消化戦
戦いの趨勢を決める大きな戦は終わった。その結果だけ見るとクリーク軍の完勝と言っていい。
だが、戦争自体はまだ終わっていない。特に、両軍互いに国民を大動員した戦争ともなれば戦争の流れを決めた後が本番と言っていいだろう。
これより、落としどころを探して消化戦が始まる。
クリーク王国は賠償金を請求する前提で二度と大陸北部の地へと攻めてくる気が起きないように徹底的に叩きのめすか。名声を高めるべく敗残兵に寛大な処分を与えて国に返すか。これは他国だけではなく自国に対しての国民への振る舞いにも影響してくる。
戦で命を落とした者、命懸けで戦った者、また勇敢な戦士たちに残された者たちなどへの手厚い対応やこの戦いをサポートした者たちへの御礼。誰もが納得、あるいは仕方ないと思えるだけの落としどころを目指してクリーク軍は戦いを続けるのだ。
そしてそれはスゥド軍も同じ。今回の戦いでの敗北は決定的。だが、これ以上の損害を出さないことが彼らには必要になる。彼らは敗北を受け入れた上で、自分たちが相手国にどこまでの譲歩を引き出せ、自国での言い訳の種を手に入れるか。その状況を生み出すためには何としてでも一矢報いることが必要。そのために彼らは勝ちのない、だが価値ある最後の戦いに出ることになる。
「わぁあぁぁああっ! 攻めろぉぉおっ!」
「殲滅だ! 奴らを生かしておけば村が、町が、国が焼かれてしまう!」
クリーク軍の士気は高い。スゥド軍がこの地に攻め入った時のことを忘れてはいないからだ。たった一日で地図から消えてしまった村。
「奴らは悪魔だ! 生かしてはおけん!」
要求をある程度受け入れれば助かるだろう。怖い思いをさせた奴らを倒して故郷に錦を飾り、家族を見返そう……楽観視していた村の出身者は何かを忘れるかのように無我夢中で叫びながらスゥド軍を倒していく。その剣が、スゥド軍のある男を捉えた。
「あぁあぁぁぁあっ! 脚がぁっ! これじゃ帰れねぇっ! どうしてくれるんだよぉっ!」
「俺から帰る場所を奪ったお前たちが何を言うんだぁっ!」
怒りのままに泣きながら這って逃げようとしていた男の頭を叩き切る村の青年。彼は泣きながら歪んだ笑みになって次の獲物へと襲い掛かる。
先の見えた戦いが始まると同時に両軍の兵士間に思考のゆとりが生まれ始めていた。生き残るために、勝つために必死だった戦局が変わり戦いの後のことを考える局面に移ったのだ。
(……あぁ……胸糞悪いな……)
シミュレーションで何千と戦い続けた将級の彼らも嫌気が差す。終われば消えるデータの存在ではなく背景のある人間たちが互いの生の感情をぶつけあっている。シミュレーションの中でも同様の局面に遭遇したことはあった。
だが、それは最終的に訓練をつける側の存在が何とかしてくれるもの。実際にそこにいたが、あくまでデータ上の存在。だから、彼らも……松田も、割切って行動できた。
「……チッ。だが、やることはやらねぇと……っ? 何だ……?」
そして今、割り切るために思考を切り替えようとした松田の前に魔力反応が。戦場であることを思い出した松田は即座に頭を冷やして戦いに戻った。
前線でクリーク軍を率い、スゥド軍を薙ぎ払う【黄昏の大魔術師】は黄昏時を憂うような表情を隠してクリーク王国の未来のために不安の芽を摘みに奔走する。
「何たるざまだ……」
総崩れになっているスゥド軍を見て男は嘆く。彼の名はサミュエル。スゥド王国より大陸北部の討伐を任された引退間際の将だった。
激戦区である南方戦線から外れ、北部討伐を無難に熟し、その戦いの人生を終えて穏やかな余生を歩もうとしていた彼は有終の美とは程遠い戦場を目の当たりにしている。
「くっ……敵の力を見誤ったか……誰のせいでもない。我々は戦う前より敗れていたのだ……君は、君の代の戦いではこういったことのないように」
「サミュエル様……」
サミュエルは未来ある彼の副官にそう笑いかけた。そして前に一歩踏み出すと顔を前に向けたまま青年に告げる。
「これ以上、私の無様な戦は見ないで欲しい。君は先に本国へ帰るように」
「なっ!」
「何、老人が輝くのは若人に道を示す時だ。これ以上私の恥ずかしい戦いを見られる前に格好つけさせてもらえると助かるかな」
その表情は後方からでは窺い知れない。だが、青年が前に出るよりも、返事をするよりも先にサミュエルは号令を下していた。
「突撃せよ! 賊軍にスゥド軍の力を見せるのだ!」
かつて、オヴァがしたようにサミュエルは陣頭に立つべく馬を走らせる。その後方に若き獅子を残し、置き去りにして。
「元帥閣下。掃討が概ね完了したようです」
「そうか。引き続き城下の安定のために敵を残さないようにやってくれ」
伝令兵からの報告を受けた平塚は眉一つ動かさずにそう告げた。この戦いはニード山脈北部地域に生きる者たちの戦いではなく完全に外敵の侵略だった。そうなれば彼らがこちらに残るだけで不安の種となるのは間違いない。彼らはある種の地域に根差した生態系にも似たバランスを崩してしまう、ここに居てはいけない存在なのだ。
そのため、前回と同様に処理しなければならない。相手にも様々な事情があっただろうが、こちらにはこちらの事情という物がある。
「前線を前へじわじわと進めろ。討ち漏らしがないように」
「畏まりました!」
必要なことを必要なだけやる。平塚はそのために感情を凍らせておく。そんな彼の下に現在のクリーク軍統帥が現れた。
「お疲れ様」
「フロワ……」
応竜の陣を率いるに当たって、平塚が本陣を任せられたこの国最高位である姫が姿を現した。積もる話がある……彼がそう思った、その時。彼の下にまた別の存在が。
「ご主人様! おばさんが出て来た!」
「オヴァが!? すぐ向かう!」
戦場を駆け巡る影、ディアだった。彼女の報告を受けて平塚は話をする前にこの場を発つ謝罪だけして彼の愛馬に飛び乗って駆け出した。
向かう先は、言わずと知れたオヴァの下。フロワにつけていた直属の兵の内、数名と現本陣にいる寡兵を率いて彼は戦地へと赴く。
「……! この、魔力は……」
そして、フロワもその後をすぐ追うことになる。
その場所は、そう遠い場所ではなかった。
「よぉ、また会ったな」
「あら、せっかちねぇ……ご褒美が足りなかったのかしら?」
まるで草を刈るかのようにクリーク兵を薙ぎ倒している怪女の姿はすぐに見つけられた。そして、同時に見知らぬ人物がその隣に立っているのも平塚は目撃する。
「……オヴァ、これ?」
「えぇ、そうよ」
「へぇ……この子が……」
親し気にオヴァと会話するニカーブで顔を覆った人物。声音からは声の高い少年か、落ち着いた声音の女性か判別が難しい。だが、対峙しただけでその者の実力は推し量れた。どうやらオヴァを追って単身、この場に現れたのは失策だったようだ。
「ふむ、殺すには少し時間がいるな。追わねば見逃してやる。去れ」
幸いにも、ニカーブを被った人物はこちらを見逃してくれるらしい。情報を引き出そうか悩む平塚だが仮に目の前の相手の気が変わった場合、ただでは済まないことを判断すると苦い顔を一瞬だけした後に周囲の兵に下がるように命じた。
「うん。賢い……オヴァ、行くよ」
「わかりましたよっと……」
素直に応じるオヴァ。その口ぶりからしてニカーブの人物はオヴァよりも上らしい。先行する人物は宙に浮いてスライドするように移動していく。その後ろでオヴァは平塚に肉食獣の笑みを向けた。
「ンフフ、平塚元帥。大陸本土は魔窟よぉ……? スゥド軍には少なくとも今の私以上の存在が3人。南方戦線の結果次第じゃぁ増えるわよぉ……手を付けられる内に早くいらっしゃいな」
「オヴァ、遊んでないで帰る」
「はいはい、分かってるわよ……それじゃあねぇ?」
スゥド軍の敗残兵をまとめ上げたグリュースを伴い退却していくオヴァと謎の人物。ここにニード山脈北部地域には安寧が齎された。
ただ、平塚の胸中には重いしこりが残ったが。