたい相手だが、勘が働き過ぎるので情報が手に入り辛い。
(他の将から止められているわけでもなく、自分から動くのを断っている状態。動けない理由でもあるのか……? それとも、動かない方がいい理由か……)
小競り合いには全て勝利しているものの、先の一戦で将が負傷するレベルの敗北からクリーク軍の士気はそれほど高くない。これを上げるにはオヴァの討伐しかないのだが、戦わずに済むのであれば戦いたくはない。
色々と塩梅を考える平塚。だが、一人での考え事はここで中断しなければならなさそうだ。外の慌ただしい気配を感じ取った彼は思案を止めて顔を扉に向ける。
「平塚様! 敵陣に動きが」
「オヴァは?」
「動いています!」
考えている間に仕掛けて来たか。平塚は伝令兵に詳しい話をさせながらすぐに動き始める。廊下に出ると松田も同じく外に出ようとしていた。
「聞いてるな? 期待してるぞ」
「まぁこっちに来たらな」
敵が動いた際の策は既に講じてある。先の敗戦から学ばないほど愚かではない。だが、対応策は考えてあるがそれがどれほどまで有効かは未知数。
「ぶっつけ本番で悪いが……頼むぞ」
「戦いなんざ水物。そんなもんだろ」
クリーク軍の首脳二人は戦地へと赴いた。
「ヌフ……まぁ、こうするわよねぇ?」
鶴翼の陣形でこちらを迎え撃つクリーク軍を見てオヴァは至極尤もだと頷いていた。彼女が取った陣形は彼女が最も得意とする偃月。クリーク軍が生み出したVの陣にオヴァを先頭とする∧の部隊が飛び込む形になるようだ。
「でもっ! 愚かぁっ!」
数の上で負け、部隊の練度でも劣り、果ては士気すらも上がっていない部隊を率いるオヴァは年齢に比べて酷く幼い表現で相手を嘲った。そして隣に控える夫グリュースに尋ねる形で自問自答する。
「私を相手に包囲殲滅できると思ったのかしら!? そうなら相手の将はよっぽど自惚れさんねぇ!」
「……平塚元帥の噂は……」
「知ってるわよ」
グリュースの提言を遮るようにオヴァは告げる。彼女の興奮は既に冷めていたようだ。ある程度の付き合いがあってもこの人のことは全く分からないと思いながらグリュースは彼女の独白を聞く。
「流石にあの魔術師と同等とされる男……ましてや本陣で堅牢に固めてある敵中心に飛び込むと包囲されるでしょうねぇ……仮にあの魔術師とやり合ったら私はさておき、王国軍が磨り潰されるわ……」
自惚れが強いオヴァだが、それに見合うだけの能力を持ち合わせている。グリュースは何度目とも知らないがそれを実感しつつ彼女の指示を待った。
「と、なると……まぁ攻撃できる箇所が3つもあるんだから当たりを探しましょうかね。グリュース、斥候を出してちょうだい。あの魔術師と敵元帥がいない場所を狙い一転突破。その勢いで敵後方より奇襲を仕掛けるわよ」
「畏まりました」
単純明快な答え。このニード山脈北部地域ではアヅチ族を除いて平塚達が来るまで軍略という物が存在しなかった。それは彼女からしても同様だが、大陸中央では話が異なる。基礎的な軍略程度であれば簡単に修められる。大体寝ながらだが、その不真面目さを補って有り余る恐るべき野生の勘で習得した彼女は浅い知識を十全以上に活かしてクリーク軍に襲い掛かろうとしていた。
「ヌフ……楽しみねぇ? あっちの方の準備はいいかしら?」
「……直属部隊でしたら。手筈通りに」
グリュースと話しながらオヴァは先程から目障りだった何者かの気配が完全にここから失せたことを感知してにんまりと、邪悪で老獪な笑み……当人曰く、妖艶な女参謀の笑みを浮かべて呟いた。
「……行ったみたいねぇ? グリュース、奇襲用伝達経路で敵右陣を強襲するように伝えなさい。今すぐ、じゃぁないわ。斥候が敵陣に入って私たちについていた何かにやられる頃よ」
「……畏まりました」
諜報部隊もただで作れるわけではないのだが……平然と斥候を生贄に出したオヴァを前にグリュースはそう思うも戦いに負けては何ら意味もないので何も言わずに飲み込んでその場から去る。
伝令を出しに行ったグリュースが居なくなった後、彼女は人に見せられない笑みで戦を前に黒い魔力を迸らせながら呟いた。
「甘い、甘いわねぇ……?」
(この程度の隠蔽で、この私の感知から逃れられると思ったのかしらぁ……? 幾ら技術が優れていても当人らに使いこなせなかったら意味はないわよぉ……)
魔力を正確に感知し続けているオヴァは笑う。確かに、将たちの隠蔽は人外染みた能力をするオヴァをして流石と言わざるを得ない。だが、それに伴っている兵たちの能力を見れば明らかに違う。
(しょっっっぼい兵なんてお偉い様にはつけられないでしょうからねぇ……それを読んだ上でわざわざ能力を隠さない馬鹿には私の国は滅ぼされてないわ……丁寧に丁寧に隠されてるアレが、本物)
能ある鷹は爪を隠す。わざわざ爪を見せびらかしているのは偽物だ。美味しくいただく予定の本物は後回し。まずは軽食をいただいてからメインディッシュといこう。今後の予定は定まった。
「見ぃてらっしゃい……全て呑み込んであげるわ……! ヲーッホホホホホ!」
クリーク軍とスゥド軍の第三戦目が今、幕を開けようとしていた。




